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5月の詩

すべての喜びが5月のようであれ

英国の詩人フランシス・クォールズが願ったように、5月は麗らかな美しさに満ちた月です。
ことにヨーロッパでは、その緯度の高さゆえか春といえば4月より5月のイメージだといい、心底から春を実感できるのもまた、この月に入ってからなのかもしれません。

だからこそ、“現在も歌い継がれる最も古いシャンソン”といわれる『 Le temps des cerisesさくらんぼの実る頃』が、フランスの春の歌として愛されているのでしょう。


この歌は、スタジオジブリの映画『紅の豚』の作中でヒロインのジーナが歌い、日本でもすっかり有名になりました。
歌い手はジーナの声優も務めた歌手の加藤登紀子さんで、さすがシャンソン歌手としてキャリアをスタートさせた方だ、と感じさせる堂々としたものでした。

「Quand nous chanterons le temps des cerises…」
僕らがさくらんぼの季節を歌う頃…

こんな出だしで始まるこの歌は、春の柔らかな気分と新しい恋の楽しさを讃えつつ、同時にその移ろいやすさについても語ります。
たとえば4番まである歌詞も、こんな風に少し切ない終わり方をするのです。

「J'aimerai toujours le temps des cerises
C'est de ce temps-là que je garde au cœur
Une plaie ouverte
Et Dame Fortune, en m'étant offerte 
Ne saura jamais calmer ma douleur
J'aimerai toujours le temps des cerises
Et le souvenir que je garde au cœur」

僕はずっとさくらんぼの季節を愛するだろう
心に癒えない傷を負ったこの季節を
運命の女神がたとえ僕に微笑んでも
この苦しみを鎮めることは叶わない
僕はずっとさくらんぼの季節を
心の奥の思い出と共に愛するだろう

(訳・ほたかえりな)


フランスではこの歌は感傷的な恋の歌としてのみならず、政治と闘いを思い起こさせる歌であるともされています。
それはこの歌が、19世紀にパリ・コミューンという政治闘争の季節に作られ、作詞者のジャン=バティスト・クレマンが、戦死したルイーズという女性同志に捧げたからです。

ペール・ラシェーズ墓地の壁の前で市民兵が銃殺されたのが5月であり、この歌の2番の「血のように滴るさくらんぼ」という歌詞がリンクして、パリ市民が政府への抵抗の支持のため歌ったという経緯があります。

コラ・ヴォケールジュリエット・グレコイヴ・モンタンと錚々たる顔ぶれが歌い継ぐ、シャソンには欠かせないスタンダード・ナンバーですが、背景を知ると、甘い旋律の奥に言いしれぬ覚悟と凄みを感じます。

◇◇◇◇◇


そうなると連想されるのが、こちらもビターな味わいの、ジャック・プレヴェールの詩『Chanson du mois de mai5月の唄』です。


L'âne le roi et moi
Nous serons morts demain
L'âne de faim
Le roi d'ennui
Et moi d'amour
Au mois de mai

La vie est une cerise
La mort est un noyau
L'amour un cerisier

ロバと王様と私
明日はみんな死ぬ
ロバは飢えで
王様は退屈で
私は恋で
時は五月

命はさくらんぼ
死は種
恋はさくらの木

(訳・ほたかえりな)


ここでも登場したさくらんぼ。
弾けるようなみずみずしさも、はかない一時かぎりのものとして描かれ、けれどよく読むと輪廻を思わせる表現でもあり。
いかにもプレヴェールらしい、神秘性をまとった詩です。


◇◇◇◇◇


同じようなタイトルで、日本の作品なら坂口安吾の短編『五月の詩』があります。

この作品は始まりから終わりまで死に満ちており、“首を斬られても人は歩けるか”という考察に始まって、侍に首を落とされた町人が主役の落語、しまいには実際に起こった、ある商船会社の社長の切腹自殺を取り上げます。
昭和17年という戦中のため、この社長の死は美談とされ、遺された妻が詠んだ次の和歌も公のものとなりました。

百花の咲きて青葉のよき時に 男らしくも人死にゝけり

安吾はこの歌を「真に事に遭遇した場合、日本人の肺腑からほとばしる見事な詩」であると賞賛し、最後の段落に続きます。

良人が責任を感じて切腹し、その妻女がこのやうな歌をよむといふ、日本は美なる国なる哉。日本万歳

後に『堕落論』を書いた安吾のこと、私にはこれは痛烈な皮肉のようにも感じられるのですが、うがちすぎでしょうか。


◇◇◇◇◇


美しい季節を軽やかに讃える詩を集めようとしたのに反し、意図とはかけ離れた結果となってしまい、このままで終わるのも気が咎めます。

かといって寺山修司谷川俊太郎という天才たちの、あまりに有名な詩をあげるのも今さらですし、では他に、と考えて思い当たったのが室生犀星『五月』です。

近年、『蜜のあわれ』という作品が映画化された大作家であり、少し脇道にそれてご紹介すると、この作品は全編がたった二人の会話で構成されるという、やや変わり種の小説です。

あたい、せいぜい美しい眼をして見せ、おじさまをとろりとさせてあげるわ

こんな台詞を口にするのは赤井赤子という17歳の女性で、彼女はなんと金魚だという、なかなかに突飛な設定です。
作家の“おじさま”と、人間になった金魚が恋人同士として秘密の生活をするという、眩惑的な作品なのですが、そろそろ話を戻しましょう。

苦難多き人生を送った犀星が書いた『五月』という短いこの詩こそが、新しい月を静かな希望で飾ってくれるように感じます。

悲しめるもののために
みどりかがやく
くるしみ生きむとするもののために
ああ みどりは輝く

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