6月の詩
「ずっと6月が続く世界に住むってどんなだろう」
ルーシー・モード・モンゴメリは、物語の中で登場人物にそんな台詞を語らせました。
カナダのセントローレンス湾に浮かぶ島が舞台のため、そこでの6月は本格的な夏の訪れの前の、素晴らしい季節なのでしょう。
アメリカ在住の作家ジェニー・ハンも
「すべての素晴らしいこと、神秘的なことは、6月から8月までの間に起こる」
と書いたように、北米の6月はとかく美しいイメージに満ちているのかもしれません。
ところがそこから目を転じ、アジアや南米、アフリカの一部を眺めてみると、同じ月でもまたずいぶんと事情が異なります。
なんといっても6月は雨の季節で、外気の心地よさをいっぱいに感じながら歩きまわる、というわけにはいきません。
人々が常に空を見上げるのは、穏やかな陽光を楽しむためでなく、落ちてくる水滴を気にしてです。
そんな期間が長く続けば気持ちも沈み、身体は重く、さまざまな不具合が生じがちです。
雨続きの6月は、なかなかに難しいシーズンなのです。
こんな時は、無理に低調さから抜け出そうとせず、できるだけ怠けて過ごすのが良さそうです。
がんばるのは、また然るべき時が来てから。
行動的になれないのは気候のせいだと、あえて逆らわず、のんびりと時間をやり過ごします。
「雨の歌は私の子守歌」
西洋にあるそんな古い言葉のように。
あるいは、私は音楽家エイミー・マイルズの、こんな言葉にも賛成です。
「雨の日は読書家への特別な贈り物である」
“積ん読”でなかなか手の伸びなかった本を手にする絶好の機会の到来です。
ポットで紅茶を入れ、本を手に家の中で過ごす休日も、悪くない気がします。
そして、人間の都合を離れてみれば、長雨は自然界には有用で、これから育つ植物たちにはありがたい恵みそのものです。
それを美しく表現する「甘雨」という言葉の、音の響きの甘さにもそんなことを感じます。
6月になるといっせいに咲き揃う百合、水仙、桔梗、立葵、芍薬、花菖蒲といった花々も、きっと豊かな水を喜んでいることでしょう。
なかでもこの時期の代表的な花、紫陽花には雨が最も似合います。
そんな“あぢさゐ”を描いた、萩原朔太郎のこんな詩があるほどに。
◇◇◇
こころ
萩原朔太郎
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。
こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。
◇◇◇
この詩の中にも、静かな雨が降り続いているような気配があります。
そして、こちらも作中に雨の降る、一見なにげないようでいながら、次第にイメージがどこまでも広がってゆく詩があります。
これらの、晴れの日にはない風情に浸るうちに、雨の日もまた良いものだと感じます。
全ての季節には、それぞれの素晴らしさがあるのだと。
◇◇◇
Rain
Robert Louis Stevenson
The rain is raining all around,
It falls on field and tree,
It rains on the umbrellas here,
And on the ships at sea.
雨
ロバート・ルイス・スティーヴンソン
雨が降る降る そこかしこ
草っ原に 木々の上に
ここじゃ傘の上に降る
遠くの海の船の上にも
(訳・ほたかえりな)