美と翳を背負い生きた人
「友達?それは午前3時に "人を殺した" と電話ができて、"遺体はどこだ?" とだけ返してくれる相手のことだ。」
いささか、というよりかなりかなり物騒な物言いですが、これは自らについたイメージを利用した、際どいユーモアに過ぎません。その裏にあるのはもちろんサービス精神で、世間の想像とは違い、ジャーナリスト相手にも、ドロンは不遜な態度を取ることはなかったといいます。
先月下旬、フランスの俳優アラン・ドロンが亡くなったというニュースを目にした時、自分でも意外なほどのショックを受けました。
シネフィル、それも1960年代後半までの作品に目がない私は、とりわけスクリーンの中の彼に親しんできたからかもしれません。
そのキャリアの全盛期には、ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオー二、ジャン=ピエール・メルヴィル、アニエス・ヴァルダ、ルイ・マル、ジャン=リュック・ゴダール、ジュリアン・デュヴィヴィエと、綺羅星のごとき監督の作品に立て続けに出演していたのですから。
実は私のご贔屓はドロンでなくこれらの監督たちで、その作品を観るうちに、自然と彼に出会ってきたという次第です。
そのため、決して大ファンではないくせに、代表作はほぼ網羅しているという結果になっています。
ドロンがフランス本国で"生涯のライバル"ジャン=ポール・ベルモンドに勝る人気を得られなかったのは、整い過ぎた容貌ゆえでした。
外見を買われて映画界入りしただけあり、その美しさは完璧過ぎたのです。それゆえ"普通の役柄"ができないと批判され、演技の面でも正当に評価されることは稀でした。
それでも、貧困と裏社会から身を引き剥がすため飛び込んだ映画界で、その美貌が最大限に役立ったのも事実です。
美しい男性に目の無いヴィスコンティ監督と公私にわたる関係を持ち、地位を固める足掛かりとしたことも、割り切った策のひとつだったに違いありません。
その上でドロンが己のエゴに溺れて自滅するドリアン・グレイにならなかったのは、いささか不思議な気がします。オスカー・ワイルド描く驕慢な貴公子グレイは、美と快楽への執着のため破滅しますが、ドロンは最期まで自制心を保ちました。
スターならではの気まぐれや我儘を発揮することもなく、アルコールやドラッグの問題とも無縁でした。
それは少年期から、身を持ち崩した人間たち、犯罪者や"ピガールのごろつき"たちに囲まれて育ち、その姿をつぶさに見てきたためかもしれません。「俳優にならなければ、死んでいたか刑務所にいた」と本人が語るほどですから。
それでも裏社会とのつながりは生涯途切れず、晩年も武器の不法所持が発覚するなど、人生の各段階で、危うい橋を渡っていたらしいことは事実です。
そんな事実と、それが世間にも知れ渡っていることを逆手に取り、フィルム・ノワールやサスペンス映画の主演を務め、人気を博するのがまたドロンの見上げたところなのですが。
彼と裏社会との関係を示す最も有名なエピソードは、後の大統領夫妻をも巻き込むスキャンダルとなった"マルコヴィッチ事件"ですが、私が最も彼らしいと感じるのは、ロミー・シュナイダーにまつわる一件です。
ヨーロッパ映画界の大スター、ドイツ人女優ロミー・シュナイダーと彼は恋人同士で、関係が破綻してからも交流は続きました。
ある時ロミーが破産の憂き目に合い、ギャングから"不名誉な写真"をかさに脅迫されていることを知ったドロンは、その写真が隠されていた写真館を、別のギャングによって爆破させます。
この爆破事件に彼が関わったという証拠はないものの、建物と共にロミーの写真も消え失せたことは事実です。
女性たちとの様々な逸話を提供したドロンでも、これは破格のエピソードと言えるでしょう。
1960年代の人気絶頂期、日本を訪れた彼と同席し、ダンスを踊った女性司会者の談によると、彼は例えようもなく美しく、暗い人であったそうです。
目の中の寂寥感はぞっとするほどで、じっと口を閉ざした姿に、この人はどこまで孤独なのかと感じさせられたといいます。
スクリーンでもその翳はつきまとい、ハリウッドで成功しなかったのはそのためだとも言われています。アメリカ映画界が求める"明るい二枚目"の役が向かないと悟ったからこそ、早々とそこから撤退しました。
『サムライ』に代表されるフィルム・ノワールでその翳は大いに活かされましたが、そちらとは一風変わった際立ち方をしていたのが『太陽はひとりぼっち』です。
"現代社会の愛と虚無"を描くアントニオー二のこの映画で、私のお目当ては監督と主演女優モニカ・ヴィッティでしたが、共演のドロンは驚くほどその世界観にマッチしていました。
快活で野心に満ち、自信家で傲慢。ヴィスコンティの『山猫』で演じた貴族タンクレディにも共通する役柄ですが、より深い空疎さを隠せないキャラクターは、ドロンの実像に近いのではと想像させたほどでした。
ドロンへの弔辞として、長年の友人であったブリジット・バルドーは「彼はフランス映画の代表であり、優雅、才能、美しさの象徴だった。この空白は誰も埋めることができない」と語りました。
胸を打つこの言葉の通り、彼のフィルモグラフィーを眺めるだけで、様々な名場面が思い浮かびます。
マリリン・モンロー同様、"カメラに愛された"俳優であったドロンにはフォトジェニックという言葉が似つかわしく、無数の、絵になるシーンが存在します。
『山猫』の晩餐会のカットは、その極地でしょう。
戦闘で負傷した右眼に黒い眼帯をつけた、夜会服姿の貴族子弟役のドロンと、胸元の開いたオフホワイトのドレス姿も水際立つ、クラウディア・カルディナーレ演じるブルジョワ令嬢。
沈み行く大貴族たちと共にテーブルに着いた二人が、身を寄せ合い、油断ない眼差しを周囲に投げつつ語る様。わずか数秒のそのシークエンスは計算され尽くした絵画のようで、とりわけ強い印象を与えました。
その"眺め"だけで物語を成立させる力を持っていたのがドロンであり、だからこそあれほどまでに、たぐい稀な監督たちに重用され、ファンたちを惹きつけてきたように感じます。
あらためてその特異さに思い至り、内心にじわじわと沁みるショックはしばらく去りそうもありません。
それでも、残された作品の中にはその姿が変わらず留められているのですから、紅茶を淹れてテレビの前に座り込み、鑑賞会といきましょう。
周囲の毀誉褒貶の声も静まり、ようやく純粋にその作品だけに没頭できることを、ひとまずの喜びとしつつ。