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ハイカロリーな仕事と空海
「余計なカロリーを使いたくない」
かつての仕事仲間の口癖であり、その人はいかにクオリティーを下げずに仕事の手を抜くかを研究する、真面目か不真面目なのかよく分からない人でした。
それで言うなら私は1月中に早くも今年一年分のカロリーを使い果たしたような、いくらか大げさに表現すると、まれに見る大事業を成し遂げたような気分です。
そのきっかけとなった舞台俳優のシロさんから、思いがけず連絡を受けたのが去年の暮れのこと。
「ここ数年続けてきた対話劇が、とある大劇場のイベントに招聘されます。夏には記念DVDも発売の予定だそうです」
こんな内容に私も大喜びしていたところ、まだ続きがありました。
「そこで販売されるパンフレットに、自分も何か書くよう依頼されました。舞台への思いやこれまでの経緯、公演を観てくれるお客さんへのメッセージ。3000字程度でということですが、僕にはとても書けません。代筆をお願いしたいのですが、いかがでしょうか」
私はほとんど間髪を入れず返事をしました。
「光栄です。よろしくお願いします」
これまでも依頼されて文章を書いたことはあるものの、そのような晴れがましい場に関わるのも、誰かになりきって書くというのも初めてです。
それでも深く考えずに決断したのは、楽しそうだから、という一点に他なりません。
岡本太郎の「危険だと思う道に飛び込んでゆく」ではありませんが、熟考すると腰の引けそうな申し出だからこそ、引き受けたいと思ったのです。
幸いにも私はその舞台を観ていて、どれほど感動的な物語であるか知ってもいます。そんな世界に関わることを断る選択肢はありません。
もっとこなれた文章を綴る人はいくらもいるのに話をくれた、そんな気持ちを裏切りたくないという思いもありました。
「何でも納得がいくまで聞いてください。どんな質問にもお答えします。何をどう書くかも構成もお任せします」
シロさんが私にそう告げたのは、人気のないティールームの店内でした。
できるだけ静かな場所を、と選んだ郊外の広いお店で、テーブルのすぐ側では薪ストーブが燃えています。時おり薪のはぜる音が聞こえるくらいで、他に音楽や話し声はありません。
平日の昼間ということもあり、お客は私たち二人だけでした。
道中の車内でも話を聞かせてもらい、公演関係者の幾人かを間接的に存じ上げてもいるため、インタビューは滞りなく進みます。
まるで乗り気でなかった舞台になぜ出ることになったのか、直前に起こった配役の変更とは、ほぼ脚本のない即興劇を最終地点に持っていくプレッシャーとは。
そんな話に耳を傾けながら、ただ愉しんで観ていた舞台の裏側に、数多の知られざる事情があったのに驚かされます。
けれども肝心なのはここからで、無邪気に裏話を楽しむだけでなく、それを充実した談話に仕立てねばなりません。素晴らしい素材を手渡してもらったからには、こちらも最高の料理を提供する責任があるというものです。
年明けでいい、と言われていた依頼ですが、早速取りかかって年内には第一稿を送りました。
そして、シロさんから電話があったのは1月2日の夜のことです。ひとしきりの挨拶の後、伝えられたのはこんな一言でした。
「あの、実は今すごく混乱してて」
もちろん私が送ったあの文章についてです。何かまずいことがあったかと問うと、ひどく歯切れの悪い答えが返ってきました。
「最初に言っておきたいのは、前半部分は最高だということです。僕が書いたにしては強気すぎる気もするけれど、面白いし一気に読ませます。だからこそ、途中から何故ああなるか理解できないというか」
「後半はお話にならない、ということですか?」
「いや、いいんですよ。決して悪くはないんです。でも、あまりに前半との落差があり過ぎて。
例えて言うなら、前半は景観のいいハイウェイを順調に飛ばしてる感じです。爽快で、次々に色んな景色が現れて、全く飽きない。
でも後半になるといきなりトンネルに突入して、まあドライブだしそんなこともあるかなと思っていると、到着したのは倉庫みたいな場所です。整理されないまま沢山の荷物が積み上がっていて、一体どこへ連れて来られたんだろう、って愕然とするというか」
さすが俳優さんというべきか、独特の表現ながら、言わんとしていることは十全に伝わりました。その内容を噛みしめるための私の沈黙を気にしてか、シロさんは急いで言い添えます。
「僕のせいです。あまりにしゃべりすぎたから。どのエピソードも使ってやろうとしてくれたんですよね?そのせいで後半は事実の羅列になって、感情的に入り込みにくいものになったんだと思います。
でも僕はそこで全てを語ることはできないと思っているし、多少偏ったり突っ走り過ぎても、心を揺さぶられるものを書いて欲しかったんです。そのへんがうまく伝わってませんでしたね、僕のミスです」
「いえ、それは確かに伺ってます。なのにきちんと表現できなかった私のミスです」
ぎこちなくそんな会話を交わしつつ、では後半の展開をどうするか、時間をかけて話し合いました。
それが功を奏し、素晴らしいものが完成しました、と言えれば良いのですが、残念ながらそう簡単には運びません。書き直した文章は、まだ色々な要素が多すぎる、説明的すぎる、前半のスピード感と釣り合わない、などの問題で次々と却下されました。
そこから混乱の始まりで、どれだけ時間をかけて練ったところで、あちらの要望と私の書いたものとが噛み合いません。そのつど細かな修正がなされても、また新たなズレを生むだけという、完全な迷走状態に陥りました。
そうして時間だけが過ぎてゆき、もはや残りはシロさんが自力で何とかするよりない、という結論に至りました。これ以上のラリーはもはや無益ということです。
その時点で締め切り日も二日後に迫っており、徹夜してでも何とかします、とシロさんは疲れた声でした。
そうして事態は私の手を離れ、もう終着点の見えない文章との格闘も不要ながら、手放しで喜べるわけもありません。それは完全なる敗北であり、私は頼まれた仕事を完遂できないばかりか、ただ相手を振り回し、貴重な時間を奪っただけに終わったからです。
私も最悪の気分と苦さを噛みしめてはいたものの、最も気の毒なのはシロさんです。これから冴えない文章のつなぎ合わせや書き足しなど、骨の折れる編集作業が待っています。
それが多大な"カロリーを使う"仕事であるのは明らかであり、むしろ全く異なるものを書いた方が良いほどです。
それならばと想像するうち、バーナード・ショーの警句、人の心と演劇、シロさんの俳優人生とを絡めた文章が浮かんできました。
書いてみると妙に興味深い仕上がりで、何度かの推敲の後、迷いつつシロさんにも送りました。
興奮気味な電話がかかってきたのはその数時間後で、最高です、こういうのを待っていたんです、という褒めようにかえって気が咎め、実は一時間もかからずに仕上げたんです、と打ち明けました。
驚きや感心を口にした後、シロさんがつぶやいたのは空海の名です。
あくまで私の印象ですが、クリエイターや表現者といった人には、弘法大師空海の熱心な信奉者が多い気がします。シロさんもその一人であり、空海が詩文について記した『文鏡秘府論』の一節を、すらすらと諳んじてくれたのです。
音で聞いただけのそれを再現することは不可能ながら、内容はこんな感じです。
『もしも思索に疲れて前進もままならないなら、無理を重ねても辛苦が募るだけである。
そんな時はいっそ筆を置いて考えを先送りにし、心が澄みわたってから創作にかかれば良い。
これは作文のみならず、人生全体に通ずる秘訣である』
「やっぱり、頭で処理するんじゃなく、心が動いた時に一気呵成に取りかかってこそ大きな成果が得られるんですね。おかげでまた一つ大切なことを教えられました」
シロさんのそんな言葉には恐縮しきりながら、私自身も、行き詰まりの打破や気持を切り替えるための方法など、思いがけない学びを得た気がします。
この後急速に体調を崩し『黄金の時間』という話に書いた、とんでもない不調に苦しめられることにはなるのですが。
ちなみに、シロさんには伝えていませんが、その話の冒頭の"年始からかかりきりの難解な仕事"とはこのことです。
そうまでしてシロさんと共作した文章をお目にかけられないのは残念ですが、まだ未発表の現時点ではルール違反に当たるため、掲載はまたの機会を待ちたいと思います。
それにしても、人のために書く仕事の大変なこと。例えどれだけつたなくとも、自分が考えた通りのことを綴れる気楽さは最高です。