1月の詩
一日今年始
一年前事空
凄涼百年事
應與一年同
唐時代中期の詩人 元稹。
白居易の親友でもあり、二人の名にちなんだ
"原和体"とも称される作風の詩で、一時代を築きました。
その元稹の有名な詩『歳日』は、このような内容を語っています。
今日の日で今年も始まる
振り返れば過ぎた年の全ては空しい
人の一生もまた虚しいもの
一年を過ごすのと変わらず過ぎてゆくことだろう
元稹の詩には麗らかな柔和さを湛えた作品も多いのですが、この詩では晴れがましい年の始めにも関わらず、どこか冷ややかな諦念を感じさせます。
やもするとそんな時こそ浮足立たず、常に内省的な姿勢を保つことにこそ重きを置いた故かもしれません。
◇◇◇
そういった意味ではアルフレッド・テニソンの『打ち出せ、荒ぶる鐘よ』もまた、年が変わる瞬間の、厳粛な覚悟を身に沁みて感じさせます。
1850年に発表されたこの作品は〈王室付きの"桂冠詩人"が新年の祝いの詩を書く〉という英国の伝統に則って作られました。
今でも世界中で広く愛唱されてはいますが、実は最も熱心な読者は、本国イギリスよりもむしろスウェーデン国民ではないかと思われます。
年末の日本でベートーヴェンの『交響曲第九番』通称『第九』が盛んに演奏されるように、スウェーデンでは、大晦日に決まってテニソンのこの詩が朗読されるからです。
往く年の不幸な出来事に別れを告げ、来る年の幸福の到来を待ち望む。
そんな心情を鳴り響く教会の大鐘に託した作品は、国や時代の境界を軽々と超え、人の心を揺さぶり続けるものであるのでしょう。
打ち出せ、荒ぶる鐘よ、荒れ狂う空へ
飛び去る雲に、凍える月光
往く年は夜の裡に死にかけている
打ち出せ、荒ぶる鐘よ
古き年を送り出し、新しき年を迎え入れよ
喜びの鐘よ、 雪の中で鳴り響け
去り行く年を立ち去らせよ
偽りを払い除け真実を迎え入れよ
打ち出せ、欺瞞を
迎え入れよ、真実を
打ち出せ、心を蝕む悲しみを
既にここを離れた者たちの
打ち出せ、富める者と貧しき者の諍いを
迎え入れよ、全人類の救済を
打ち出せ、消えゆく大義名分を
そして古びた政争を
迎え入れよ、より高潔な生き様を
より優しき礼節を、より純粋な法律を
打ち出せ、欲望、心労、罪悪を
時代の不実な冷酷を
打ち出せ、我が陰鬱なる韻文を
して迎え入れよ、更なる誉れの吟遊詩人を
打ち出せ、地位と血統への驕慢を
民の中傷と悪意とを
迎え入れよ、真実と正義への愛を
迎え入れよ、普遍なる善への愛を
打ち出せ、古き悪病を
打ち出せ、狭量なる金銭欲を
打ち出せ、千もの古き争いを
迎え入れよ、千年にわたる平和を
迎え入れよ、勇敢で自由な人を
大いなる心と優しき手の
打ち出せ、この地の暗黒を
迎え入れよ、救い主となる者を
◇◇◇
テニソンの詩にも匹敵する強さと、決然たる精神性。それらを存分に備えた詩が、約半世紀ほど後のアメリカで、ヘレン・ハント・ジャクソンにより生み出されます。
詩人、また作家としての顔も持つジャクソンは、ネイティブアメリカンの人々の権利の向上に尽くす活動家でもありました。
少女時代に両親と相次ぎ死別するなど、人生のもたらす痛手こそ受けたものの、愛情深い親戚にその身を託され、エミリー・ディキンソンと生涯にわたる親交を結ぶなど、豊かな人間関係に恵まれました。
急速な工業化が進む中、変化も著しいアメリカ社会をつぶさに見つめ、人間の自由と自然に対する深い畏敬の念を抱き続けたジャクソン。
ここにご紹介する『新年の朝』でも、作中にそれらの思いが余すところなく結晶している様が感じ取れます。
古いものから新しいものへのただ一夜
たった一夜でこれほどまでに変わるとは
古き年の疲れた心が言う
「新しき年が休息をもたらしてくれるだろう」
古き年の希望は心の奥底に葬られ、なお信じて語る
「新年の冠の花々は死者の灰から咲くものだ」
古き年の心は貪欲で
利己主義に悶え苦しみ叫ぶ
「必要なものの半分もない
私の苦い渇きは癒されない
だが寛大な新しき年の手によって
豊かな贈り物が戻される
真の愛は理解されるだろう
私の失敗から学ぶだろう
放埒だった私とて
新しき年は静かで穏やか、純粋な人生となる
奴隷だった私だが
新しき年には自由となる
私が去った争いの場
その跡に平和を見出しなさい」
古いものから新しいものへのただ一夜!
そのような奇跡のもたらされた夜はない
旧年にはやるべき仕事があり
新年の奇跡は起こらない
常なる古い夜から新しいものへの夜!
夜と眠りの癒やしの香油!
毎朝が、新しい年の朝になる
守るべきお祭りの朝
全ての夜は、告白と決意と祈りを行う神聖な夜
全ての日は、新しい喜びを呼び覚ます
陽の光に満ちた神聖な日
ただ一夜、古きから新しきへ
ただ一つの眠り、夜から朝へ
古きものが新しいものを叶える
日の出ごとに新しい年が生まれる
◇◇◇
そして更に一世紀あまりの時が経ち、日本の詩人 石垣りんが『太陽のほとり』をしたためました。
選詩集『宇宙の片隅』にも収録されたこの作品では、まさに宇宙的な視野でもって、元日の朝の清しさと光について、どこまでも広がりを持って描かれます。
一年の始まりを寿ぐこの詩、そして他の三つの詩。
そこに眩しく満ちる光が、年の始めから終わりまでをあまねく照らし、希望をもたらすものとなりますように。
太陽
天に掘られた 光の井戸。
私たち
宇宙の片隅で 輪になって
たったひとつの 井戸を囲んで
暮らします。
世界中 どこにいても
太陽のほとり。
みんな いちにち まいにち
汲み上げる
深い空の底から
長い歴史の奥から
汲んでも 汲んでも 光
天の井戸。
(日本の里には 元日に 若水を汲む
という 美しい言葉が ありました)
昔ながらの
つるべの音が 聞こえます。
胸に手を当てて 聞きましょう
生きている いのちの鼓動
若水を汲み上げる その音を。
新年の光
満ち あふれる 朝です。
(訳詩 ほたかえりな)