9月の詩
薔薇、菫、なぞは見ても綺麗、香いも素晴らしいし、色も綺麗で、漢字で書いても素敵である。
かつて、作家の森茉莉はこう述べました。
これ自体が匂い立つような文章で、もしこのリストに何か付け加えるなら、“薄荷”は相応しいもののひとつでしょう。
文字を目にするだけで涼やかな空気に包まれるようですし、三島由紀夫が『豊饒の海』に記したこんな一文もまた、その印象を強くさせます。
夏が終わりかけている。
この感じはいつも強烈だ。
言葉の能う限り痛烈だ。
空には 鱗雲と積雲がこもごも現れ、空気の中にほんの少しずつ薄荷が混じって来る。
季節の移り変わりを皮膚感覚でこれほど美しく表現した例は、きっとそれほどないのではと思います。
◇◇◇
そして、これは日本人の中に古来から在る感覚かもしれず、ずっと時代を下ってみると、古今和歌集にも、この季節ならではの情景を描いた一首があります。
夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらん
平安時代に生きた凡河内躬恒のこの歌に、私は涼やかな薄荷の気配を感じます。
鎌倉時代の歌人藤原良経が詠む、この歌にもまた。
月かげに涼みあかせる夏の夜はただひとゝきの秋ぞありける
◇◇◇
そこからぐっと現代に近づき、1946年、終戦の翌年に、伊東静雄さんは詩集『反響』にて一遍の詩を発表しました。
夏の終わり
夜来の颱風にひとりはぐれた白い雲が
気のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大気の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景観に
それがおほきく落とす静かな翳は
……さよなら……さようなら……
……さよなら……さようなら……
いちいちさう頷く眼差のように
一筋光る街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田の面を移り
ちひさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり
……さよなら……さようなら……
……さよなら……さようなら……
ずつとこの会釈をつづけながら
やがて優しくわが視野から遠ざかる
実は伊東さんにはもうひとつ、同名の詩「夏の終」があるのですが、そちらは放心と暗い気配とを漂わせ、「夏の終わり」のような静かな和やかさはありません。
その理由は、おそらく「夏の終」が戦時中に書かれたためで、身の回りの環境により、全く同じ季節でも、人の感受性に大きな影響が及ぶことを教えてくれます。
◇◇◇
それにしても、あれだけ厭わしく感じた暑さも、この先だんだん減じていくとなれば、少しばかり寂しい気分になるから不思議です。
作家ヘンリー・ジェイムズの、こんなノスタルジアに感じ入ってしまうほどに。
夏の午後、夏の午後。
それは私にとって、常に最も美しい言葉だった。
◇◇◇
ゆく夏を惜しむあまり、少々センチメンタルになりすぎているきらいはありますが、どうせならもうひとつ、切ない名曲「September Song」をご紹介して、この月の話を終わりにしたいと思います。
「September Song」は元々はミュージカルの劇中歌であり、後に映画『旅愁』のテーマ曲として有名になりました。
『旅愁』の原題が『September Affair』なのは、この映画が「September Song」に触発されて生まれたからです。
一組の男女の束の間の幸福と別れの物語を彩る「September Song」は、そこはかとない、澄んだ寂寥感をまとっています。
まるで、口に含んだ薄荷のドロップのような。
September Song
Oh, it’s a long, long while from May to December
But the days grow short when you reach September
When the autumn weather turns the leaves to flame
One hasn’t got time for the waiting game
Oh, the days dwindle down to a precious few
September, November
And these few precious days I’ll spend with you
These precious days I’ll spend with you
5月から12月まで
充分な時間があるはずだった
でも9月になると
日々は急ぎ足で行ってしまう
乾いた木の葉が落ちる頃には
もう僅かの時も残っていない
限りある時は飛び去ってゆく
9月から12月へと
残された美しく得難い日々を
あなたと共に分かち合いたい
詞・Maxwell Anderson
訳・ほたかえりな