嘘と本当どっちを選ぶ?
「カルメン、あの女が、ただの一度だって真実を語ったことがあっただろうか」
「嘘つきな、僕のかわいいマノン。彼女はいつだって嘘しか言わなかった」
有名な文学作品の中にはよく、奔放で一筋縄ではいかない美女たちが登場します。
その中でもとりわけ強い魅力を放ち、関わった男性の運命を変えてしまうのが、カルメン(プロスペル・メリメ『カルメン』)とマノン(アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』)です。
どちらも演劇、オペラやバレエと多方面で舞台化されたため、作品のどれかに触れたり、私と同じくヒロインの歌うアリアがお気に入り、というかたもいらっしゃるかもしれません。
冒頭にあげたのは、そんな女性たちに否応なく翻弄される、不幸な男性の台詞です。
彼らはヒロインにのめり込み、家族も捨てて全てを捧げますが、どこまでいっても決して望むような愛は得られません。
それどころか彼女らは他にも恋人を持ち、平然と彼らを裏切っては、耐え難い苦しみを与えます。
彼らはそうまでされてもなお彼女たちへの未練を断ち切れず、先にあげた台詞をつぶやきながら、破滅への道をひた走ります。
麻薬のような魅力で人を虜にする、物語の中のファム・ファタルなら嘘すら蠱惑的でお似合いですが、この世界でもう少し常識的に生きる、私たちのような人間にとってはどうでしょう。
私たちは、彼女たちほどは嘘を語りませんが、それでも必ず嘘をつきます。
いや、自分は違う、とおっしゃるかたは、手を合わせたくなるような人格者か、それこそ大胆な嘘つきのはず。
それは私一人の意見ではなく、神経学者・哲学者・作家でもあるサム・ハリスも著書『Lying(嘘つき)』にて「私たちはみな嘘つきである」と語っています。
「大多数の人々は、日中、頻繁に嘘をつかなければ、夜になってベッドに入ることもできないでしょう」
彼は、それは決して良いことではなく、そのせいで私たちは自分を見失い、大切な人たちとの関係も損なわれてしまっている、と警鐘を鳴らします。
そしてどのような嘘も決してつくべきではない、いわゆるホワイト・ライといわれる善意の嘘すら撲滅すべきというのです。
途中まではうなずけても、そこまでゆくと、待ってよハリスさん、それはほとんど過激思想でしょう、と心の中で声を上げてしまいます。
嘘はいけない、は小さな子どもでもわかっています。だからといって、では全員で辞めにしましょう、はかえって恐ろしいことになり、夜になっても無事ベッドに辿り着けないかもしれません。
誕生日にもらったプレゼントがいまひとつ気に入らなかった時。
「付き合い始めた頃と同じくらいのドキドキや“大好き”がある?」と関係の停滞期にたずねられた時。
嘘は良くないし、で正直に答えると、目も当てられない結果になりそうです。
かといって偽りの嬉しがらせを言い、その場を取りつくろったとしても、気持ちの悪いもやもやが残ります。
相手と自分、両方をだます最悪の結果となり、そんなことを続けていれば、ハリスさんの予言が成就して、私たちは多くのものを失うでしょう。
これはなかなかのジレンマであり、選択が難しい分かれ道の前に立たされた気分です。
でも大丈夫です。どちらの道を選ばなくても、ちゃんと他の道があったりします。
しかもそちらは誰も傷つけず、嘘いつわりのない、気分の良い道です。
このまま話しの続きをしたいのですが、先はまだ長いため、分かれ道の前でいったん小休止が良さそうです。
その間、もしよろしければ、自分ならどうする?に少しばかり思いをめぐらせてみてくださいね。