ソウル・フード・スープ
「ソウル・フードとはその名の通り。魂を込めて料理された、あるいは香り豊かな食べもので、常に愛を絶やさないあなたの魂によい」
フィラデルフィア・ソウルを代表する素晴らしい歌手のひとり、シーラ・ファーガソンは自著『SOUL FOOD』にそう書いています。
ふつう“ソウル・フード”は伝統的な黒人料理を意味しますが、ここで言われる“ソウル”はまさに“魂”のこと。
魂に人種や国籍の区別はありません。
100人の人がいれば100通りのソウル・フードがあり、それを聞き取るだけで百科事典のような本ができそうですが、特別な場所やシチュエーションを必要とせず、身近で気取らない料理であっても、その呼び方はできそうです。
それならば、私にとって目下のソウル・フードは、毎朝のスープと言えるでしょうか。
和食の“一汁一菜”と同じく、たとえ洋食や中華料理であっても、ご飯ものあるいはパンに汁ものはまず不可欠である、というのが私の考えであり好みです。
スープはそれだけですでに薬膳も同じであり、たとえば参鶏湯(サムゲタン)の“湯”はスープを意味します。
葛根湯や麻黄湯など、多くの漢方薬にも“〇〇湯”という名前がついていますが、こちらも元はすべてスープであり、スープと漢方はイコールであると言えそうです。
それらのあたたかい、季節によっては冷たいスープは、身体に栄養と潤いだけでなく、しっかりとした満足感も与えてくれます。
そのため、私は毎朝の食事にスープを粛々と用意してきたのですが、なんとアメリカの大学の研究で、“心に効く食べもの”としてスープがクローズアップされました。
ミシガン大学〈FASTラボ〉の発表によると
『スープの摂取は、人間関係に対するポジティブな心理や、孤独感の軽減に関連性がある。
特に、野菜や健康的なタンパク質で作られた自家製スープは、孤独感が軽減すると化学的に証明されている』
やはり、という感じはします。
湯気をたてる美味しいスープを味わいながら、暗い気持ちでいる方が困難です。
もしもたくさんの具が入った滋味あふれるスープにも癒せない悩みがあるなら、それは深刻な事態が起こっている証であり、早急に何らかの対応が必要です。
けれどもこの研究の結果を待つまでもなく、スープが心の慰めになることは皆とっくに気がついており、現にアメリカには、“失恋を癒すためのスープセット”まで存在します。
キャンベル・スープ・カンパニーから発売されている、その〈Pacific Foods Broken Hearts Soup-port Kit〉のパッケージは、ちょっとした救急箱のイメージで、グリーンの箱の中央にはひび割れた大きなハートが描かれ、傷には絆創膏が貼られています。
失恋したての人が真っ赤な目をし、鼻をぐずつかせながらセットのフタを開けると、中にはトマト、チキン、ベジタブルの3つのスープ缶が並んでいるのが目に入ります。
友だちに向かってやけ気味に事のてんまつを話したり、写真や思い出の品を次々にごみ箱に投げ込んだり、静かに思い出をたどり祈る間も、このスープセットはとても役立ち、大いに慰めになりそうです。
3つのスープを順に味わううちに、やがて気持ちの整理もつき、平常運転へと戻れるのかもしれません。
ことにアメリカではチキンスープは日本のお粥に相当し、弱った時に頼れる食べものとされているため、こんなスープセットの存在はありがたいものでしょう。
もしも思いやり深い友人が内緒で注文してくれ、ある日思いがけなく玄関先に届けられたりしたら、それだけで少し元気になれそうです。
私の毎朝のスープはもっと平凡でドラマに欠けますが、自分なりにはなかなかのものだと自負しています。
スープのベースは作り置きしていることもあれば、レトルトや冷凍、フリーズドライにパウダーと、市販品の力も借ります。
そこに飽き防止のため、あの手この手のスパイスや具材たちを。
あたためととろみづけのための葛粉、血管の掃除のための黒コショウ、万能選手のターメリックにジンジャー、もち麦も忘れずに。
あとはその日の気分や気候、冷蔵庫の事情によって、いろんな野菜が入ったり入らなかったり。
いかに手間暇をかけずに美味しいものを作って食べるかが、スープに限らず私の料理の至上命題のため、人には呆れられるような手抜きや簡略化で、日替わりスープを楽しんでいます。
だから私にとって毎朝のスープは立派なソウル・フードです。
あの偉大な作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの言うような料理人には、まだまだ近づけそうにはありませんが。
「心の純粋な人だけが、美味しいスープを作ることができる」