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映画「ふれる。」にふれて

映画「ふれる。」を観てきました。

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』
『心が叫びたがってるんだ。』
『空の青さを知る人よ』
を手がけた長井龍雪(監督)×岡田麿里(脚本)×田中将賀(キャラクターデザイン・総作画監督)の三人の新作である。

と紹介してみたが、この3作品のどれも私は観ていない。
もちろん「あの花」とか「ここさけ」などの言葉も耳にしたことがあるし、その人気も何となくは知っていた。が、その青春のにおいがプンプンするタイトルからして、自分のような人間が観る作品ではないと思っていたし、そもそもアニメ作品をたくさん観ているほうではない。

そんな私が映画「ふれる。」を観る理由。

もうお気づきだとは思うが、永瀬廉くんが声優として出演してるから。

この映画の主人公・小野田 秋という青年を演じている。
そう言えば、彼が実写版「弱虫ペダル」で演じた坂道くんも小野田だった。しかも友人役の声優も「弱虫ペダル」で共演した坂東龍汰くんということで、何だか不思議な縁を感じてしまう。

以前にもこのnoteでも書いているが、私は永瀬廉の声にとても惹かれている。彼が声優に初挑戦をしたのは、映画ドラえもんの「ソーニャ」というパーフェクトネコ型ロボットの役。彼の声があまりにその役にしっくりきていたことに驚いたし、その声自体にも魅力があった。このソーニャが、私が永瀬廉、そしてキンプリに沼っていくきっかけの一つと言ってもいいくらいだ。

そして、オーディションで選ばれたという、今回の声優のお仕事。そのことを楽しそうに話す彼を見て、絶対に映画館へ観に行かなくては、と思ったのだった。
映画の公開が近づくと、たくさんのテレビ番組に彼は番宣のために出演していた。アニメ作品の声優がこんなに番宣するものなのか、と少し疑問に思うほどだ。バラエティ番組に出ている彼も好きなのでファンとしては嬉しいのだが、本当にこれって集客につながっていたのだろうか。

なかなか映画館へ行く時間を作れなくて、公開3週目に入った平日にやっと観ることができた。なんと、貸切状態での鑑賞。田舎のイオンシネマの小さいスクリーン、そして平日の朝一の回ではあったものの、さすがにこの状況は大丈夫なのだろうかと心配になってしまった。とはいえ、こんなに贅沢で貴重な経験もないだろう。

最近は映画を観る前にレビューサイトをつい覗いてしまうことも多いのだが、この作品のレビューも賛否あり、酷評と思われるものも目にした。いつもなら、レビューがあまりよくない作品の場合は、配信まで待つという選択をすることも多い。

ただこの作品については、「映画館で永瀬廉の声を聴く」という大きな目的がある。結果的に、それを独り占めできる空間も味わえたので、それだけで十分元を取ることはできたのだが、さらに映画の内容について期待しすぎていなかった分、観終わった後には「思っていたのと違うけど、良い映画だったな」という感想になっていた。

あらすじ↓

同じ島で育った幼馴染、秋と諒と優太。
東京・高田馬場で共同生活を始めた三人は20歳になった現在でも親友同士。
それは島から連れてきた不思議な生き物「ふれる」が持つテレパシーにも似た力で趣味も性格も違う彼らを結び付けていたからだ。
お互いの身体に触れ合えば心の声が聴こえてくる-
それは誰にも知られていない三人だけの秘密。
しかし、ある事件がきっかけとなり、秋、諒、優太は、「ふれる」の力を通じて伝えたはずの心の声が聴こえないことに気づく。
「ふれる」に隠されたもう一つの力が徐々に明らかになるにつれ、三人の友情は大きく揺れ動いていく-

映画『ふれる。』公式サイト

まず、ビジュアル的にかなり好みである。
キャラクターの感じもいいし、背景の絵も綺麗だった。まぁ、アニメに詳しいわけではないので、あくまで素人の個人的な印象なのだけど。

廉くんが声優を務めた主人公・小野田秋のビジュアルもとにかくかっこいい。その見た目の美しさから、予告やパンフレットなどからは、この主人公と幼馴染2人との美しい友情物語なのかなと、思ってしまう人も多いのでは。私もそうだったし。

ただ番宣で廉くんが、秋のことを「口より先に手が出てしまう」と説明していたことが、私の中ではひっかかっていて。それって、今の時代ではかなりヤバい人ではないか。主人公の性格としてはどうなのかと。
映画の序盤に小学生の秋がまさにその通りで、人とのコミュニケーションが苦手で口で上手く伝えられず、同級生に手が出てしまう。
そっかそっか、子どもの時の性格のことを言っていたのね。と思っていたのだが。

「ふれる」という不思議な生き物のおかげで、諒と優太の2人だけは触れるだけで気持ちが伝わり、親友になることができた。
でも、20歳になっても「口より先に手が出てしまう」ところは、変わっていない。働いているバーのお客さんにキレて手が出そうになっている。

このような秋の性質には幼少期の家庭環境が影響しているという設定ではあるが、ただ人とうまく話すことができない「口下手」という性格だけでも成り立ちそうなところ「口より先に手が出る」キャラクターにしている。それに、他の登場人物の言動やその関係性にも人間のちょっと嫌な部分が潜んでいたりして、そんなところに人間のリアルを感じる。そんな反面「ふれる」自体はファンタジーそのものであったりする。ファンタジーの中にある絶妙なリアルさが、この作品の特徴であり良いところでもあると言える。

この映画で描かれているのは、3人の友情物語というより、秋の成長物語なのではないかと、個人的には感じている。コミュニケーションが苦手な一人の青年が恋の痛みや仕事における葛藤などを経て、成長していく。って、こう言ってしまうと、なんかどこにでもあるベタなストーリーに聞こえる。

「ふれる」の力によってお互いの気持ちをすべてわかっていると思っていた3人だが、実はそうではなかった。悪い感情や相手が傷つくようなことは伝わらないようにフィルターがかかっていた。「ふれる」は空気を読みまくっていたのだ。だが、良かれと思って伝えなかったことにより誤解やすれ違いが生まれ、逆に関係が悪化してしまうという事態に。それまではうまくいっていたのに、恋愛が絡んだ途端おかしなことになってしまったのである。

これも、秋たちが大人になったからこそ起こったことなのかなと。
最終的に、秋は「ふれる」の力に頼らずに、自分の思いを言葉で伝えられるようにもなったわけだし。

思いを言葉にして伝えることの大切さ。改めてそんなことに気づかされる。

そして「ふれる」のフィルター機能について感じたこと。フィルターを通して都合の良いことだけを伝えたつもりでも、それが相手にとって本当に都合が良いかどうかなんてわからない。お互いの気持ちを本当に理解しあうことなんてやはり無理なのである。だからこそ、少しでも思いが伝わるようコミュニケーションをとっていくことが大切だと言っているのだろう。

それで、結局「ふれる」って何だったんだろう?
終盤のなんだかふわっとした「ふれる」の世界観が、個人的にしっくりきていないということもあるが、そもそも「ふれる」は秋にとって本当に必要な存在だったのだろうか。なんて考えてしまった。

「口より先に手が出てしまう」少年・秋には、「ふれる」よりも、カウンセリングや専門的な対処が必要だったのでは。って、そんなことを言うのは現実的すぎるってわかってるけど。それくらい、秋の「口より先に手が出てしまう」がひっかかっていたのかもしれない。

そんな秋を違和感なく演じた永瀬廉くん。今作は「ソーニャ」のときよりも、永瀬廉みが残っているように思えた。それは、秋という若者のリアルさが自然に表現されていたからとも言える。もともとの廉くんの柔らかな声質が合っているということもあるが、キャラクターに寄り添うような演技によって、秋の持つ優しさや危うさのようなものを自然に感じることができた。

他の声優もみなキャラクターに合っており、違和感なく映画に集中できた。特に、優太を演じた前田拳太郎さんはとても初めての声優仕事とは思えないほど素晴らしい演技だった。

廉くんが声優をしていなければ、出会わなかった映画『ふれる。』

観終わって、なんか大きな感動とか、突き刺さるものがあった、とか言えないのは私が若くないからだろうか。それでも、触れて良かったと思える作品ではある。

そうそう、来場者特典でもらったリーフレットに、主題歌用に書き下ろされた小説の録り下ろしボイスドラマ「ふれる。の、前夜。」が聴けるQRコードがついていたので、もちろん聴いたのだが、これが最高だった。主人公3人の背景設定をより詳しく知ることができる。ナレーションとしての廉くんの声は、秋を演じる声とは少し違った良さを堪能できる。本当に贅沢な特典だった。

映画の感想のつもりが、また永瀬廉の声が好きだと言っているだけのような記事になってしまった。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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