「人の集まり」を、結ぶもの
(一部、既存の一般的社会に対する批判的な内容と、少し強めの主観的表現を含みます。苦手な方や、弱っている方は別記事への遷移など、ご検討ください。)
人の集まりにも様々な形があります。学校、会社、職場、親子、夫婦、同志etc...。
これらを結びつけるものも、様々。
一見筋が通る結び方で、一旦は始まってみても、すぐにほどけたり、うまくいかないことはよくあることです。
では、どういった結び方が大切なのでしょうか?
まずは、会社や職場から見ていきます。
会社や職場という場所では、「責任があるから。がんばります!」ということを聞くことがありますが。責任なんて、そもそもありません。とれないので。
なにか起きた時に、本質的な責任がとれるのは、株主かオーナーだけです。
あるのは、
・本人の「意気込み」
・周囲からの「期待」
・契約、約束
などです。
これらの前向きな表現として「責任」という言葉を使っていることになります。
(「責任を取って辞職」というのを聞きますが、あれはなんの責任も取っていません)
本質的な「責任」が取れない人があつまる、「会社」という場所で考えていきます。
会社という組織は、どうしたら、人がきちんと結ばれ、続くのでしょうか?
最もわかりやすいのが、「お金」で結ぶケースです。
非常にわかりやすい一方で、ここには一人一人の人間・心が入っていません。
お金を捻出する大変さや、いただく感謝は当然ありますが、一人一人の人間の「自分の」志は、お金には入りません。暖かいけれど、色がないと言うとわかりやすいかもしれません。
人間の自分の言葉や、自分の心とは関係ないところで人と人が結ばれると、当然心には負荷がかかります。心をなくして自分の時間を過ごすことが増えてしまいます。「プロサラリーマン」ともいうべき、それが得意な特殊能力があれば良いのですが。
「成長意欲・成長環境」で結ぶケース。
一見ステキに見えますが、成長し終わったら、どうなるのでしょうか。
さようならです。
「充実感・やり甲斐」で結ぶケース。
心が満足しているのはとても大切ですが。充実・やり甲斐を自分で同じ場所に見つけ続けることができる人は、これだけ選択肢や情報が多い現代においては、ほとんどいないのではないでしょうか。飽き、悩みます。
また、そうしたうちに条件の変更や不都合があると、うがった見方の人は「やりがい搾取」という、他責・利己的で一方的な表現すら発します。
「本質的に責任が取れない人たち」が集まる場所で、継続的に人と人とを結ぶものは、なんでしょうか。
それは、血の通った志だと考えます。
「自分の言葉・本音」と言っても良いかもしれません。
近年では、それに気がついた頭の良い「枠組み」を作りわかりやすく効率化する人たちが、”パーパス・ビジョン・ミッション・バリュー”等という、ハコものを作ったりしていますが。
そんなものがなくとも、志があって起業し、それを理念・基準として人を採用、運営、していけば、血の通った会社が出来上がります。
賢い人や仕事ができる人、活躍してくれる利用価値のある仲間、ということを重視して採用するのではなくて、です。
ひとりひとりの社員の「自分の言葉・本音」を心から大切にしない企業は、採用基準に如実にそれが出てきます。
・頭の良い人・賢い人・仕事ができる人・言う通りに動いてくれる人
を「良い」として、採用することとなります。
この採用の瞬間、組織と人の「結び」がないまま、また一人、人が増えてしまうことになります。
採用の際は、スキルはあまり無くとも、地頭が良く興味と理解力があり、心から共感してもらえる人を見抜く事が大切です。スキルは入社した後つければ良いですし、メンバーの成長=会社の成長となるので、そこに注力・投資するものです。
・志に共感することを最重要視するか?
これは、とても大切な事ですが。そもそも、その会社や組織自体に血の通った志がないと、共感すら不可能です。「お金を儲けたい」「拡大・成功したい」「上場したい」。これらは「手段」です。それらをすることで「何を実現したいのか?」それは「最重要」で会社としての本音の本気なのか?
また、上記のビジョン・ミッションなどの「ハコ」「枠」に文字を入れてそれらしく見せても、血が通っていなければ、すぐにわかります。
「本当にその内容を実現したい気持ち」と「拡大・成功したい」を天秤にかけた時、その会社は、どちらに重きを置いているか?具体的に、どのような時の、どんな判断で、それはあらわれているか?
それが現場の隅々まで一気通貫して判断軸になっていないと、
「言っていることと、やってることが全く合っていない会社」が出来上がります。
加えて、「会社の進む方向がわからない、だからみんなで考えよう」「差別化しよう」という、そもそも自分たちがなにを実現するために在るのかさっぱり不明な、意味のわからない議論が白熱します。
挙句には、「外の賢い人に自分たちが向かう方向を教えてもらおう!」と、目も当てられない事態に、大真面目で頑張ることとなります。自分不在です。
事業の志を最上位にした経営と、採用があれば、「差別化」や「そもそものゴール探し」は不要なのです。
志を最上位にすれば、あとは必要なのは「整理だけ」となります。
同じ人間は、他に二人と居ないのと同じように、人間の血の通った志は、ひとつだけ。
また、巧妙なのが、
「会社の拡大・成功だけを目的とするなら、血が通っていなくてもいくらでもできる」
ということです。
例えば、志を持たない影響力を持つ人が、山を切り崩した高原で小さな白いボールを吹っ飛ばしながら会話をして、大きな影響を関係性でつないでいけば、拡大はできます。それに価値自体があまりなくとも、チャンスが広がり、拡大できてしまうのです。
これ自体を、志を叶える「手段」とするのであれば、良いかもしれませんが。
「成功する・拡大する」という「手段」の、さらに「手段」、となっているケースがあります。
志や想いがあり、それを最上位に徹底する組織でないと、何が起きるか?
”自分という心をもった人間”が、やらなくて良い(=”気持ちの入らない”)業務が増えまくります。
そうなると、
・仲間が片足しか突っ込まない。大した労力を投じないでお金の旨みだけ期待する
・仲間が離れていく
ということが起きます。
つぎはぎだらけの船で、とりあえず前にすすみ、困ったら、大きな力のある何かで資材を補う。
賢い人に「利用される」組織が出来上がります。
仲間を手段に「利用している」ので必然なのですが。
"人を利用する人は、人に利用される"というのは、常にセットです。
組織の志。その中の人間の志。
そして、その共有と結び方。
仕事の選択肢が多く豊かで恵まれていて。
打ち込む事、ひとつに頑張る事が、誰にでも当てはまる正しい事とされ、誉であるとされている世の中。
そして、自分のやりたいことがよくわからなくても、
「たくさん働かなければ生きていけない」
都会的な社会が今の日本にはあります。
そんな社会ではごく自然に、
「やりたいことや志がなくても、生きていける仕組み」
が発生し、そのような組織や会社が平然と出来上がり、「仕組み」の拡大・成長が目的となり、その中で高所得な方も増え、今日も経済が回っています。
しかしそれらは、志の不在、混じりっ気のない「純粋な自分のコトバ」の不在の拡大を意味します。然るべくして、消費が娯楽となる。
これは、人に起きる不具合の大きな要因であるとも思います。
なかなか多勢に無勢ですが、
志がまだなくとも、やってみる事で景色がみえてくる場所や仕組・機会を続け。
そして、小さくとも、その人の志を、大切にしていきたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?