anything else
僕はこれまで、幼少期を除いて20年以上も、何かしらの虐めや虐げに遭ってきたように思う。それはやはり近しい人たち、学校で例えれば同級生、会社で言うところの上司。ここに、ここ数年で、実家の家族も加わった。
不思議なことに、ここから一歩離れた場所にいる人たち、平たく言うと先般以外の人たちには本当に良くしてもらっていたと思う。外へそとへと関係を広げて行きたくなったのは、あるいは救いを求めたのは、最早、自然の摂理ですらあったのかもしれない。
だから、何者にも代えられない、代わらない大事なひとだと思っている。
同級生の虐めというのは、力に及ぶものもあれば、陰湿な陰口もあった。
会社での虐げは、社内で仲の悪い人同士の揉め事に巻き込まれて仕事が丸ごと無くなったり、社会的に悪事とされることをしているのに、認めないどころか僕のせいにしたり。
それでも、一歩離れたところにいる、行きつけのカフェのマスターや自分のお客さんには本当に支えられてきた。もしも、誰もいなかったら、とっくに色んなものを諦めてきていたかもしれない。
好きなことより、やりたいことより、親や周りを安心させるために、生活することだけを目的にしていたこともある。でも、結局すごく苦しくなって、引き篭もりになってどこにも行けなかった時期もあるし、やけになったこともある。
生きている理由は、ずっと自問自答している。
何ひとつ、自分のやってきたことに満足できた試しがない。
満足したら終わりだと思ってるから。
僕にとって一番大切なひとを、この手から零してしまったあの日のことは、悔やみきれない。大切なものを失った日のことは、これも悔やみきれない。中途半端にやってきたつもりはないけれど、それでも、悲しい。
世の中の普通に、僕はなれなかった。
親は、何もかも、認めてくれなかった。
一番身近な人よりも、大切なひとの方が一番だと思った。
好きなことをやって、好きな場所で、好きな人たちと幸せに生きていきたい。
何者になって、僕がちゃんと幸せにしたい。
そうやって記憶を重ねたい。