1/2成人式から、一生へ
「将来の夢」
小学生の頃、何度も作文やら掲示物に書かされたもの。
新学年になると必ず書く作文のテーマだし、もちろん卒アルにも書いた。
小学4年生の時、20歳の半分だからという理由で、1/2成人式を開催することになった。
担任から
"1/2成人式で「将来の夢」を1人ずつ書いて貼り出すから冬休みの宿題として考えてきて"
と言われた。
特に将来も考えたことないし、なりたいものも何もないな〜とすごく悩んだのを今でも覚えている。
当時、私はかなり冷めている性格だったと思う。
プライドも高い上に、現実主義者。
オリンピックに出たい!プロサッカー選手になりたい!と言っていたクラスメイトを、心の中で馬鹿にしていた。
選手になるほど上手くないだろ、と結構冷めた目で見ていた。
クラスにいるギャルとは喋りたくなかったし、かといって休み時間中本を読んでいる人からも距離をとっていた。所詮、私もガキだったから。
将来の選択肢を広げるために、母はよくキッザニアに連れて行ってくれた。
それに、裕福な方ではないのに習い事もたくさんさせてくれた。
英語、器械体操、ピアノ、習字、ダンス。
体育でも音楽でも恥をかかないようにと母が考えてくれたのに、私はかなり嫌々習い事に行っていた印象がある。
せっかくキッザニアに来ても、私は遊びに来ている感覚だった。ただの職業体験。
何度もキッザニアに行って色んな職業を経験したのに、現実主義者の私が1番なりたかったのはアイドル。
散々人のことを馬鹿にした挙句、保護者が見にくるような場で「アイドルになりたい」とは流石に書けなかった。
ギャルは幸せな家庭を築く❤︎とか子どもが欲しいとか書いてくるんだろうな。
スポーツ選手になりたい!っていうクラスメイトはゴロゴロいるんだろうな。
そんな気楽に書けるもんじゃない。
夢として書いたからには、その職業に就く覚悟で書きたい!と謎のプライドを持っていたので、そんな軽い気持ちでペンを動かす気にはならなかった。
2つ下の妹が、何かのきっかけで「看護師さんになりたい」と言い始めた。妹は、キッザニアで先に看護師の体験をしていた。キッザニア内の看護師の業務内容は沐浴。
私も1度看護師の体験をした。
別に赤ちゃんのお世話をしたいわけじゃないし…。
当時、私はまだ10歳。看護師にも種類があることを知らなかった。
妹でもこんなにすんなり決まっているのに。
プライドが高い私は、まだ小2の妹が私より将来のことを考えているのが悔しくてたまらなかった。
冬休み最終日。
明日ついに将来の夢についての宿題の提出日だ。
どうしよう。
お菓子が好きだからパティシエ…、食べるのは好きでも作るの好きじゃないし。
スポーツ選手?そもそも特別好きなスポーツないし。
警察…?先生…?お花屋さん…?保育士…?
…、どれもピンとこない。
やっぱりアイドル…いや、これはなれるわけないと馬鹿にされる。
ふと、私の母がいつも口癖のように言っていたことを思い出した。
「あなたが大人になる頃は就職が厳しくなる時期だよ」
「女も働く時代なの」
「手に職をつけなさい」
就職がすんなり決まる、手に職で、私の脳内にある、私でもできそうな職業…。
咄嗟に出た。
「私の将来の夢は看護師です。」
こんな半端な気持ちで、私の人生が決まることになるのは、クラスメイトも、家族も、当時の私もみんな想定外だっただろう。
中学に入っても、私は変わらず看護師になりたいという思いで勉強をしていた。
クラスで評議をしたり、ピアノで伴奏をしたり、必死でいい成績をもらうために努力した。
真面目でプライドもずっと高かった。
一度言ったことを、曲げたくなかった。
本当にそれだけで、絶対私は看護師になるんだ!と決めていた。
中学3年の進路調査の時期になった。
英語が得意だったこともあって、担任に英語科のある高校に進学を薦められた。
正直、留学もしてみたかった。
母に相談して、母も"英語話せるのは強みだからいいんじゃない"と言ってくれた。
面談を重ねて、考えてみた。
英語を話せるようになって、その先何をするのかと。
英語の先生にでもなるのか?
いや、教師にはなりたくない。
こんな私みたいな面倒な生徒の相手とかしたくないし。
留学に行ってどうする?現地で友だちができなかったら?英語ペラペラになれなかったらどうする?
色々考えたけど、やっぱり看護師しかないか。
スポーツ選手と言っていた大抵の人は、とりあえず高校や大学に進学して、学びを深めてから進路決めたいと思っていると思う。
ギャルたちは、ネイリストや美容師になりたいとそれぞれの夢を具現化してきた頃なのに。
私だけはなぜか、小学4年の冬休みで時が止まっている。
あの時の自分に固執して、一度書き記したことに変に責任を感じている。
長女だから、母の期待にも応えたいと思っていた。
母がどう思っているか、実際聞いたことはないけど、看護師になれば喜んでくれると勝手に思っていた。
「先生、私はやっぱり看護師になるので普通科の高校に進学します。」
英語科の高校への進学をやめて、普通科の高校、そのまま看護学部のある大学に進学した。
私が進学したのは、総合大学のうちの看護学部だった。
他の学部と混ざって勉強する授業もあり、看護に固執しなくてもいいという学風がウリの大学だった。
結局ほとんどの人が看護師になるわけだけど。
1年の時は座学だけで、全く実習もなかった。
実はまだアイドルにもなりたかった。
歌も好きだったし、ダンスもそれなりに続けていたし。
ちょうどその時、韓国アイドルのサバイバル番組のブームだったこともあり、少し応募しようかな〜と思っていた。
私だってもしかしたら、アイドルになれるかもしれない。
大学行ったけど、別になってしまえば関係ないし。
今なら、まだ間に合う。
そうは思ったけど、2年になれば実習が始まるからな…。
そう思いながら、とうとう大学1年も終わりに近づいてしまった。
大学2年になる前の春休み、世界で大規模な感染症が流行した。
人が外に出れなくなり、家で仕事や授業をする時代になった。
オンラインで本格的に看護の勉強が始まり、アイドルとか言っていられないような状況になってしまった。
私はもう看護師になるしかないと心に決めていた。
そんな矢先、韓国の事務所がたて続けにオンラインでのオーディションを始めた。
K-POPブームにのっとって、世界の隠れた人材を集めに、新しいやり方で募集をかけている。
スカウトよりもはるかに効率的だ。
時間もないし、看護の課題溜まっているし。
スリムなわけでも、顔が特別可愛いわけでもない。どうせアイドルにはなれない。
そう自分に言い聞かせた。
大学2年の夏休み明け、初めての実習。
緊急事態宣言と感染の影響を受けて、オンラインでの対応になった。記録もほとんどパソコンだし、電車にも乗らない。午前で終わりで午後が記録。
世間でいう実習の大変さを知らずに、難なくクリアできてしまった。
実習がちょうど落ち着いた頃、私が入りたいと思った事務所の再エントリーがスタートした。
エントリーの年齢制限を見ると、私の年齢まで応募できるとの文字。
やるならこれがラストチャンスだ。
もしかして、これは神様が私に与えているチャンスなのかもしれない。
もしかしたら、人生が180°変わるきっかけかもしれない。
最初で最後、1発だけやってみるかという気持ちで。
かなり入念に準備をして、エントリーした。
結果は、もちろん一次で落選だった。
合格者だけに連絡が来る仕組みだったが、1ヶ月後も、2ヶ月後も連絡は来なかった。
もしかしたら、まだ来ていないだけかもしれない、、そう思っていたけれど。
とうとう2年生も終わろうとしていた。
まあ、特に期待していたわけではないし。ここでアイドルを諦めるきっかけになったから、これで良かった。普通に恋愛もできるし、食事制限も必要ない。
そうこうしているうちに、あっという間に3年生になってしまった。
実習も本格的に始まった。
感染状況に応じて、病院に行けたり、オンラインだったり。
午前だけだったり、臨床実習は2日だけであとは学内だったり。
領域によってバラバラだったが、記録や課題で寝られない日々が続いた。
15分だけ寝て病院に行く日もあったし、睡眠は電車だけの時もあった。
私、本当に看護師になるんだなあ。
もうアイドルとか、そんな次元ではなかった。
なんで私だけこんなに辛いんだろう、なんでこんなに勉強ばっかりで寝られてないのに誰にも褒められないんだろう。
実習中、毎日生きるのが精一杯で、何度も辞めたくなった。
でも、本来ならもっと寝られなくて、もっとしんどいんだと自分に言い聞かせた。
親不孝になりたくなくて、自分との約束を破りたくなくて。
がむしゃらに1年間やり続けて、なんとか実習を完走した。
大学4年の4月。
就職する病院を決める時も、私は母にこう言った。
「私は、そこに住む地域の人が状態が悪化した時に常に近くにあって、安心して入院できる場所で働きたい。だから、場所が遠くなっても何も言わないでほしい。」と。
私が選んだのは自宅から2時間もかかる病院だった。
是が非でもここで働きたい!急性期でも、その先につながるような医療に携わりたい!やりがいとプライドを持って働きたい!と思っていた私は、ここ以外の場所では働きたくないと思い、入職を決めた。
そうして私は国家試験を突破して、結局看護師として、その病院で働いている。
私の働くこの病院は、地域の身近な存在であるがために診療科の垣根を超えて医療を提供している。
この病院で働き始めてもう4ヶ月が経つけれど、診療科のくくりが曖昧なために、脳から整形まで全てのものを勉強しなければならない。
これが思ったより大変。
術後管理も、呼吸器管理も、看取りも。
それぞれに特徴があって、それぞれが奥深い。
どんなに勉強しても、毎日自分の勉強不足を実感する。
それに、私の病院は連休が取れない。
お盆休みに入ってから、大学の看護学生時代の友だちが帰省したり、連休中遊んでいる姿をSNSで見てどれだけ悔しいと思ったか。
一般企業に勤める友だちが定時で退勤して、毎週飲み会に行き、夏は10連休という話を聞いてどれだけ羨ましいと思ったか。
隣の芝生は青く見えるにしても、いいな〜と思う気持ちは抑えきれなかった。
でも、看護師になることを決めたのは私。
実習が辛くても、看護師になりたい思いで乗り越えたのは私。
この病院を選んだのも私。
休みよりも、お金よりも、やりがいを求めたのは私。
やるしかないと歯を食いしばって、休みには1日勉強をしているし、毎日やりがいを感じながら丁寧に仕事ができている。
患者さんが、昨日より少しでも歩けるようになったり、苦しくなさそうな表情をしていることが嬉しくて。明日も頑張りたいと思える。
もし、私が嘘でもパティシエになりたいと言っていたら本当になっていたかもしれないし、英語科の高校に行ったら今とは全く違う未来だったかもしれない。
アイドルになっていたかもしれない。
看護師になっていても全然違う病院で淡々と仕事をしていたかもしれない。
実習が辛くてやめてたかもしれない。
正直今の道が正解かどうか、全然わからない。
もしかしたら看護師じゃない方が、いい人生を送れたのかもしれない。
でも私は少なくとも、自分の一度決めたことを曲げない性格のおかげでこの仕事に就いた。
感謝されることも嬉しいし、自分の成長が少しずつ見えてくる職業だし、何よりも看護師という資格とある程度の経験で全国で通用する。
両親も看護師になったことを喜んでくれていて、親孝行もできたな〜と思ったり。
私が選んだ生き方が、本当に正しかったかどうかなんてわからない。
だけど、これが正解だったと思いたい。
違う選択をすれば、きっとその選択肢の先の正解があるから。
正直何を選んでも正解だったと思う。
10歳の私が、プライドと勢いで決めた人生も案外悪くない。
その先々で色んな選択をしてきた私も、「私らしいやり方だったな」と今なら全部笑い話なのである。