自己啓発
若い頃から、自己啓発なんてものは大嫌いである。
大学生の時、何をどう勘違いしたのかそんな私を怪しげな自己啓発講座に誘う人がいた。百聞は一見にしかずと誘いに乗って出かけてみた。
予備知識通り、窓のない外の光が入らない部屋で、自己啓発というよりも安っぽい洗脳が始まった。
十名ほどの参加者の中に、桜が二人ほどいたが、それ以外の参加者は本当に涙を流していた。みなが感動している中、きっと一人だけ冷めた意地悪な目をしていたのだろう。
終わると同時に、後ろに控えていたリーダー格の人間に呼ばれて、「君には必要がないようだから二度と来るな」と、慇懃に、しかし怒りを抑えていることが判る口調で言い渡された。
マニュアル化された、大学生の私すら知っていた洗脳の手順には、がっかりしたが、ちゃんと見抜いたリーダー格の人間はさすがのものだなと感心をして帰ってきた。
その怪しげな自己啓発講座に誘ったのは、ある大病院の看護師、それも管理職の人だった。自分から見れば科学の最先端である医療に携わっている人が、このような怪しげな自己啓発講座にのめり込んでいることが不思議であった。
そこで医師や看護師に、なぜそんなものにのめり込む人がいるかを尋ねてみた。
すると同じような回答が返ってきた。要するに、医療の現場にいると自分たちが考える完璧な治療を施して、これで助かると誰もが思った人が突然亡くなったりする。一方で、現代の医療ではもう助けられぬと思った人が、なぜか回復して助かったりする。
もちろん両方とも、詳しく調べれば、きちんと科学的な説明がつくのだろう。しかし、医療現場に働いているのも、人である。その場にいれば、何か人知を超えたような不思議な力があるのではないか、と思うこともある。だから、何か非科学的なオカルト的なものにすがりたくなる人もいるのだ。そう説明された。
私はこの一件で二つのことを学んだ。
一つはあのようなチンケな自己啓発講座では、自分のようなひねくれた人間を啓発することも改善することもできないということ。
もう一つは、医療現場と言う科学の最先端のような場で働いてる人でも、怪しげなものにのめり込む人もいるということ。
30年経ってみれば、大学1年生の若さで、貴重なことを学ばせてもらったと、私を自己啓発講座に誘った人に感謝の気持ちを持っている。