コロナ禍になって困ることも多いが、自分にとって良いこともなきにしもあらずである。 その数少ない良いことの一つが、パーティーが無くなったことだ。 元来、華やかなパーティーになるものが苦手である。無論、若い頃はそういうものに憧れがあったし、普段会えないような人に出会える機会だと張り切って、出かけていた時期もあった。 ところが40を過ぎたぐらいだろうか、誰か来るのがわからないようなパーティーに招待されても、行きたいと思わなくなった。ちょうどその頃、尊敬する先輩から、「
大学2年の冬だった。私は大学の文学部の学生だったので、書道の授業をいくつか選択していたのだが、外部からいらっしゃるご年配の書家の先生方に、なぜだか気に入られていた。 そんな書道の先生のお一人は、私をご自宅や京都で住職をなさっていた寺院に招いてくださっていた。奥様ものんびりした優しい方で、私はこのご夫婦に招かれることを、楽しみにしていた。 ところが、その奥様が急な病で亡くなられ、私の大学の恩師であるT教授と、女流書家として著名だったM先生に連れられて、ご自宅での告別式
昨今は、お節料理を買うことがすっかり普通になっている。また、汗ばむ頃から、「早期割引」などという文字が踊るチラシをあちこちで眼にする。 有名ホテルやレストラン、料亭が自ら販売するものもあれば、「料理長が監修」などと銘打って食品メーカーや通販会社が販売するものもある。 家族の人数も減り、わざわざお節料理を作るよりも、出来合いのものを買ってくる方が合理的だ。人数が多くとも、若い人がいるならば焼肉だの手巻き寿司だのの方が受けもよかろう。 以前に年輩の調理人が、お節料
東北の日本海側にあると温泉地に路線バスで向かった。人口が減って利用客も減り、いくつかの路線が統合されたのだろう。バスは丹念に小さな集落を回り、病院と郊外のショッピングセンターを経由して、ジグザグに進んでいく。 見覚えのある交差点だと思ったら、ついさっき通った交差点にぐるりと回って戻ってきたなどということも、2度ほどあった。 車を運転して行けば、ほぼ直線の国道を走り、30分ほどのところなのだが、バスは、いつまでたっても目的地に着く気配はない。 鉄道の駅を出発した時
鱧の季節になった。 大阪の天神祭や京都の祇園祭の声を聞くと、鱧を食べたくなるというのは関西人の特徴かもしれない。 小学生の頃、夏休みに東京にいる祖父母に会いに行く際、必ず大阪から鱧を運んだこと思い出す。大阪から東京に移り住んだ祖父母が、関西の夏の味を懐かしんで母に調達を頼んでいたようだ。 今でこそ東京でも、夏になれば鱧を出す店が増えているが、つい最近までは関西でないと食べることができなかった食材のひとつである。 鱧を食べるのが難しいのは、骨切りをしなければい
先日亡くなった田村正和さん主演ドラマ「パパはニュースキャスター」などで、二日酔いになった主人公が「頭が痛い。大きな声で話さないでくれ」という場面が出てくる。 当時20代だった私は、これは単なる演出で大げさに言っているのだと思っていた。 会社に勤めるようになって、上司が「そんなに大きな声で喋るな。頭に響く」と言ってるのを聞いても、何を大げさなことを言っているのだろうと思っていた。 当時の私はどんなに酔っ払っていても家に帰り、ベッドに倒れ込み、数時間寝れば自分の中で
緊急事態宣言が出されて、已む無く外食に出掛けても、酒なく、8時までなので、ホテルにも早々戻る。酔っ払うことなく、早々と帰還するので、寝るまでの時間に余裕があり、これこれで悪くない。 この日は先輩たちとヌーベルシノワの店に行った。いつもなら、もう一軒となるところだが、美味しく料理をいただいて無事にお開きになった。 「そうそう、これ。朝に食べなさい。ビタミンCを取るには、これが一番だから」と、先輩の一人が私のジャケットのポケットに蜜柑を入れる。「皮が簡単に剥ける国産のだ
井上ひさし氏の小説に「モッキンポット師の後始末」というものがある。カトリック学生寮の“不良”学生3人組のドタバタと、いつもその尻ぬぐいをさせられ、苦りきる指導神父モッキンポット師を描いた小説だが、かなりの部分は井上ひさし氏の実体験だと言われる。モッキンポット神父のモデルは、自分であると上智大学のポール・リーチ神父自身が言っていたそうだ。 さて、私の師も、カソリックの神父だった。文学部の教授だったのだが、在学当時学長も務めておられた。終戦直後の井上ひさし氏ほどではないが、
6月だというのに、夏日だ、真夏日だと暑苦しい。なんでも、年間5か月程度は、夏日なのだそうだ。夏になったので、幽霊話もよかろう ある時、大手ホテルチェーンのホテルに泊まり、たまたま仕事の関係もあって、そのホテルの支配人と、元そのホテルチェーンに勤めていたという経営者の三人で、バーで軽く飲んだことがある。 その時に、「せっかくですし、こんな機会はめったとないので、伺ってもいですか? やっぱり、出るんですか?」と聞いてみた。 「まさかそんな」と即座に返事が返ってくると
若い頃から、自己啓発なんてものは大嫌いである。 大学生の時、何をどう勘違いしたのかそんな私を怪しげな自己啓発講座に誘う人がいた。百聞は一見にしかずと誘いに乗って出かけてみた。 予備知識通り、窓のない外の光が入らない部屋で、自己啓発というよりも安っぽい洗脳が始まった。 十名ほどの参加者の中に、桜が二人ほどいたが、それ以外の参加者は本当に涙を流していた。みなが感動している中、きっと一人だけ冷めた意地悪な目をしていたのだろう。 終わると同時に、後ろに控えていたリーダー
ある寺の僧侶と話した時に、次のようなことを言われた。 「空地があると有効活用しなくてはいけないと、みんなそう考えるようになっている。なにか少しでも空いていると、何か使わないといけないと強迫観念のようなものを、いつの間にか持つようになった。役に立たないものは悪だという考えだ。排除しなくてはいけない。そういう考えが蔓延した結果が、遊びの無い、余裕のない世の中にしてしまったのではないか。」 自分自身、どうもなんでも有効活用しなくてはいけない、役に立たないことは悪だという考えにい