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Vol.3「何故珈琲なのか」

​もともと俺は中学生の頃から珈琲が好きで、当時の友人(※こいつと共に音楽を始めた。実際、こいつは現在、関西のとあるコーヒーメーカーに勤務している。これも縁ってやつか・・・)と喫茶店に入り(ませガキ)、家でも必ずレギュラー珈琲を飲んでいた。
珈琲の味と香りの中には、これまでの多くの思い出深いシーンがぎっしりと身動きとれないほどに内包され、そんな珈琲の香りに包まれた空間で、これからは職業としてとらえていきたい。
これがやはり何といっても本音。

だが、珈琲という商品、実はビジネス的にも大変優秀なモノであることも、これまた所詮後づけなんだが、わかってきた。
小資本の個人店が扱う商品は、他との差別化もはかるため特殊なものや、いわゆる「ニッチ」の業種という発想から考える場合もあるだろう。
しかし、「飲食」という文化、いやもっと根本的に人間の味覚・嗅覚というものは、元来保守的なものである。
いくら創作料理だ無国籍だエスニックだフレーバーコーヒーだといっても根本的な「おいしいと思う味覚」は結局のところこの百年、いや一万年くらい変わっていない。

だから業種とそこで扱う商品は、「古来より永きに渡り親しまれ、これからもすたれることが考えにくいもの」であることが望ましく、他との差別化・独自性を出すのは業種ではなく、業態やコンセプト、サービス等で打ち出していくほうが効果的である。
つまり商品そのものは国家レベル、国民レベルで普遍性があるもの。
商品そのものは稀少なものであっては困る。
普遍性そして不変なもの。安定した価格で仕入れが可能で、かつ持続性のある商品。
これらを踏まえ、更にシンプルなオペレーションで成り立つもの、それが、俺の中では「飲」では珈琲、「食」ではカレー、に絞り込んだ。

ところで、近年のスターバックスをはじめとするシアトル系カフェの隆盛は、個人の珈琲専門店にとっては脅威となっているように考える店主も多いことと思うが、俺の場合、最高に望ましく、歓迎されるべきことと考える。超追い風。
もともと嗜好品として既に市民権があった珈琲というものに、付加価値、お洒落なイメージが付くことにより、女性層の支持を受けたことは、大変喜ばしいことなのである。
フランスのカフェ、イタリアのバールといった文化を形成するまでになれば最高なので、そう考えるとまだまだもっと浸透してほしいくらいである。

もちろん、立地のバッティングはやはり脅威であることも確かだ。
自分の店のすぐ隣にスタバがあるのは正直困る。
でもこれを回避することは実は簡単で、一等商圏の一等立地に出さなきゃいいだけのこと。
それ以前にそんなとこに出せないだろ(笑)。

次回はそんなわけで立地をテーマにしよう。

※ちなみに珈琲に関する深い部分に触れるのは、今回は頑張って抑えた。
収拾つかなくなる量になるし、珈琲は珈琲で独立したコンテンツが必要だろうと思う。

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