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コンプリート世界史①

1、メソポタミア文明
この文明はティグリス川、ユーフラテス川の流域で起こった。メソポタミアとは「川の間の土地」というギリシャ語からきている。今日のイラクとほぼ重なる。
このメソポタミアからシリア、パレスチナにかけての肥沃な地域は「肥沃な三日月地帯」と名付けられた。世界で最も早く農耕文明が成立した地域で金属の使用や文字の発明などの文明も最初に起こった地域である。
メソポタミアでは2つの大河を利用して早くから灌漑農業が行われてきたが、前3500年頃からこの地域の南部で人口的に急速に増え始めてきた「シュメール人」の大村落ができ、その中心に神殿が建てられた。この地域で銅や青銅などの金属器が普及しはじめ、さらに世界ではじめての文字(楔形文字)が発明された。楔形文字は以後メソポタミアを中心に広く利用される。
前2700年頃にシュメール人の大村落はさらに大きくなり「都市国家」に発展した。都市国家では「神権政治」という神の代理人とされた王が中心となり「神の権威を利用する政治」を行い階級社会が成立した。
前2400年「アッカド人」が勢力を増しその王「サルコン1世」がはじめてメソポタミアを統一した。このアッカド王朝はその後200年程度続いた。アッカド人はシュメール人の文化を取り入れ楔形文字を使って記録に残した。
前2100年頃、シュメール人が再び勢力を回復して「ウル第3王朝」を建てた。この時代のポイントは現在わかってる中では最古の法典(ウル・ナンム法典)を残したこと、大きな塔や神殿を建てたことである。しかし、この王朝を最後にシュメール人は歴史から消えてしまう。
前1900年〜前1700年にかけて「アムル人」が「バビロン第1王朝」を建てた。この王朝は前1800年頃、「ハンムラビ王」の時代に最盛期となる。ハンムラビ王は
⑴メソポタミアを広く統一し都市国家より広大な「領域国家」を成立させたこと
⑵ハンムラビ法典を発布したこと
の2つが重要である。
ハンムラビ法典は「目には目を歯には歯を」の言葉通り「復讐法」の考え方と、科せられる刑罰に差がある「身分差別」の考え方が特徴である。

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