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 スーダン映画『さよなら、ジュリア』が示す和解の困難さ…イスラーム映画祭

 イスラーム映画祭3日目は、『さよなら、ジュリア』を見る。南スーダンの独立など、21世紀初頭のスーダン情勢を背景にした映画だ。国内の「南北対立」を背景として持つこの国の複雑な現実を、個人個人の生きざまを通じて描いた作品。スーダン初のカンヌ国際映画祭出品作としても話題を呼び、国際的に高い評価を受けている作品だ。

 私は、新聞記者として隣国のエジプト・カイロに駐在していた経験があるが、スーダンに行ったことはない。アラブ側からながめていたこともあって、スーダンを「アラブ国家」としてとらえがちだった。しかし、この映画をみて、スーダンは単純なアラブ・イスラム国家ではなく、複数の民族、宗教、文化が交錯する国であることを改めて認識させられた。映画の中で描かれるアラブ系イスラム教徒と、南部に多いキリスト教徒などとの間に横たわる分断は深い。

 主人公のアラブ系女性モナは、裕福な家庭に生まれ、社会的な地位も安定している。一方で、もう一人の主役のジュリアは、首都ハルツームで生まれたが、南部にオリジンを持つ女性。モナの誘いで、モナ夫婦が暮らす家で家政婦として働くことになる。

 ネタバレ回避のため詳述は避けるが、モナのある「過ち」がジュリアの家族の運命を変えてしまい、モナはジュリアに対する償いの気持ちで家政婦として迎え入れる。この設定は、スーダンにおける支配層(北部のアラブ系住民)と被支配層(南部のアフリカ系住民)の関係をある意味、象徴するかも知れない。

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