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検閲を巧みにかわす、イラン映画の伝統を引き継いだ緊迫のサスペンス

イラン映画といえば、アッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」に代表されるような、子どもを主人公に据えたほんわかとした心温まる作品がまず思い浮かぶ。

1979年のイラン革命を機に始まったイスラム体制下で、反体制的な政治的テーマや、エロ・グロ、西洋文化礼賛などの要素は、当局(イスラム文化指導省)の検閲によって厳しく排除されるようになった。キアロスタミをはじめとした映画監督が進む道は、おのずと限定されるようになった。

そうしたイラン映画業界が置かれている環境は、基本的には変わっていないと思われる。しかし、1月16日から日本公開が始まった「ウォーデン 消えた死刑囚」を見ると、そうした状況に変化の兆しが起きているのではないか、とも思えてしまう。

新空港建設に伴い、移転を目前にした刑務所で、1人の死刑囚が行方不明になる。警察署長への栄転を約束され、失策を犯したくない刑務所長は、まだ刑務所内にいるとみられる死刑囚を、あの手この手で見つけ出そうとする。ざっくり言うと、そんな筋書きの「サスペンス」ムービーだ。

まず、ちょっと驚いたのが、時代設定が1966年と、イスラム革命前だったことだ。現イスラム体制側の立場からすれば、イスラム革命前の時代は、西洋化を追い求めた王政による腐敗・堕落した統治の時代ということになる。そういう時代設定で作品を作るのは、かなりややこしいだろう、とは思う。なぜなら、作品中に「王政期がいい時代だった」というようなトーンが少しでもにじめば、当局の逆鱗に触れる可能性があるからだ。

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ただその一方で、王政期という時代設定を取ることで、現在の西洋社会に近いビジュアルにすることが可能になるという利点も製作する側にはあるだろう。もし、イスラム体制下の時代設定にすれば、黒いベールをまとった女性や、ターバンを巻きローブをはおったイスラム法学者を登場させざるを得ないケースもある。だから、これは推測になるが、日本を含めイラン以外の国の人たちに、スクリーンの中の世界が、自分たちと違う社会だという「違和感」をなるべく持たれないような作品にするために、王政期という設定にする必要があったのではないか。

実際、映画で重要な役割を演じる、社会福祉士の女性カリミは、ボディーラインが比較的分かる洋服を着て登場する。イスラム体制下の設定ではまず無理な衣装ではないかと思う。

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ただ、すでに述べた通り、王政期の時代設定にすると「ややこしい」こともある。王政期への賞賛、ノスタルジーをにじませるのは、イスラム体制への手前、避けなければいけない。この作品がそうした配慮にどこまで成功しているのかは、分からない。が、設定上の工夫は相当こらされているとみた。

1966年という時代は、後のイスラム革命で追放されるパーレビ国王が、西欧化を目指して「白色革命」といわれる改革を推進していた王政の最盛期。映画で重要な役割を演じる死刑囚は、農民という設定で、地主に土地を奪われ、地主をうらんで殺害した罪で、裁判にかけられた。白色革命のもとで政府は、大地主の土地を政府が買い上げて農民に分配するという政策が取られた。この王政期の農地改革は1962年に開始される。その2年後には法改正が行われ、前近代的な地主経営は全面的に廃止されることになったが、農民もかなりの負担を背負わされるものだったようだ。

映画は詳細を説明していないが、死刑囚は、この農地改革で不利益を被り、地主との間に対立関係があったということをほのめかしている。つまり、「地主と対立した農民が、地主殺しの嫌疑をかけられる」という筋書きであり、これは、イラン王政の統治の迷走・混乱を示唆するものだ。こうしたストーリーは、王政を倒して権力を掌握した現イスラム体制にとっても受け入れ易い、むしろ好意的に受け止めることが出来る内容だろう。この辺の筋書きが脚本家が相当神経を使って練り上げたのではないかと思われる。

ネタバレになりかねないので詳細は控えるが、ストーリーの終わり方も、「虐げられた人々の解放」というイラン革命の主要スローガンにも合致するものだ。そう考えれば、全体的にみれば、ある意味、体制側から見ても模範的作品だともいえなくもない。

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作品は、2019年にイラン・テヘランで開かれたファジル国際映画祭で「審査員特別賞」を受賞している。ファジル映画祭は、毎年2月の革命記念日に合わせて開かれるイラン最大の国際映画祭。主催するのは、体制と密接な関係があるファラビー映画財団。ここでの受賞は、当局のお墨付きを得たという意味がある。

キアロスタミをはじめイラン国内で作品を製作してきたイラン人映画監督は、40年に及ぶイスラム体制下で、当局の検閲をどう「巧みに」切り抜けるかという「才能」も磨いていた。この映画のニマ・ジャウィディ監督をはじめとした製作チームは、そうした伝統を引き継いでいるようだ。

ペルシャ絨毯や細密なエナメル細工などといったイランの工芸品を見るにつけ、イラン人の芸術センスと「器用さ」に関心するが、キアロスタミ作品にしても、今回公開された映画にしても、そうした技能が生かされていると感じる。

何か「検閲と映画」の話に終始してしまったが、この作品は、息をつかせない追跡劇、ドロドロとした人間ドラマ、大胆で巧みなカメラ回しなど、秀作の要素を備えている。イランの政治・社会に特段の関心がない映画ファンにとっても、充分に楽しめる作品ではないか。

キアロスタミ監督作品のような「ほのぼの映画」、アスガル・ファルハディ作品のような「高度な心理劇」に続く第3ジャンルの作品ともいえ、国際市場でのイラン映画ラインナップがさらに充実していくことを予感させる。

ウォーデンメインビジュアル

作品は2021年1月16日から、東京・新宿K's cinemaなどで上映されている。


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