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分断されたシリア国境の街で味わった、クルドの家庭料理

トルコ南東部の街、ジェイランプナル。ほんの数百メートル先はシリア領という国境の街だけに、うまく言葉にできない独特の緊張感があった。一方で、人間的な温かさを感じさせる場所でもあった。ここを訪れた2013年11月、シリアは内戦のさなかだった。

中東をカバーする新聞記者だった私はこの街で、取材でクルド人の家庭におじゃました。トルコでクルド人は人口比で2割ほどの少数派だが、この街は大部分がクルド人だった。

取材の後、食事に招かれた。ソフラと呼ばれる敷物の上に、香ばしい薄型パンや彩り鮮やかなサラダ、鶏肉がのったピラフなどが並び、家族といっしょに料理を囲んだ。

トルコ南東部ジェイランプナルのクルド人家庭にて

雑談で、隣国シリアの内戦がいかにこの街の住民に影響を与えているか聞き、状況の深刻さをひしひしと感じた。ジェイランプナルと隣接するシリア側の街ラス・アルアインは、かつて同じ一つの街だった。しかし、1923年のトルコ共和国建国に伴い国境線が引かれ、街は分断された。それでも住民の間では家族や友人同士の往来が続き、絆は保たれていた。だが、シリア内戦の激化とともに、状況は一変した。

シリア反体制派内のイスラム過激派ヌスラ戦線によるシリア国内のクルド人への攻撃がはじまった。シリア側に親戚も多くいるトルコ側に住む住民たちも、戦火の中に生活しているといえた。私が招かれた家庭でも、シリア側の親戚や親しい人々の無事を気遣う声が聞かれた。

別の家庭の女子高校生は、シリア側から放たれた銃弾で負傷。恐怖のあまり言葉を失ってしまったという。家族の憤りは痛いほど伝わってきた。招かれた食卓でも、空気には重たさも感じられた。それでも隣に座る子どもが笑顔を見せると、大人たちも少しだけ表情を和らげた。2つの対照的な表情がとても印象的だった。

当時、シリアの反体制派組織「ヌスラ戦線」はクルド人を「背教者」と呼び、敵視していた。トルコ・エルドアン政権が、トルコ側からのシリア反体制派への支援物資供給を黙認しているという証言も聞かれた。

そんな中でも、ジェイランプナルの街で感じられたのは、人々の助け合いの精神だった。戦火の中にあっても、彼らは希望を失っていないようにもみえた。食べ物を一緒に食べ、時には音楽や踊りも楽しむ。そうしたクルド人の生活文化は、変わらず存在していた。

あれから10年以上がたち、シリアのアサド独裁政権が崩壊。政治の構図が一変し、トルコ・シリア国境地帯は、ふたたび緊張が高まっていると聞く。シリア新政権の指導者アハマド・シャラア氏は、クルド人を敵視していたヌスラ戦線の出身だ。シリアのクルド人たちは今後どうなっていくのか。そんなことを考えながら、食事を囲んだクルド人たちの優しい笑顔を思い浮かべた。


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