中東の少数派ヤジーディは、民族なのか宗教集団なのか
ISに徹底的に迫害され、2014年以降、多数が故郷を追われることになったヤジーディと呼ばれる人々。彼は「何者か」を簡潔に説明しようとすると、深みにはまるような気分になる。ヤジーディとは? 民族なのか? 宗教集団なのか? すぐにすっきりとした答えは出てこない。
もともと彼らは、自分たちで「ダーシン」と名乗っていたようである。「ヤジーディ」という名前は、かつては他称、つまり周囲からそう呼ばれていた、ということのようだ。ただし、最近になって、自分たちを「ヤジーディ」と称することは一般的になっている。
「あなたがたは何人?」と尋ねたら、彼らの大多数は「ヤジーディ」と答えるだろう。「ヤジーディ」であることが、彼らの共同体の最も重要なアイデンティティであることは間違いないのだ。
ただ、それでも、「ヤジーディ」を、日本人、アラブ人といった民族と同列に扱うのは若干の違和感がある。なぜならば、彼らが話している言語は「クルド語」であり、その意味においては、ヤジーディは「クルド人」であるとも言えるからである。
実際、ヤジーディに、「あなたはクルド人ですか?」と聞くと、「はい」と肯定するヤジーディは多いと思う。私が知っているヤジーディもそうだった。「ヤジーディ」は、ヤジード教という宗教を信仰するクルド人である、という説明が一般的なのは、ヤジーディ自身にもクルド人であるという意識があるからでもある。
実際、ヤジーディが使う言葉はクルド語の一方言である「クルマンジー」である。クルマンジーは、イラン、イラク、トルコ、シリアなどにまたがる「クルディスタン(クルド人の土地)」の主として北部、トルコやイラクの北西部などで使われている。クルド人の70%がクルマンジー話者とも言われ、話者人口は最大だ。
言語を共有する集団は、民族と呼ばれるケースは確かに多い。「民族の指標は一様ではなく、さまざまな考え方があるが、一つの有力な見方として言語を重要な指標とするものがある」。民族問題に詳しい東京大学名誉教授の塩川伸明氏は、著書「民族とネイション」(岩波新書)の中で述べている。
ただ、その一方で、塩川氏は「一つの言語集団が異なった宗教に分かれていることもあり、その場合、それは一つの民族なのか別々の民族なのかが問題となる」とも指摘する。塩川氏は、キリスト教徒が多数派のグルジア語話者の中のアジャール人(イスラム教徒)や、アルメニア話者の中のヘムシル人(イスラム教徒)、クリャシェン人(ロシア正教に改宗したタタール人)の例を挙げて、彼らを独自の民族とみなすべきかどうか、が、大きな争点となっていると指摘する。
ヤジーディのケースも、類似のケースといえる。つまり、ヤジード教を信仰するヤジーディを、クルド語話者だからといって、クルド人(イスラム教徒)と同じ民族であると言い切ってしまっていいのか、ということである。
ここですぐに結論を出すのは難しい。
「人間集団の区切り方は、抽象的に考えれば、さまざまな括り方が可能でふってどれか一つだけを『正しい』と決めることはできない」(塩川信明)
塩川氏もそう認めている。ヤジーディをクルド人の一部とするか、単独の民族とするのか、簡単にどちらかに決めつけることはできないのは確かのようだ。
ヤジーディのアイデンティティのあり様は、その時代にヤジーディが置かれていた環境によって変化してきた、という実態がある。また、同じヤジーディでも居住地域によっても、アイデンティティに違いがみられる。「時代」と「場所」による相違。そのあたりを順を追って説明していきたい。
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