他人の真似をして生きる人たち



もしかしたらこのシーンを覚えている人がいるかもしれない。

私は一切パリオリンピックを見ていないので、
この写真がツイッターに上がってくるまで知らなかったんだけど。

(私が本当にここにシェアしたかった写真が見つからなくて
別の記事のものになるんだけども。)

この光景を見て、どう思うだろうか?

中国人の女の子が、
イタリア女子二人がとなりでメダルをかじっているのを見て、
思わず真似をしているの図。

最近ツイッターで見たこの写真には
素晴らしいキャプションがついていて、
それが
「自閉症人の行動をみごとに表している」
というようなものだったと思う。

(彼女が自閉症かどうかは関係なく。
実際に何と書いてあったのかすっかり忘れてしまった。)

これを見て、本当に腑に落ちたのだ。

50年以上、自分の特性を知らず、
ただ周りから浮かないように
必死に「真似」することで
「みんなとおなじ」であることに安心してきた。

この女の子のように、
「自動的」に周りの人の真似をすることが
当たり前になっている生活。

だから、自分が何をやりたいのか、
何が好きなのか、
どこに行きたいのか、
はては何を食べたいのか、
わからなくなる。

激しく自分のコアとかけ離れた生き方。

だから私は常に鬱だった。
(診断されたことはないが、振り返ればそうとしか思えない)

私の子どものころの写真は、笑っているものは一つとしてない。
(やっと歩くくらいのころまでは笑っていたか)

七五三の写真も、悲しいくらい暗い顔をしている。

大人になって、みんなと写真を撮るときに
みんな笑っているから、
じゃあ私も、という感覚で
みんなと同じように見えるように
笑うように気を付けてきた。

こんな生き方をしていたので、30代半ばころから
鬱が本格化してきて、いよいよおかしくなるという時に
カウンセリングと出会い、なんとかその場をしのいだ。

少し調子が良くなった勢いで
カウンセラーコースにも申し込んだ。

これはこれでよかったんだけど、
今思い返せば
そのコースでは発達障害について触れられることは全くなく、
その頃の私は、カウンセリングを続ければ
すべてよくなると固く信じていた。

それから15年経ち。

その当時と比べると
世間では発達障害についての認識が格段に増し、
特に大人の発達障害については
確実に情報が広まっていると感じている。

そもそもなぜ私が
自分も発達障害なんじゃないか、と気づいたきっかけは
子どもの不登校が原因だった。

今から3年くらい前だから、私が50歳のころか。

そこから自然に自閉症について調べるようになり、
そこに書いてあることの多くが
自分にも当てはまることに気づいてしまったのだ。

どうしてあのとき、ああいう行動をとってしまったのか、
の理由が分かった瞬間だった。

カウンセリングやセラピーで
トラウマは癒せても、
発達障害の特性はどうにもならない。

気になる特性を受け入れて生きていくことは
確かに必要なことかもしれないけど、
でもやっぱりみんなと同じになりたい。

子どもだったら、この思いは大人よりも強いだろう。

だから、自然とマスキング(お面をかぶること)のスキルが身に付き、
これをやり続けて疲れ果てたときに燃え尽き、あるいは
私のように鬱となり、子どもの場合は不登校につながる。

学校という場は特に、
クラスのみんなが同じ行動をとるように調教されるので、
発達障害気味の子供たちには居づらい場所となる。

だから英国でホームエデュケーションを選択している子供たちの多くは
発達障害だと思われる。

(うちもその一人)

娘のようにDemand avoidance(要求回避)があると
何事も自分から起こす行動でないと不安が勝るので
誰かに合わせるということは相当のエネルギーを要する。

今は学校から解放されて、
不必要なストレスから解放された生活をしているが、
学校で被ったトラウマから完全に回復するには
まだまだ時間がかかりそうだ。


学校のシステム自体が
それこそ50年前とほとんど変わらずに続いていることに驚くとともに、
ダイバーシティなんて言葉だけで、
多様性に対応していない社会に生きる私たち。

多様な人々が、そのままでその人らしく生きていける社会は
本当に実現するんだろうか。



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