見出し画像

想像していなかった未来

この一年、本当にいろんなことがありました(笑

53歳にして

初めて裁判で訴えられる。

子どもの不登校がきっかけで、学校を退学しホームエデュケーションを始める。

借りていたフラットから退去を命ぜられ、2度目のホームレスになる。

それと同時進行で子どもの発達障害が発覚。

そしてそれが娘だけではなく私も同類だったことで今までの苦労が腑に落ちる。

このようなことは、一年前どころか
一度たりとも自分の人生で起こるとは想像もしていなかったのですが。。。
ということで、私が全然#想像していなかった未来というテーマで書いてみようと思います。
このテーマを決めた方はどうも、ポジティブな未来を想定しているようですが、
私がこれから書く内容は全くその意図にそぐわないと思われますが、
(これが典型的なND脳の空気が読めないという症状)
まあ、人生いろいろですからね、
私の苦労話にしばしおつきあいくださいませ。

ちなみに私は人生の半分以上イギリスに住んでいる者です。
ところどころおかしな日本語になっているかもしれませんが、お許しください。


初めて裁判で訴えられる

娘が本格的に不登校になったのは
日本の中学校一年に当たる7年生になった時。
(11歳)

小学校6年生のころから、ほぼ毎日遅刻、
月曜日の欠席率もかなり高く、
学校にサポートを依頼したが、学校も人手が足りず
私が願うサポートは得られないまま卒業。

卒業するほんの少し前に、発達障害かもという道筋が見え、
そこからはとにかくいろんなことをリサーチしまくり、
できる範囲でいろいろ工夫をしてきた。

そんな不安の中始まった新しい学校生活。
(中学と高校が合わさったような年齢構成の学校、セカンダリースクールと言う)

新しい制服を買いそろえ、
小学校とは全く違う環境での生活が始まり、
最初は張り切って毎日通っていたが、
月を追うごとに出席率は落ちていく。

そしてとうとうイースターホリデー
(日本の春休みと同じような時期)以降、
完全に学校へ行けなくなってしまった。
そのまま夏休みに入り、9月から8年生に。

新学期も最初の一週間だけは何とか頑張って行ったが、
やっぱりすぐに行けなくなってしまった。

それまで学校からは親の私が訴えられることを脅され、
しかも子供もある先生から、あなたが学校に来ないとお母さんが訴えられるのよと脅され、
でも脅されたって当の本人が行けないんだからお門違いも甚だしいんだけど、
そうやって学校は親を、子どもを追い込んでいく。

そもそもなぜ子供が学校に行けなくなったのか、
その原因を突き止めることなく
一方的に「親のしつけ」のせいにされた挙句、
かかりつけ医からの手紙は出したところでなぜか
証拠として受け付けてもらえることはなかった。
(その手紙でさえわざわざお金を払って書いてもらったものだ)

私の場合、学校スタッフから差別的な対応をされたこともあった。

その間、FBでそういう親たちのサポートグループを見つけ、
みんな同じなんだ、と多少の安心感を得ることができたのは幸いだった。

娘の通っていた学校は「アカデミー」という一般会社が経営する学校で、
なによりも「出席率」に重きを置き、
(その次にもちろん成績)
高い出席率を確保するために
出席率や態度に問題のある子どもたちを助けるのではなく
予算がないという言い訳を使って切りすてていく。
(イギリスではホームエデュケーションが認められているので
義務教育中でも退学/停学がありえる)

一人一人の子どもの成長なんて二の次、
数字だけを追いかける教育機関とは名ばかりの
完全なビジネスに成り下がってしまっている。

イギリスではどうも、
こういった公立学校のアカデミー化が着々と進んでいて
何年か後には現在の政府直属の公立学校はなくなり
すべてアカデミー化する計画らしい。

ということで、イギリスの公教育の未来はかなり暗いと思われます。

話が横道にそれましたね。。。
(これも#想像していなかった未来ではあります。)

子どもが完全に学校に行かなくなってから
学校からの連絡が途絶え、
静かに放っておいてくれてるのかと思いきや、
ある日、何やら怪しい手紙が届いた。

しかも二通も。

一つはフラット関連だと想像がついたが、
もう一つがなんと、子どもの不登校により私が訴えられたというものだった。

その手紙の封を開けた途端、どん底に突き落とされた気分だった。

よりによって、二つの裁判所から手紙が同日に届くなんて。。。

そして次に私がとった行動は、
とにかく住む場所を確保しなければいけないというとっさの判断から
不動産専門の弁護士を探すことだった。

そうこうするうちに学校から訴えられていることをすっかり忘れ、
年が明けて間もなく、
不登校の件の出頭命令が届いた。

そこからまたパニックが始まり、
不登校裁判に協力してくれる弁護士を探し、
なんとか近場でその経験のある女性弁護士を見つけることができた。

裁判なんて、費用がどのくらいかかるものなのか、
皆目見当のつかない世界で、
さらに私は低所得なため無料で弁護してもらえるのかと思いきや
その弁護士は残念ながらその手続きはしていないとのことだったが、
もう彼女しかいないと腹をくくり、お願いすることにした。

結局裁判所には3回通ったにもかかわらず、
すべて裁判所の不手際で通訳の手配がされず、延期。
(この件も書きたいことがあるが、またの機会に)

その間に臨床心理士からの子どもの症状に関するレポートを提出したところ、
最初の通知が来てから6か月くらい経った頃だったかな、
役所も興味が失せたのか、
彼らのほうからこの裁判を取り下げにしてくれた。

それはそれでよかったんだけど、
じゃあなぜ一体、私を訴えたのか???

子どもの不登校に税金を使うんだったら
もっとほかの使い方があるだろうに?

本当に役所のやることは意味がわからない。
住民が必要なサービスが受けられないことの言い訳に
予算がない、人手がないと言い訳をし、
その実こういった不必要な裁判に税金を使うことはまったく抵抗がないようだ。


子どもの不登校がきっかけで、学校を退学しホームエデュケーションを始める


私はこの過去4年間で、いやというほど世界がどのように回っているのか、
だれがこの国(だけじゃなく、あらゆる国々)を支配しているのか、
はては学校は何のためにあるのかを深く知ってしまい、
通常の学校ではないオルタナティブ教育の道を模索し始めていた。

が、私が仕事をするには
子供は学校に行っていてもらったほうが都合がいいのと、
子どもは学校に行けばお友達がいるので
それも子供にとっては都合がよかったことで
周りのみんなと同じように学校に通っていた。

実際、学校は教育機関というよりも
単なる集団子守りの機関である。

結局この裁判のおかげで
私は子どもを学校から取り戻し
ホームエデュケーションをする決意ができたので
ある意味よかったと思う。

そうでなかったら、子どもの言う通り
学校に籍を置いたまま未だに裁判で戦っていたかもしれない。
(娘は学校を辞めることをしばらく拒否していた。)

娘が学校を辞めてからというもの、私の精神面はかなり改善された。

本当に肩の荷が下りるとはこのことかというくらいに
重荷がすっと消えた。

子どもも学校でのストレスは相当なものだったと思うが、
私の受けていた学校からのストレスも
今振り返ると相当なものだったのだ。

毎日学校に行くというストレスから解放された娘は
とにかく一日中寝ていた。

友達が遊びに誘いに来ても断る回数が増え、
心配したが、娘は娘で家で一人でいるほうが心地いいので
私はそれを見守るしかなかった。

そんな中でも、何かしら毎日学びはある。

イギリスのホームエデュケーションは
学校のように時間表を作る必要はなく、
また決まったテキストがあるわけでもない。

ちなみにホームスクールとホームエデュケーションは別物だ。

ホームスクールは学校に属していて、
学校が家で学ぶものを提供する。

ホームエデュケーションは学校から完全に独立していて、
何をどのように学ぶのかはその家の自由だ。

そのかわり、GCSEなどのテストは自腹となるので
自分でテスト会場を探してテストの準備をする必要がある。

娘は漫画を描くのが上手で、自分で興味のあるビデオやゲームを見つけて
そのキャラクターを描いたりしてるんだけど、
独学にしては本当に上手に描けてると思う。

それから最近は乗馬に目覚め、いろんなビデオを見て
乗馬について研究しているようだ。

ラッキーなことに、近場に乗馬を教えてくれるところがあるので
そこに毎週通うことをとても楽しみにしている。

私も自分の子どもが不登校になるまでは
まさか私がホームエデュケーションを選択するなんて思いもよらなかったが、
実際一年くらいやってみて
本当にこの選択は正しかったと思う。

イギリスでは現在、クラスの半分がニューロダイバージェント(発達障害/ND)と言われている。

娘のように、学習障害がなくマスキングが上手な子たちは
中学校に上がったあたりから歯車が狂い始め、
不登校になったり、態度に変化が出始めことがある。

なのでイギリスの多くのホームエデュケーションの子供たちはND
(もしくはSEND Special Educational Needs and Disabilities) だと思われる。

これは私も驚いたのだが、
イギリスでホームエデュケーションを選択する理由は
私は親の教育方針で選択する人が多いのかと思っていたが、
実は私のように
学校が合わなくてやむなくホームエデュケーションに切り替えたという人がかなりいるということだ。



借りていたフラットから退去を命ぜられ、2度目のホームレスになる

私と娘は現在、書類上ホームレスだ。

ひと月ほど前、10年暮らしたフラット(日本でいう2LDKアパート)を追い出され、その次に暮らす家を期日までに見つけることができず、
役所の手配で緊急用住居をあてがわれた。

私はパートの仕事をしていたので、そこに通える範囲で緊急用住居をあっせんしてくれるものと思っていたが、ふたを開けてみたらなんと
県外に飛ばされた。

片道電車で2時間以上の距離だ。

フラットを追い出されたその日、職場のマネージャーも一緒に役所に行ってくれたのだが、それを聞いた瞬間、二人とも開いた口がふさがらなかった。

他のところはないのかと何とか食い下がったが、私に選択の余地はなく、ここに住まないなら路上だという態度でここを受け入れるしかなかった。

つい数日前、今の住居の管轄の役所の相談窓口に行って
この件を相談したところ、
通常緊急用住居は職場に一時間で通える範囲で探すということだった。

なので、私への対応は大幅にこれを無視していることが判明した。

しかし同時に、ひどく遠くに飛ばされることはある意味常識という認識もある。(ひどい話だが)

とにかく、イギリス全体で低所得者向けの住居が不足しているのだ。

なぜ私が次に住む家を探すことができなかったかと言えば、
それはひとえに恐ろしく高い家賃が理由であろう。

以前住んでいたフラットはひと月800ポンドで、相場からはかなり安い値段にもかかわらず、日本円にすると約16万円。

あんなフラットがそんなに高かったのかと今更ながらに驚くが、
さらに恐ろしいことに、今同じ広さのフラットを探してみると
安くても1200ポンド(約24万円)からだ。

フルタイムの仕事をしている人でも、月2500ポンドくらい(約50万円)の収入がないと無理な家賃だ。

今の東京の家賃相場は知らないが、多分この数字だけを見ると
東京よりも高いかもしれない。

さらに私が探している地域はロンドンではない。
それでもこれだけの家賃相場なのだ。

なので、役所の家賃補助を利用しているわけだが、
そうすると今度は大家がそれを快く思わない。

そしてもう一つのハードルが、連帯保証人だ。

これの審査もとても厳しく、なかなか保証人自体の審査が通らないことが多々ある。

よって、私のような低所得者の家探しは
本当に厳しいのが現実だ。

今の緊急用住居だって、どのくらい住むことになるのか
誰にもわからない。

いつ空き住居が出て私たちの順番になるのか、
皆目見当がつかないので、
今一時的に暮らすことになったこの地域で新しい仕事を探そうにも
非常に微妙なところがある。

というわけで私は強制的に無職にならざるを得なかった。

さて、私がホームレスになるのはこれが二度目なわけだが、
じゃあ一回目はいつだったかと言えば、それは娘が二歳の時。

今から11年前のことだ。

理由はDV夫から逃げるためで、その時はDVチャリティーにお世話になった。

そこが運営するシェルターで一年ほどホームレス生活をし、
やっと見つけた住居がその追い出されたフラットだったのだ。

ということで、また一から出直しということになる。

本当に#想像していなかった未来を今、生きている。


それと同時進行で子どもの発達障害が発覚

私はカウンセリングを学んだことがあり、
こころの仕組みやトラウマについてはそれなりの知識があるほうだと思っている。

ところが、私が学んだカウンセリングコースでは
発達障害について一度たりとも触れられた記憶がなく、
今思えば片手落ちだったなと思う。

今の私だったら、子ども(に限らず大人でも)の強い不安や鬱は
トラウマを疑うと同時に
発達障害の疑いも視野に入れた対応が適切だと思うからだ。

しかし当時の私は発達障害についての認識がまるでなく、
娘の不安はセラピーでなんとかできるものだと思い込み、
セラピストを探したりカウンセリングに申し込んでみたりしていた。

が、肝心の娘がまったくそれに興味を示さない。。。

仕方がないので自分がセラピーを受けることにしたある日。

思いがけないことから、娘の発達障害に目を向けざるを得ない情報が得られたのだ。

それは、私が受けたセラピスト本人が、娘と同じ時間の感覚がないということを話してくれたからだった。

家に着くなり、その「時間感覚がない」ことを検索してみると、
自閉症という言葉も一緒に目についた。

そうだ、これだ!

このセッションがきっかけで、娘の今までの問題行動の理由にたどり着くことができた。

この過程で思い出したのが、忘れもしない
全国学校閉鎖の直前にあった担任の先生との面談。
(独身男性教師)

先生が
「みんなが(うちの子)のようだったら先生うれしいんだけどな」
みたいなことを言ったので、すかさず私は
「この子、家では言うこと全然聞かないんですよ」
と言ったところ、その先生、驚いて固まってしまったのだ。。。

あの表情は本当に忘れられないくらい印象に残っている。

あれだけびっくりするんだから、あの先生にとって
うちの子が私の言うことを聞かないということが本当に想像できなかったんだと思う。

しかし今思えば、この態度の違いを先生は気にしてほしかったなと思う。

これは欲張りな希望なんだろうか?

マスキングの達者な子供たちは、こうやってクラスでは模範だと先生の目には映り、
でも家に帰ると学校での窮屈さから解放され、何もする気がなかったり
メルトダウンを起こして爆発したり、
学校の先生には想像もつかない行動をとることがある。

普通に勉強ができるので、
学校では特別に個別対応が必要だと思われないために
発見が遅れる。
(娘の場合、算数は苦手だが、時間をかければ理解はできる)

しかし、だいぶ後になって分かったことだが、
娘は授業中教室内がうるさい時、
廊下で一人で授業を受けることを申し出たり、
体育の授業の時など、声の響くところで大声で叫ぶ子供がいる時などに
半べそかいたり、
バスで遠出した際に誰かがバス内で吐いた時、ものすごく動揺していた、などの経験をしていた。

そのほかにもあの時のあれは、、、というエピソードは
数えきれないくらいあるが、
残念ながら先生たちには見過ごされてきた。

イギリスの子どもの発達障害/精神疾患の診断はCAMHSというところで一括して行われており、無料の代わりに
例にもれず長い年単位の長い待ち時間がかかる。

娘の場合も申し込みは去年の秋にしたのだが、
面談の連絡が来るのは2年後か、というところ。

イギリスの場合、子どもにとって大事なのは
診断名よりもEHCP(Education Health and Care Plan)という法的文書。

これがないと、学校で必要なサポートが受けられない、あるいは
特別支援学校に通えない。
(その子がどんなサポートが必要か、ということが大事なのであって
診断名は関係ない)

そしてこれも例のごとく、取得にものすごい労力と知識が必要となる。
(申請自体は無料)

さらにEHCPを取得できたとしても、その子にあった学校が近場にあるかどうかというのは、また別の話で。

50年以上何も変わっていない教育システムそのものが問題なんだけど、
だーれもそれを変えようとしない。
どこの政治家もやることは同じです。

こんな未来、想像してなかった。。。



そしてそれが娘だけではなく私も同類だったことで今までの苦労が腑に落ちる


子どもの発達障害について調べていくうちに、
どうにもこうにも無視できない状況になって来た。

これは、自分のことだと認めざるを得ない。

不登校のサポートグループでもやはり同じような親は多いようで、
子どもの発達障害が発覚した後に親も診断を受けたという話はよくあるようだ。

私自身は今のところ診断を受けるつもりはないけど、
自分はニューロダイバージェント(ND)であるということは自認している。

それをしたとたん、今までに感じたことのない自己受容を体感できた。

本当に文字通り、自分が自分の体にはまった、という感覚。

これは何十回と受けてきたセラピーで体感したのとは別次元のはまり具合。

これでやっと、本当の自分になれたという感覚。

今までマスキングすることが当たり前すぎて、
外で、人前でどうふるまったらいいのか分からな過ぎて、
無意識に相手に合わせる生き方をずっとしてきて、
だからDV被害にあっている間も相手の機嫌を伺い、
海外で一人になることが怖くて離れることもできず、
また慢性鬱状態だったことにも気づかず、
ただ自分は泣き虫なんだと思い込み、
さらには食べ物まで相手に合わせて制限して
ひどい栄養失調だったにもかかわらず妊娠し、
最後の8か月過ぎたあたりで胎児の成長がほぼ止まり、
でもなんとか予定日少し前に出産。
(この時、助産師にちゃんと食べてる?と聞かれてもちろんハイと答えた私。当時の私の感覚ではちゃんと食べているつもりだったのだが、
今思い返せば本当にやばい食事法だった。。。)

それまで私は、自分の人生がうまくいかないのは
「すべて」幼少期のトラウマのせいだと思い込んでいた。

でもこれは、最近自分がNDだと分かった時点で、
そうではないことが明確になった。

この気づきのおかげで、急に人生が楽になったような気がする。

53歳にして、このままでいいんだという安心感で生きられるなんて
かつての私は想像していただろうか。

20代半ばのころにインターネットが普及し始め、
まさかその時は私がネット上に何かを表現するなど思いもしなかったのだが、
その私がmixiを始めてみて、世界が変わったのだ。

タイプすると、自分の言いたいことがすらすら表現できることに気づいてしまったのだ。

私は字が汚いこともあって、ノートに向かっても何を書いたらいいのか手が止まってしまう。
(これはNDに起因する症状だと今は理解している)

しかし、タイピングするとよどみなく文字が打ち込まれて
どんどん表現できる。

修正も簡単だ。

タイプすることに完全にはまってしまった私は、
学んだカウンセリングを生かしたいとブログをはじめ、
つらつらと学んだことをシェアしたりしていた。

一時子育てでブログからは離れていたのだが、
またこうしてnoteという場に出会い、
自分で何かを発信できる場があることをうれしく思う。

美しい日本語を忘れないためにも(笑
これからも書いていきたいと思う。

#想像していなかった未来を今、生きています。








この記事が参加している募集