和菓子、この味《天野屋の明神甘酒》
体にすっとなじんでしみ渡り、元気が湧いてくる、やさしくて深い甘味。神田明神の鳥居脇にある「天野屋」の「明神甘酒」を飲み、甘酒の魅力に開眼するお客は数多い。売店の隣のノスタルジックな喫茶室で味わえば(440円、冷やし・495円)、都心や現代であることを忘れるような、癒しのひとときも楽しめる。
同店の甘酒は、米と自家製の糀(こうじ)(=米糀(こめこうじ))のみを用いて、江戸後期の創業当初からの伝統製法でつくられており、無添加・ノンアルコール。糀による甘酒は、近年の発酵食品ブームでその価値が再認識された食品の1つ。ブドウ糖やビタミン、アミノ酸などが豊富なため、“飲む点滴”“飲む美容液”とも言われる。同店でも、若いお客も増えているそう。「手間ひまがかかっても、手づくりのおいしいものをご提供したい。自然で安心なものを、心をこめてつくり続けています」と語るのは、天野史子さん。姉の寿美子さんが5代目の天野弥一さんと結婚したのちに、弥一さんの弟の桂助さんと結婚。代々、家族経営で、史子さんもおもに販売を50年以上担ってきた。
同店の創業物語は、時代劇そのものだ。初代の天野新助さんは丹後の宮津藩出身で、江戸で暗殺された弟の仇討ち(あだうち)のために江戸に来たが、手がかりがなく、往来の多い中山道沿いの現在地に居を定めて仇かたきを探しつつ、地下の「室(むろ)」(地下室)で糀の製造をはじめて1846(弘化3)年に創業。仇討ちは果たせなかったが、自家製の糀や甘酒、納豆、味噌などが代々、高い評価を得てきた。甘酒は江戸時代、とくに夏バテを防ぐ栄養飲料として大人気だったそう。戦争など幾多の苦難ものり越え、現在は、約2年前に亡くなった6代目の博光さんとともに約20年仕事をしてきた7代目の太介さん・弟の辰哉さんが製造している。
同店の特徴は、なんといっても創業時から続く、地下6mに位置する室での糀づくりだ。同店が建つ場所は、関東ローム層で地盤が強固。水はけもよく、温度や湿度を一定に保ちやすいなど、地下の環境が糀づくりに最適で、かつてこの一帯には、地下に掘られた室をもつ糀製造業者が多くいたという。味噌店に糀を卸す業者も、同店を含め多かったが、時代の変遷とともに味噌店が減るなど、糀の需要が減り、ほとんどが閉業。同店が生き残れたのは、みずからの店舗でも商品を販売し、人気を得ていたことも大きかったという。そして、後継者がいたことも決め手に。博光さんは「昔の味と文化を守りたい」という姿勢を貫き、太介さんも「“変わらずここにある味”を大事にしたい」と語る。連綿と続く家族の一貫した思いが、江戸の味を現代につなげてきた。昔は放射状にのびていた、同店地下の90坪弱の糀室(むろ)は、近隣のビル建設によって約30年前に多くが埋められて約10坪となったが、今もこの糀室で製造し続けている。
同店では糀づくりに4日間、甘酒をつくって提供するまでにはさらに数日をかける。マニュアルはなく、「親父に教わったとおりにやっています」と太介さん。まず、地上の工場で米を洗い、1晩水に浸ける。2日目は、朝その米を蒸籠で固めに蒸し、35〜36℃ほどに冷ましながら糀菌(※同店では「麹菌」のことを「糀菌」と表しています。)を付け、専用の穴から地下の糀室に落とす。落とした米は、ムシロの上に敷いた毛布と布で包んで保温し、夕方に手で米を広げてほぐす「床もみ(とこもみ)」を行う。これは、適度に冷ましつつ、糀菌を均等に行き渡らせ、空気を入れて発酵をうながす作業だそうだ。そして1晩、同様に保温して1次発酵させ、3日目に38〜40℃・湿度90%以上の発酵機で約20時間、2次発酵させる。途中、床もみと同じ目的で、混ぜてほぐす「手入れ」を数回行う。
「発酵が進むにつれて、糀菌はどんどん熱を発します。そのままだと温度が上がりすぎて糀菌が死滅してしまうので」と太介さん。4日目、ついに糀が完成。「お米の粒が繁殖した糀菌でおおわれ、真っ白になります」。状態はつねに、経験をもとにした五感で見極める。
その後、糀は地上の工場で、蒸した米、熱湯と合わせて撹拌し、約60℃の温蔵庫で約10時間発酵させて甘酒となる。さらに同店では、常温で数日おく。こうすると甘味が増し、口あたりもよりよくなるそうだ。こうして完成した甘酒は、いわゆる“素もと”で、提供時に水やごく少量の塩を合わせて温めて仕上げる。 糀づくりの一番のポイントは、温度管理だという。糀菌は“生きもの”であり、手入れは夜中にも行うなど、仕事は糀菌の活動と一心同体。まるで糀菌も家族の一員のようだ。この感想に、「そう、赤ちゃんを育てるのと同じよ」と史子さん。太介さんは「僕のなかでは、旅館のお客さまにおもてなしをしている感覚。毛布で保温したり、混ぜて冷ましたりするのは、布団をかけてあげたり、暑かったらあおいであげたりするイメージで。おいしくなってもらうために、精いっぱいお世話をしています」。
こんな背景をもつ糀が、同店の甘酒には満ちているのである。
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※本記事の掲載内容は取材当時のものです。
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