わたしが水着にきがえたら
久しぶりに泳ぎに行こうと思い立ったある日のこと。
長野市も猛暑の予報で、おそらく街に降りたら灼熱地獄。
標高1120mに暮らすわたしは思いました。
「下界の暑さで汗だくになった体で水着に着替えるの、嫌だなあ」と。
汗ばんだ肌と水着は恐ろしく相性が悪いのです。
乾いた水着は汗で湿った肌の上でまったく滑らず、ものすごく着づらい。
前回更衣室での着替えに難儀したことを思い出して、涼しい高原の自宅で水着を着てから出かけることにしました。
25℃の自宅にて楽々サラッと水着を着用し、その上から服を着て、冷房を利かせた車を運転して意気揚々と出発。
自宅から20分ほど走って標高360mの長野市街地に辿り着くと、車の温度計が示す外気温は35℃。
35℃!
「信州=涼しい」と思われがちですが、長野市は長野県にしては標高が低く、盆地で湿度も高いためけっこう暑いんです。
プールに着くまで、絶対に車から降りないと決めたわたし。
さて、市民プールの駐車場にてエンジンを切ると、みるみるうちに車内の気温は上昇。
逃げるように車から降りれば、外はさらに強力な暑さで一瞬たじろいでしまうほど。
駐車場から施設に入るまでのわずかな移動時間に、上は照り付ける太陽から、下は舗装された地面からじりじりとあぶられて、結局すっかり汗をかいてしまいました。
しかも服の下に水着をガッチリ着込んでいるものだから、通常よりも何割か増しの暑さです。
更衣室も湿気があって暑いけれど、今日はもう服を脱ぐだけでOK。
「やっぱり水着、着てきて大正解! でかしたぞ、わたし」とロッカーに荷物を詰め込みます。
嗚呼それなのに、服を脱いでいるうちに、なんだかトイレに行きたくなってしまったのです……。
全然でかしてない、わたし。
愛用の水着はセパレートタイプではなく、上下が繋がっているこんなタイプ。
トイレに行くには全部脱がなければならず、家で着用してきた意味まるで無し。
近頃頻回な尿意など無視して泳げばいいのかもしれませんが、わたしは少なくとも50分間は休まず泳ぎたいのです。
50分でクロールで2000m泳ぐのがルーチンなのです。
仕方ない、ここはトイレを済ませて心置きなく泳ごうと決断してトイレへ。
さて、水着を脱ぐのは比較的楽なのですが、問題は着る方です。
案の定、汗で湿った肌の上で水着は予想外の抵抗を見せてわたしを焦らせます。
スパッツ状の太腿部分を履くだけでもかなりの時間を要し、さらにその後が難所でした。
ただでさえ着にくいこのタイプの水着の上半身部分が、腰のあたりに束になって留まったまま、汗に阻まれて肌の上をまったく滑らず、まるで上がって来ません。
この時ばかりは、今の薄手のピチッとした水着よりも、昔の分厚いモサッとしたスクール水着の方がいいと思ってしまいました。
蒸した狭いトイレの個室内でさらに汗をかきながら、マジでマジで……と慌てつつ、そうはいっても水着だもの、伸びるでしょうと思い切ってグッと肩紐部分を引っ張ったところ、「ピキッ」と小さな音が聞こえました。
(え、何……)と不安になりながらも、ひとまずそのまま勢いで引っ張り上げてなんとか両肩に肩紐部分をかけることに成功。
ところが、おへそのあたりにポッコリと不自然な盛り上がりが。
なんだろう、これ。
まさか……と思って盛り上がり部分を探ってみると、それはわたしの右の胸を覆うはずのパッドでした。
女性用水着には裏に胸パッドが固定されており、わたしの水着の場合は細い紐状のベルトで本体と繋がっていて、その紐が引き千切られて胸まで辿り着けずにおへその位置に取り残されてしまったのです。
おへそ部分に突如出来上がった小さな丘を眺めながら、「今日はもう泳ぐのは止めて帰ろう」という諦めが一瞬浮かびましたが、それでも、と思いパッドを本来あるべき場所に移動させてみたところ、意外にも収まりが良い。
水着がぴったりと圧をかけて、自由の身になってしまったパッドを胸に密着させてくれています。
よおし、これなら大丈夫!
わたしは胸パッドが不安定であることなどおくびにも出さず、颯爽とキャップとゴーグルを装着してプールへと移動し、泳ぎ始めました。
そもそも、キャップ&ゴーグルの匿名性は気が楽です。
だいたいプールに知り合いなんていないし、いたとしても判別できないし、誰も他人のことなんて見ちゃいません。
誰もが自分を見ているような気がしていた若い頃が懐かしい。
最初の50mは腕を上げるたびに気が気ではなかったけれど、いったん足をついて、さりげなく胸を確認したところまったく異常はなく、結局50分間無事に泳ぎ切ることができました。
ただし、いつもと違ってターンの度に立ってパッドを確認したり、比較的胸に安心な平泳ぎをしたりしたため、距離は稼げませんでした。
その後、パッドは老眼と戦いながらの針仕事で無事に固定完了。
皆さまも、乾いた水着を汗ばんだ状態で着用する際は、どうぞお気をつけください。