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夢見る喫茶店

古文の世界では、夢に誰かが現れたら、その現れた人の方が夢を見ている自分を想っている、という解釈をするそうです。
学校の古文の授業で初めてそれを聞いた時、「なんて都合のいい捉え方なんだろう!」と驚きました。
どう考えても自分の方が寝ても覚めても熱烈に想うからこそ、夢にまで見るのだろうに自惚れも甚だしいなあ、と。

でも、店を営むようになって、あの古文の世界の考え方はあながち間違いでもないのでは、と思うようになりました。

本当によくあることなのですが、朝の店の開店準備中に、何の脈絡もなくふと特定のお客様の顔がフッと浮かぶことがあります。
その時によって思い浮かぶお客様はいろいろで、ご来店頻度の高いお客様の場合もあれば、何年もいらしていないお客様のこともあります。
そして不思議なことに、そうやって朝思い浮かんだお客様が、その日、実際にご来店されるのです。

はじめのうちは、わたしに何か予知能力のようなものがあるのかと驚いたのですが、お店を営む大先輩が、

「お店やっていると、朝思い浮かんだお客さんがその日来店することってあるでしょう?
あれ、不思議だよね」

と言っていたことがあるので、どうやらわたしだけの特殊能力ではなさそうです。
おそらくこの記事を読んでくださっている方々にも、同じような経験をされた方はいらっしゃるのではないでしょうか。

お客様毎にある程度のご来店ペースがあるので、わたしが無意識にそれを把握して「そろそろあの方がいらっしゃる頃かな?」と感じて思い浮かべて、それがたまたま当たるのでしょうか。
それとも、わたしが思い出したことでやはり無意識に「そろそろ来て下さいな」と念じていて、それがテレパシーのようにお客様に届くのでしょうか。
あるいは逆に、お客様の方で「そろそろあの店に行こうかな」と考えたことが、わたしに伝わるのでしょうか。

どういう仕組みかはわからないけれど、予知能力やテレパシーとも思える「誰かの思いが伝わる」現象というのは、実はわりとあるのではないかと思うこのごろ。
古文の世界の夢の捉え方も、こちらとあちら、どちらがより強く願ったことなのかはわからないけれど、互いの「想い」が関わっている解釈であることに変わりありません。

強すぎる執念や怨念や情念はコワイけれど、ちょっとした誰かを想う気持ちが、場所も時間も超えて届くのだとしたら、なんかいいですよね。

ひとまず、このnoteを読んでくださっている皆様を思い浮かべて、ご来店を夢見ることにいたします。
お顔のわからない方がほとんどなので、思い浮かべる姿はアイコンだったり、ぼんやりしたイメージだったりしますが、伝わるといいなあ。
もちろん、実際に面識のある方々はお顔を思い浮かべておりますよ。
お店の中でも夢の中でも、お待ちしております。

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