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人生は雪かき
「放っておけば、どうせそのうち消えてなくなる雪なんだけどね」
あちこち除雪しながら夫が呟きました。
そこでわたしは言いました。
「人間だっていずれ皆死ぬのに、生まれてくるしね」
たしかに雪かきは無駄とも思える作業で、たとえ除雪しなくても春になって暖かくなれば雪は自然に解けてなくなります。だけど我々は、積もるたびに労力と時間とさまざまな道具を使ってあくせくと雪かきをします。そうしないと家も車も埋もれていろんな問題が発生するから。
だからいずれ消えてなくなる雪とはいえ、ある程度こまめに除雪するのです。人に迷惑をかけないように、他人と自分が安全で快適であるように。
人間だっていつか誰もが消えてなくなるというのに、生まれてきて、そしてその時を迎えるまであくせくと生きていきます。
なるべく人に迷惑をかけないように、安全と快適を求めながら。
そうやって「どう除雪するか」と「どう生きるか」を重ねて考えると、わたしみたいな「雪かき、寒いし面倒。でもやった後の清々しさはあるから、できる範囲でそこそこやる」タイプは、なんともったいない生き方なのでしょう。
一方、夫のような「雪かき大好き。雪降れば降るほどワクワク。やるからにはとことん楽しんでこだわって、丁寧に美しく除雪する」タイプは、すごく人生を謳歌しているっぽい。
そして、村上春樹の小説に出てくる『文化的雪かき』という言葉を思い出します。それは文章を書く仕事について語られていました。
僕は仕事のよりごのみをしなかったし、まわってくる仕事は片っ端から引き受けた。期限前にちゃんと仕上げたし、何があっても文句を言わず、字もきれいだった。仕事だって丁寧だった。他の連中が手を抜くところをまじめにやったしギャラが安くても嫌な顔ひとつしなかった。……(中略)……雪かきと同じだった。
雪が降れば僕は効率よくそれを道端に退かせた。
何でもいいんです。字が書いてあればいいんです。でも誰かが書かなくてはならない。で、僕が書いているんです。雪かきと同じです。文化的雪かき。
雪の多い地域では「雪かき」自体が当たり前の「仕事」だけれど、そもそも仕事にはこういった「雪かき」的側面がつきものです。
「雪かき」も「人生」も「仕事」も、向き合い方は人それぞれ。
文句タラタラでイヤイヤやるか、やるからには楽しむか、あるいはいずれ消えてなくなるまで徹底放置を決め込むか。
おそらく自分は、どれも「弱音は吐きつつ終了後の達成感のために、手に負える範囲で努める」タイプなのでしょう。若干小さくまとまっているけれど、「除雪」も「人生」も「仕事」も、どんなに苦しい局面でも「終えた後の喜びを信じて精一杯向き合う」を心がけています。
さてさて、皆様はどんなタイプでしょう。
どうせ消える雪を眺めながら、ちょっと考えてみるのはいかがでしょうか。