何かを作っているのは何故だろうという話
今まで、リサーチした物事に関しての投稿を行っていたけれど、雑記のようなものも投稿し始めようと思う。
何かを作るのは何故だろうという話。
この記事では創作の理念みたいなものも含めて書いていく。
表れているもの、見えるもの。
当たり前かもしれないけれど、それは何らかの理由があってそれが存在している。
僕は最近手すきの時間にモノを作っているけれど、そこでふと、どうして何かを作るのだろうかと考えたので、改めてその理由を書いてみる。
今までは、廃棄品を使用してモノを作っていた。そのうえで必要だなと思ったのが、民俗学や文化人類学に分類される事柄だったので、以前の記事ではその分野に関連したものを投稿していた。
そうして作ったのものがこれらの写真だ。
上から順に椅子が2つと、コップが一つ。
それぞれが廃品だったり、日ごろ生活の中で、価値がないと認知されているビニール袋を使用して作成している。
アップサイクルという文化が存在しているけれど、今でこそ日本でもその言葉が認知され始めたけれど、なかなか浸透するまでには程遠い。欧州ではポピュラーなものになり始めている。
僕がこうした作品群を作成し始めたのは何もアップサイクルを広めようということではなくて、ゴミだったり、価値がないものだったりしても、発送や工夫で価値に転嫁できるよねっていうことを伝えたく作成を始めた。
正直なところ僕の性質として結構上がり下がりが激しく、特に下がっている時期は、少しうつ状態にも近い精神状況になったりするが、そうして例えば表情が落ち込んだりすると、意外とそれに付け込んで乏しめたり、悪口を言ったりと精神的に追い詰めようとする人もいたりする。
自殺者数だったり、孤独死だったりの背景について調べたりしたし、経験上少し”変わった?”少なくとも他人とは異なる行動を行うと、”普通は”とか”おかしいんじゃないか”とかそういった言葉を耳にしたりする。
どこか窮屈だよなと感じつつ、そうした窮屈な環境って特に生きていくうえでかなりつらいもので、僕は昔結構そのような環境で生活してたこともあって、「息苦しいよな」と思うことが多々あった。
そうするとどうなるかというと、視野が狭まりがちで、結構希望が見いだせなくなる。
ただ、幸いなことに創作活動を行っていて、特に美術作品を作っていたこと、またデザインを学んでいたこともあって、違う方向からの視点というものを身に着ける機会に触れることとができたため、窮屈な環境への耐性がかなりついたのと、視点が変えられればもう少し生きやすくなるよねと実感できることが多かったので、これはいいものだなと思い制作物を投稿していこうと考えた。その時に、どうしたらそうした視点というものを生み出せるのだろうと考えると、ゴミからでも価値として転化しているアップサイクルは今までの価値観とは異なる考え方を生み出せそうだ。少なくとも、実はゴミ(価値がないと一見思えるもの)でも価値へと変換できるという例を見せられるので、これはいいなと思い、廃棄品の作品群を作っていた。
ただ、現代民具という名称を使って投稿していたけれど、それはそうした考えをベースとしておいたうえで、例えば環境問題に関する話だったり、資源の枯渇だったりを考え、改めて1つの文化として成立できないかなと思い、こうした名称を設けて、制作活動を行っていた。
ここから、少しモノを作るということで大事にしていることについて触れていくけれど、
僕がモノを作る理由というのは単純で、
創造性で世界を広げること。
特に、厳しい環境にいる人に何か希望になれるものを提供する。
最終的には各々が活き活きと生活できるような環境や能力を自ら創出できるようになればいいと考えている。
正直なところそうして理念は掲げたけれど、思いはあっても現在は実力が足らないので、ここはもはや努力していくしかないと考えている。
まずは自分で実力をつけること。そこから始めなきゃいけない。
今後6か月を一つの区切りとして、何かしら目標を立て、結果を出していきます。
頑張ります。