ゲレロとジャガー シンボルの自己への投影による心理強化とコスプレイヤー
ゲレロに関する論文から、ゲレロがジャガーを民俗的シンボルとしてあがめる由来を考察していた。
論文を読んでいる中で彼らが祭礼の際に行っているジャガーの着ぐるみを着る行為の由来が現代におけるコスプレイヤーが行っている別のキャラクターへのトランスフォームと本質として類似性があるように見受けられたため、少し祭礼に関して踏まえつつ変身に関することを投稿してみようかと思う。
もともとのリサーチの由来は、ゲレロにおける過去と現代でのシンボライズされたジャガーの意味性の変化の考察だったが、街中での気づきから、少し話がそれるが”変身”の心理に関して書いていこうと思う。
メキシコ南東部ゲレロ州に居住している民族はジャガーを民俗的シンボルとして用いているという。
古代メソアメリカ地域では自然界に存在する動物や植物、現象に多様な属性を付与していた。その中でジャガーは最も重要視されていた存在の一つであった。
それは、かつての人々がジャガーの攻撃性、卓越した俊敏性や獰猛さ、
闇夜に紛れ広範囲に獲物を仕留めていく業に知性を見出し、
且つジャガーが自然界における序列の最上位であることが起因する。
こうしたジャガーに対するとらえ方がシンボルとして表出され、それは王権の正当性、社会的序列、そして信仰体系のシンボルという多義的な存在として扱われるようになった。このシンボライズの意味の1つとして、最高位の戦士という意味合いがある。
この最高位の存在という認識が、祭礼の中で表出され、ジャガーの着ぐるみを着て男同士が互いに戦いあうのだ。
こうしたジャガーという強力な存在の姿に変身するという行為には心理的な強化を図る心理が存在していたのではないだろうか。
自然界の階級の最上位というジャガーへの認識を、ジャガーの着ぐるみを着ることで自身を社会の階級における最上位として投影させる。
自身という存在を別の存在へと変化させることによって、心理的な超越を図る行為だと推察する。
このような彼らの変身行為は現代においても根強く存在しているのかもしれない。
こうした考えは”Tokyo idle”というドキュメンタリーからもたらされた。
これはアイドル文化を映し出したドキュメンタリーでアイドルとアイドルを取り巻くファンを社会的な分析や考察を踏まえながら映し出している。
僕はここで映し出されているこの文化の背景にある人の行為に、かつてから存在している、シンボルの神格化、
シンボルへの求心性と意味性の付与が存在しているよう推察し、改めて街中の空気感を感じるため、少し秋葉原のほうを歩いてみた。
その際の出来事として、たまたま道路を通っていた軍事関係の小物や服を着ているバイクの運転手がゲレロの祭礼におけるジャガーへの変身へと連想を促す。
彼らのジャガーを崇拝する由来が、現代における”コスプレ”といった文化における、衣装を身にまとう本質と類似性があるように考えられたからだ。
軍事関係の衣装でいうならば、それこそ、ゲレロのジャガーの戦士の着ぐるみと比較的相関性を考えやすい形で推察できるだろう。
自然界における頂点と攻撃性や力強さという印象をジャガーの戦士になることによって、
その力を得るという心理的強化を得るように、軍事関係の服装を着る行為自体も似た性質を帯びているように見受けられるからだ。
人の本質自体は結局のところ古くから今まで多くは変わらない。
アイドル文化という一種の神格的な求心と活動も、実はかつての祭礼と本質がほとんど変わらないのかもしれない。
”伝統的な祭りというものが減少している。”
そんな話を聞いて久しいが、”祭り”自体は減少はしていない。
現代ではそれを現す言葉が文化という言葉に変わり、その文化の中で行われている求心性を持ったシンボルが、かつての時代でいうところの祭礼におけるシンボルではないだろうか?
参考文献
小林貴徳 "民俗的シンボルの生成と聖なる動物 ―メキシコ、ゲレロ州山岳部におけるジャガーの表象―"
http://db.csri.for.aichi-pu.ac.jp/journal/7-5.pdf
写真
Title: Jukani Wildlife Sanctuary
Creator: michelnocture
License: CC BY-NC-ND 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/2.0/?ref=ccsearch