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『体育教師を志す若者たちへ』第2章 授業研究の面白さ ~表現・ダンス~


 表現・ダンスの授業風景ですが、何かを表現しようとしている訳ではありません。意識は①自分の体と床との接点、②ペアの身体との接点、そして③それ以外の身体のどこかを精一杯伸ばす。「表現ストレッチ」です。①②③を教師の合図でどんどん変えていきます。精一杯ストレッチすることが、結果として何かの身体表現になる。そんな体験を積んでいきます。               

『体育教師を志す若者たちへ』第2章 授業研究の面白さ。今回は実技編の最後「表現・ダンス」です。

第2章 授業研究の面白さ ~体育実技編~

7 表現・ダンス
    ~からだとの対話から創作表現へ~

◇必修化の意味と疑問
 学習指導要領ではダンスが必修になっている。必修だからやらなければならないのではなく、ダンスにも様々なジャンルがある中で、必修として学ばせるべき中身は何だろうかということを考えたい。ダンス単元を始めることを生徒たちに告げると様々な反応が返ってくる。恥ずかしいからいやだという反応がある一方で、ダンス好きの生徒やダンス教室へ通っている生徒たちの目は輝く。いずれにせよ、そうした生徒たちがイメージしている「ダンス」は、音楽に合わせて振り付けを踊る、今はやりのダンスなのだろう。リズムダンスの領域になると思われる。これは必修とするべき内容だろうか。
 多くの中学校ではそうしたダンスが体育授業で行われており、ダンス指導の苦手な体育教師も多いことから、年に1度くらいはどこからか指導用のDVDが学校へ送られてくる。こうしたDVDでは、音楽に合わせての基本的なステップをまねさせることから始まる。体育教師は生徒たちにビデオを見せてまねをさせればよいのだ。エグザイルなどの有名人が指導するDVDも最近送られてきた。これを見せれば生徒たちは喜んで動き出す。何の疑問もなく、こうした体育授業が全国各地の中学校で行われており、生徒たちが喜んで踊っていればダンスの苦手な体育教師はほっとする。うまくいった実践は研究会でも報告されている。外部指導者を呼んでの実践も推奨されている。
 私はこうした実践の方向に次の点から疑問を持ってきた。まず、体育教師の専門性は何なのかということ。ビデオを見せてそのまねをさせているだけなら体育教師は必要ないし、体育教師でなくても授業はできる。外部指導者を呼んでくる場合も、体育教師は指導者と言うよりマネージャーの仕事をしているにすぎない。次に、こうした学習なら体育の授業でやらなくても校外にダンス教室があるし、テレビやネットを見ながら家でもできる。必修にする必要はないのではないだろうか。このことは、水泳授業の際にスイミングスクールから指導者を呼んできて授業をしてもらうことと同じだろう。
 いずれにせよ、このような授業は本当に子どもたちの発達において、あるは文化的教養から考えて、その必要性から行っている授業というよりも、学習指導要領にあるから、そして自分はその指導が苦手だから、仕方なく行っているにすぎないのではないだろうか。そうした実践は学習指導要領から削られればやらなくなる。そんな体育教師でよいのだろうかと考える。私もダンスは苦手な体育教師だ。しかしながらこういう道は歩みたくないと考えて、これまで試行錯誤のダンス授業を進めてきた。

◇ダンス好きの生徒たち
 最近の子どもたちの中にはダンス好きの生徒も結構多い。授業でやらなくても生徒たちは自主活動でダンスをやろうとする。私の勤務していた中学校では毎年のように文化祭で生徒会執行部から全校ダンスをやりたいという声が出てきていた。その計画が進むとダンス好きな役員がダンスのふりつけを考え(あるいはどこからか持っきて)、それを文化祭までに全校生徒に覚えさせる取り組みをする。そして本番の文化祭では全校ダンスで大いに盛り上がる。それを見た私は、数日後に行われる予定だった体育祭の準備運動でこれを行ったらどうだろうかと提案し、体育祭の準備運動もまた盛り上がった。体育授業でやらなくても、このような自主活動としての枠を与えてあげれば中学生以上なら自分たちの力で取り組むことができる。盛りだくさんの内容を教えなければならない体育授業でわざわざ取り組む必要があるのだろうかと考えてしまう。
 加えて、私がこうしたダンスを体育授業を行った際に困るとことがある。それは学習内容が何であり、それを教師がどう指導して深め発展させていくのかという見通しが持てないことだ。既製のダンスをまねさせる場合はもちろんだが、リズムダンスの振り付けを創作していく場合や、ある生徒がひとつの動きを提案してきた場合に、それをどう評価して深めさせていくのか、その指導の方向性が見えてこない。
 一般に創作ダンスの学習を進めていく際の指導のポイントとして、これは私が大学の専門の先生から学んでやってきていることだが、誰かが「こんな動きはどう?」と提案したときに、「それはだめ、いやだ」と言ってはいけない。まず真似て一緒にやってみて、それから「こんなふうに変えたら?」と提案していくことで動きを発展させていくことができる。「それはだめ、いや」と言っていると話し合いだけの活動となってしまうからだ。これは大事な指導ポイントだ。しかし追究しようとする表現内容・課題のないリズムダンスでは、一緒に真似るまではできても、その上で「こんなふうに変えたら?」という学習の深まりを教師も一緒になってどう発展させることができるのだろうか。リズムに合って何となくいい感じなら何でもありなのだろうか、その追究の方向性が見えてこない。
 このことは最終的に評価のあり方へもつながっていく。結局ダンスの得意な生徒がダンス教室で習ってきたことを紹介しながら考え、それを素人がまねしていくという授業になってしまいやすい。体育教師も一緒にまねして踊って喜んでいる。そしてダンス教室へ通っている生徒の評価は高くなる。それにダンスの下手な体育教師は太刀打ちできない。
 水泳の授業では、スイミングスクールでも教えてもらえない重要な学習内容があると考えた。ダンス単元においても同様で、ダンス教室では教えてもらえないダンスに関わる学習内容があるからこそ、必修としてのダンス単元を設定すべきであり、その学習内容を明らかにした上で指導展開を考えていくのが体育教師の仕事なのではないだろうか。私は、それを「身体表現の学習」と考えている。

◇身体表現の学習
 以上の問題意識から、本稿では「ダンス」ではなく、「身体表現」あるいは「表現学習」単元と表記していくことにしたい。最初のオリエンテーションの際に私は次のように話をする。
「音楽をかけて振り付けを踊る、そんなイメージを持っている人がいると思いますが、そうしたダンスはここでの中心的な学習ではありません。そういうダンスなら君たちは文化祭でもやっているし、授業でやらなくても自分たちでできるでしょう。世の中にダンス教室もあるし、たくさんのダンスビデオが出回っています。そういうところで習うことができます。
 君たちは、国語の時間には言葉や文字で考えや思いを表現することを学んでいます。音楽の授業では音で表現することを学んでいます。そして美術では絵やデザイン、彫刻などで表現することを学んできています。こうした表現学習の中で、中学校の学習でまだやっていないのは、体を使って表現する学習です。これをこれからやっていきます。」

◇右脳と左脳
 大脳は右脳と左脳に分かれており、その働きには違いがある。『右脳革命』(大前研一訳 新潮文庫)という本があり、体育教師を目指すなら読んでおきたい。人間は左脳による論理的な思考・表現・感覚体系とは別に、右脳による直感的な思考・表現・感覚体系をもっている。人間の発達において右脳の働きを高めることはとても重要であるにも関わらず、学校教育では左脳の働きを高める学習ばかりが多い。
 音楽をかけて、リズムに乗って、真似て踊る。これは右脳をより多く使っている。しかしこれだけでは学習の深まりや追究・発展が共同学習として深まりにくいことは先に述べた。従ってリズムダンスなどは右脳を使うことに慣れるアップとして使いたい。
 創作ダンスを中学生にさせようとすると、まず言葉による思考や話し合いがあり、動き方やストーリーを考え、それを体を使って表現しようとする傾向がある。しかしこれは左脳(言葉=理屈からの動き)から出発しているので身体表現にしようとしても限界がある。話し合いばかりでなかなか動きにならなかったり、あるいは出てきたものがジャスチャーや劇になったりしてしまう。こうした芸術分野も大事だが、繰り返し踊ったり表現したりしていく楽しさには発展していきにくい。体育であれば表現のために体をフルに動かすことの気持ちよさや楽しさを体験できる学習へと発展させたい。
 「まず言葉ありき」なのではなく、体育は「まずからだありき」なのだ。それを右脳で思考し、言葉に置き換えられない、あるいは言葉の域を越えた表現にしていきたい。「言葉による思考→身体での表現」というルートではなく、このルートを逆にする。まず体を耕し、体の動かし方の範囲が広がることでそれらが様々な表現になることを学ぶ。それは「からだが語る言葉」とも言える。その方法や良さの分かってきた人は、言葉よりも体でいろいろと表現したくなるだろうし、繰り返しやりたくなるだろう。そのためにからだほぐしも必要だ。幼児が言葉を覚え始めたときに繰り返しおしゃべりをしたくなるように、からだで表現することの心地よさ、深まりを学習させたい。それはどんなステップで進められるのだろうか。

◇からだが語る言葉
 「からだ」という媒体を使って思いを表現している例は沢山ある。 あごを上げる、あごで使う、首をかしげる、首をひっこめる、耳を貸す、お手上げ、肩で風切る、肩ひじ張る、肩を入れる、手のひらを返す、手をさしのべる、手を引く、手を打つ、手を入れる、手繰り寄せる、手を広げる、胸を貸す、背を向ける、腰が引ける  本腰を入れる、へそを曲げる、足をつっこむ、地に足がつかない、浮き足立つ、ひざを打つ・・・数え切れないくらいあるが、これらはどんな思いを伝えたい身体表現なのか生徒たちと考えてみよう。ここからが学習のスタートだ。
 まずはこうした身体表現の幅を広げていくためにからだの仕組みを確認しながらからだをほぐしていく。以下のことをからだを動かしながら確かめてみよう。
(1)手を広げ、手のひらを返せるのは、上腕骨に2本の前腕骨、「橈骨」と「尺骨」があるからできる。その動きを確認する。 
(2)人の腕の骨は、胴体の骨(胸骨)とは1本の「鎖骨」でしかつながっていない。肩を上げ下げした時に鎖骨がどう動くか確認しよう。そして鎖骨・腕のつながりで上肢を自由に動かしてみよう。肩甲骨は胴体の骨についておらず浮いているのでほぐしてあげれば自由に動く。こうした肩甲骨の動きを「天使の羽」などとも言う。
(3)背骨(椎骨)は、「7本の頸骨」、「12本の胸椎(肋骨がついている骨)、5個の腰椎と仙骨・尾骨で成り立っている。このことで背中はヘビのように動くはず。
(4)骨盤は腰椎を中心に上下左右に動く。そのことで座位で骨盤歩きをしてみよう。
 からだをほぐしていくことでこれらの可動域が広がっていく。

◇「表現ストレッチ」
 からだの仕組みを考え、それを限界まで機能させることが何かの表現になる。まずは「表現空間確認ストレッチ」(1人で)を行う。そこから「表現ストレッチ①」(一人で)、「表現ストレッチ②」(二人で)へと進む。これらは著者が考案した用語だ。「表現空間確認ストレッチ」の例を示そう。まず両手を伸ばして頭上に限界まで上げる。座位でも立位でもよい。その際指先まで意識して天にも届く思いで伸ばす。その時の両鎖骨の角度を確認しよう。まっすぐ腕を伸ばしたつもりでもまだ両鎖骨は水平になってはいないだろうか。この鎖骨を垂直方向に立てるようにするともっと指先は高くまで伸びる。実はこれが限界ではない。片方の腕を下げることによってもう片方の腕の指先ははもっと上まで伸びるのだ。つまり腕で表現できる上方への空間がもっと広がるということ。
 からだの仕組みを理解・確認しながらそれを生かしていくことで自分の体を使って表現できる空間が一層広げられるということを体感する。ついでに鎖骨を意識して両手を上方限界まで伸ばしたらそのまま手のひらを精一杯開いて上に向けて空を見てみよう。「何かが欲しい!」という思いの表現にならないだろうか。しかも「精一杯」表現している。意識はからだの仕組みを利用して精一杯ストレッチすることに向けているのだが、それが何かの精一杯の表現になる。
 こうしたことを座位や立位、その中間位で、上方だけでなく右へ左へ、前へ後ろへ、あるいは片足になって行う。伸ばすのは指先だけでなく、意識をつま先に変えたり頭、肩、背中、腹といろいろ変えてその際に自分が表現できる空間の広さを確認していく。それが「表現空間確認ストレッチ」だ。やっていて気持ちいいし、恥ずかしいという気持ちも起こらない。

 次は「表現ストレッチ①」。どんな姿勢からでもよいが、最初意識は床と自分の体との接点にピンポイントで向ける。立位なら足裏。両足の場合も片足の場合もある。座位なら座骨で、寝転べば背中になる。ある姿勢でのその接点を確認したら床から離れている身体のどこかの一部を「表現空間確認ストレッチ」のように精一杯伸ばす。そして教師は10秒~20秒間隔で「はい、スタート!」と言って合図を出し、合図に合わせて床とからだとの接点を変え、伸ばす体の一部も変えていく。合図の度にだんだんと重心位置を下げていったり、あるいは逆に臥位からだんだんと重心を上げていったりする。ひとつひとつの精一杯のストレッチが何かを表す彫像と考えてみよう。その細かな意味は考えなくてよい。右脳による感覚だけでいいのだ(写真)。

「表現ストレッチ①」 床と身体との接点を意識し、
そこから解放されている身体の1部を精一杯伸ばす

 このひとつひとつのポーズをダンスの世界では「シェイプ」という。ポーズとの違いは、「シェイプ」はポーズとポーズの間の動きも意識して動きの中の1ポーズと考える点にある。したがって「はい、スタート!」と言われてから次の床との接点や伸ばす体の部位をもじもじしながら探してポーズをとるのではなく、それは止まっている間に左脳で考えておく。そして「はいスタート!」の合図があったら流れるように次のシェイプに移行していく。これを授業で行うと最初はどうしてもまわりの仲間の様子を見てもじもじしてしまう。目を閉じて自分の体に意識を向けさせ、意識焦点を床との接点、そして伸ばす身体の一部に集中させていくとよい。そして教師が何回か合図を出した後、最後の合図をしてそのシェイプができたらそのままシェイプを維持しつつ周りを見させる。自分のまわりに様々な彫像作品があることが分かる。これは静かなBGMをかけながら行うとよい。

 そして次の「表現ストレッチ②」に移る。これは2人で行う。今度の意識焦点は①床との接点、②他者の身体との接点、③自分の伸ばす部位、の3点になる。最初にじゃんけんをして勝った方が彫刻家役になり、負けた方が粘土役になる。彫刻家役は粘土を加工してあるポーズを作らせる。これがスタートのシェイプになる。できたら彫刻家は2m離れて座る。準備ができたらBGMをかけ、教師の「はい、スタート!」で、彫刻家は粘土に自分のからだのどこか一部を接して空いたからだのどこか一部を伸ばして一緒にシェイプを作る。静止して5秒~10秒程度したら、「はい、スタート!」とまた合図を出し、今度は彫刻家役は止まったまま、粘土役が動き始めて彫刻家役の体のどこかに自分の一部を接してまた空いた体のどこか一部を精一杯伸ばす。これを教師の合図で交代しながら繰り返していく。
 ここで重要なのは「表現ストレッチ①」と同じ。教師の合図で動き始めてから止まるまでをもじもじしないこと。その時は考えてはいけない。考えるのは自分が止まっている時だけ。この「はい、スタート!」の合図間隔は最初ゆっくり、全ペアができるのを確認しながら進めていき、慣れてきたらその間隔をだんだん短くしていく。そして合図の後の動きにも変化を加えさせていく。BGMを3分程度のものにし、最後のシェイプができたところで全体を見渡させる。すばらしい「彫刻の森」を見ることができる。

「表現ストレッチ②」 次の発展として二人の距離を自由に変えて良いとする。

 次の発展として2人が体の一部を接している状態から離れてもよしとする(写真)。その距離もやや離れたり、近づいたり、接したりをその都度変えさせる。彫刻の空間的広がりが増していく。ここまでの学習では、意味を持たないシェイプが何かの表現になりそうだと感じていく段階になる。そして次の段階はここに教師側からテーマを与えてみる。「闘争」「対立」「不信感」といったものから正反対の「仲良し」「友情」「信頼」といったものをいろいろとやってみる。そしてだんだん体をつかって表現していくことに慣れていく。クラスを半分に分けて見合うことも楽しい。「けんか」といったテーマを与えると接近して殴るまねや突き飛ばす動きが必ず出てくるが、相手に接してそれををするよりも距離をとってそれを大げさに空間的な広がりをもってやった方がより印象に残るということも教えていく。ジェスチャーや劇と、インパクトのある表現動作との違いに気づかせていく。

◇テーマから「モチーフ」の創造へ
 テーマに合わせて体を動かすことに慣れてきたら、クラスでテーマを絞り、グループでの活動に入っていく。テーマは短い言葉でクラスで一つに絞ったほうがよい。なぜなら、短い言葉によるテーマなのに、身体で表現していくとグループによってこんなに表現が違うのかということを知ることができ、それが大事な学習にになるだからだ。「みんな違って、みんないい」のだ。 
 例えば「コロナ」をクラスのテーマにしてみよう。練習として、ペアでの「表現ストレッチ②」の学習からこのテーマでやってみてもいい。いろいろな表現が出てくるだろう。お互いに見合うと周りのペアから様々なヒントをもらうことができる。
 「モチーフ」、これも芸術用語だ。あるテーマに対して特徴的なあるいは中心的なデザインやポーズ、動きなどをモチーフという。「コロナ」というテーマだったらウイルスになってじわじわと人間に迫っていく様子、人が感染して呼吸が苦しくなっていく様子、消毒・殺菌を表す様子、人と人とが距離をとって近づこうとしない様子など、コロナ禍で起きている様々なことに視点を当てることで様々な表現や動きを考えることができる。クラスで「ウイルス」というテーマだけに絞ってもそこには沢山のユニークな表現が出てくるだろう。グループの中でもメンバーは様々な表現を考える。
 ここで大事なことは、前述したようにグループの誰かが「こんな動きどう?」とやって見せた時に、他のメンバーはただ見ていたり、「え~?」とか「いやだ~!」とか否定的なことを言ってはいけない。これは創作の際の約束だ。だれかが一つの表現をしたら必ずメンバー全員がそれをやってみる。そしてそれをヒントにして「こうしたらどう?」と創造的な意見、次の表現をやってみることでどんどん発展していく。そこにはテーマがあるので、テーマにもっとも合ったユニークな、何度もやってみたくなる表現が洗練されていく。これがリズムダンスの何でもありの動きとの違いでもある。そしてモチーフとしての一つの中心的な動き・表現を作り上げていく。その中心的なモチーフとして、やってみて面白い、見ていて面白い、繰り返しやりたくなる、一緒にやりたくなる、なるほどと思うといったものに洗練していく。そしてそのモチーフをアレンジしたサブ的な動き・表現もいくつか考えていくとよい。
 この創作過程では、ジェスチャーの域を越えた印象の強い身体表現になるようアドバイスしていく。例えば心肺蘇生・心臓マッサージをする動きが出てくるかもしれない。正しい心臓マッサージのやり方があるが、それを正しくやったのでは蘇生への思いは伝わらない。ある動きを大げさに強調する、あるいは患者役が施者役の強調した動きに応じて体を動かすことも考えられるだろう。患者対施者という1対1の役割分担にするのではなく、ある時はグループの全員が施者となってリズミカルに胸部圧迫の動きをする。ある時は突然全員が患者役になって蘇生しつつある動きをやってみてもいいだろう。それがジェスチャーを越えたもっと強い思いを伝える身体表現になることを教えていく。

◇ストーリーはいらない
 テーマに合ったモチーフができてきたら、作品の構成に入る。ここではストーリーを作らない、劇にしないということが大事だ。なぜならまだ表現力に乏しい未熟な生徒たちの作品であり、ストーリーを考えて劇にしてしまうと鑑賞の段階で一通り流して終わりとなってしまい、そこには感動や達成感が生まれにくい。繰り返しやりたいとも思わないし、鑑賞する方にとっても、もう一度見たいとか自分もやってみたいとは思わないだろう。鉄棒のところで話したように、「苦労して逆上がりができた、よかった、もう鉄棒はやらなくていいんだ」といったことの二の舞を演じることになってしまう。そうならないためには、表現したいと思うことをより強調するような構成になるように考えていくことだ。役割分担(配役)も固定しない。先に述べたようにも時には全員でウイルスになったり、時には感染者多数、救助者1人あるいは場面に応じてその逆になったりする。
 構成はまず中心的に表現したいメインになるモチーフを設定する。それが決まってきたらその前段階、後段階を決めていく。モチーフをアレンジした動きが最初から繰り返し出てきて全体としての中心的なモチーフを印象づけることもできる。そして最終的にストーリーらしいものが出てくることはあるが、ストーリーをどうしようかといった発想で構成していかないことが大事だ。ストーリーは観る人の感じ方によっても違っていい。観る人がストーリーを想像しながら鑑賞する良さがある。そして観る人も一緒に動いてみたくなる。もう一度観たい、自分もやってみたいとなったら大成功だ。
 BGMは必要だがあくまでBGMであり、強烈なイメージを与えるような曲はかえって作品のイメージを弱めてしまう。創作ダンス用の2~3分の曲がたくさん出ているのでそれらを使っていくとよい。テーマはクラスでひとつ、BGMもひとつ、それなのにこんなに様々な表現があるのかということを学習することに意義がある。

◇鑑賞
 私が「コロナ」をクラスのテーマにした時には、グループ毎のサブテーマに、「ウイルス」「ソーシャル・ディスタンス」「マスク」「ワクチン」「予防」「脅威」といったものが出てきた。発表会前にそのサブテーマでそのグループが伝えたい思いを書かせておき、サブテーマは掲示したが、その思いは発表会の際に鑑賞者には伝えていなかった。発表会では自分たちの発表に意識が向きがちで他のグループの鑑賞に十分な意識が向きにくい。そこで発表者の思いは内緒にとっておいた。
 ストーリーのはっきりしていない創作表現の鑑賞では、繰り返し観ることで様々な新しい気づきが出てくる。そこで後日単元のまとめとしてビデオ鑑賞会を行った。ビデオを観ながらこのグループは何を伝えたかったのかを予想して書かせていく。そして全てのグループを見終わったところで各グループが伝えたかった思いをプリントで配付した。自分の受けとったものと作者の思いとを比べてみることで、また表現に対する深い洞察が行われていった。教師自身も生徒たちの様々な個性的表現からに新たな学びを得ることができた。
 先に発表者の思いを伝えておいてから鑑賞・評価しあう学習もよいかもしれない。

◇他のダンス領域の扱い
 メインは創作表現運動だが、様々なダンスの紹介くらいはしておきたい。私は毎時間最初のアップの10分足らずのところで、フォークダンス、リズムダンス、民舞などをやってきた。わらび座の元祖「ソーラン節」は漁師の力強い労働を正確に表現しようとしたものだし、ロックソーランやキッズソーランはそれをモチーフにアレンジしたものだ。また、ヒップホップのビデオを観ながら基本的な動きをしてみることは、体の仕組みを理解してそれを生かした表現のための身体作り・動き作りになる。
 そうしたアップで体を温めておいて、表現ストレッチに入り、そして創作表現の本題に入っていく。ダンス教室に通っている生徒たちもきっと新しい学びを体験できるだろう。

 次回は 第3章 授業研究の面白さ ~体育理論編~ です。
        


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