おめでとう、25才。
先月25才になった。
もう四半世紀だ。
人生は短いとを身をもって感じた、そんな誕生日だった。
18才くらいから全然心は変わらず、高校生を見ても同じようなカテゴリーにいるような気がする。
25才の誕生日、その日までそうだった。
母くらいの年齢の友人から、「誕生日おめでとう!私は25才の誕生日に高校生から何も変わらない自分に焦ったわ」とか言われて安心してみたりした。
でも少しずつ、少しずつ何かが大きく、カチッとスイッチが入るように、変わる気配がしている。
自分には社会人経験がなくて、それがコンプレックスで、でも多分今回のこの変化にはあまり関係ない。きっと。
なんかもっと自分の芯だと思う。
中学生くらいのときに、一度そう思ったことがある。すごく自分の中の何かが変わって、あの時は自我が生まれた。今回は2個目の自我か、自我の進化かなんかだろうか。
自分の四半世紀を振り返ってよく分かってきたことがある。
どんな場所(国や環境)でも良いところと悪いところがある。
でもその発見を繰り返し、自分にとってより良い場所を探すことは無駄ではないということ。
音楽が自分にとってどんな存在か。彼女がいなければ、こんなに美しいものは知らないし、美しいものが見える心もなかっただろうと思う。
フランスが好きだと直感してここに来たのは、いい意味で若気の至りすぎたし、そういうことがもうできなそうなことも分かる。
あと、それを許してくれた両親の心の広さ。
何が正しいかという基準はあくまで自分でしかなく、自分は正しくないから人の意見を聞くのが大事だというのは生きやすくはないこと。
何が正しいか明確な基準がないからこそ、絶対的でないと分かりながらも、自分の正しさを見つけて真とする強さが必要であること。
恋人には甘えてばかりではいけないということ。
こんなこと全てが今まではぼんやりとしていたり、決めきれなかったりしたけれど、たぶん今回はいろんなことが明確でしっかりと答えが出たのだと思う。
いつかこの先その答えを変えることはあっても、この時はこの答えだったという事実はしっかりと残るのだ。
そんな25才の入口にいる。
次の四半世紀は何をしようか。
好きな人と好きな場所で好きなことをする喜びを、1ミリの罪悪感なくできたらもう私の残りの人生は満点だと思う。
おめでとう。また四半世紀後の私へ。
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