母国以外のどこかに住むということ
私は今フランスのパリに住んでいます。
「住む」と「旅行」の違いは、時間の長さ。
そして時間の長さは、文化を丸ごと受け入れることを住民の私たちに強要します。
丸ごと受け入れるというのは、言語、習慣、食文化や時間感覚を住んでいる場所のものに合わせるということです。
私はまだ住んで1年弱だけど、きっとこれが10年になったりする頃には、その国の嫌な部分までも丸ごと受け入れるのでしょう。
母国以外の国に「住む」と、今までの暗黙の了解や常識が通用せず人や環境と盛大にすれ違ったり、一方で今まで気にしていた悩みから解放されたりしながら、自分の想像できる範囲から大きく離れた価値観で出来上がる世界の存在を知ることになります。
この後私は日本に帰ります。きっと。
そして学校の先生になるでしょう。きっと。
その時です。もし、
仕事は効率ではなく時間の長さがやる気なんだ、嫌でもNOとは言ってはいけない、なんていうとんでもない了解がある職場に私が苦しんでいたとします。
初めて足を踏み入れた社会で、先輩がそう言うのなら、それが世界だと、それが社会人なんだと思うしかありません。
他を知らなければ。
でも、仕事は人生の一部で、人生を豊かにする趣味をやるためのもので、仕事や専門がいくつかあったり、本業は生き甲斐で副業はお金を稼ぐためと分けていたり、そんな生き方がノーマルであるフランスという国の存在を知っていたら、どう変わるでしょうか。
もちろん、フランスではこうだからと職場から帰ったり、NOを言いまくるわけではありません笑
ただ、世界にはいろんな価値感があって、そのうちの日本の、またその中の◯◯県の、◯◯中学の、たまたま校長が◯◯さんの時の環境に、私は今いるだけなんだと、そう考えることができます。
それも本や人の話からの想像ではなく、自らの経験からのリアルな感覚でそう考えることができるのです。
当たり前だろうそんなのって笑ってます?笑
でも人間追い込まれると、視野を狭め、選択肢が減ったように錯覚し、自らを追い込んでしまうものです。
そしてもし、追い込んで追い込んで最後、もうどこかへ飛んでしまいたいと思ったとき。
そんな時も、心が安心して逃げられる場所ができます。
本当にフランスに移住しなくても、逃げるところがあると思うだけで心が楽になるものなのです。
今の私に、いつでも帰っておいでと言ってくれる家族のようにです。
きっと両親はそう言ったらいつでも、あとちょっと頑張ってみようかなと私が思うことを知っているのでしょう笑
う、上手い!!!!
母国以外のどこかに住むということは、つまりそういうことで、ここで過ごす全ての日々が、私の考えの選択肢を増やし、その選択肢の数が今と未来の心に余裕を生んでくれているのです。
両親や周りの人に感謝。
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