男女とXジェンダーと私 1
・間で揺らいでいた頃の話
初めに。
私は、毒親から逃げるまでの30年強の記憶と、息子が酷いいじめにあっていた頃の記憶が途切れ途切れだったり、忘れていたり、曖昧な部分があります。
幼少期の頃の記憶は他の人に比べ、乏しい方です。
記憶がハッキリしている物をできるだけ時系列になる様に、そしてありのまま記しています。
そういう背景がある事を念頭に入れていただき、読んで下さると嬉しいです。
1番古い記憶の中で、私の性の揺らぎと思われるものは、幼稚園の頃。
両親が離婚するまでは、幼い私の感覚的には、違和感や不安、寂しさはあるものの、何とかまだギリギリ普通だと勘違いできる家庭でした。
男ばかり二人産み、女の子が欲しかった祖母は、私が"女"だったこともあり、祖母のせいで仲の悪かった母と二人で私を取り合う様に、毎朝登園前になると、髪を綺麗に色んな形に結い、私は二人のお人形の様でした。
私は確かに女の子らしい可愛い髪型も嬉しかったですし、好きでしたが、短く男の子と同じ様な髪型にもずっと憧れを感じ、可愛らしい髪型や服が好きな時期と、すごく嫌で嫌で仕方がない時期が不定期にありました。
二人が好きに結いやすいよう、お尻より下まで伸ばした髪を二人は切らせてくれず、髪を結っていない時は、トイレに行くのも一苦労。
当時は和式トイレが主流の時代。
床や便器に長すぎる髪が触れないよう、尿意と闘いながら半ベソをかき、必死で髪を持ち上げ用を足そうと大層不便しました。
でも、長い髪は自由自在に可愛い髪型を作れますし、何より、母と祖母に喜んで欲しかったので我慢できました。
しかしある時、とても近所にあった行きつけの美容室へ私の髪を切り揃えに行く日。
祖母も母も用ができ、そこのオーナーさんと親しかった事もあり、私を一人でカットへ行かせたのです。
その時に、スイッチが入ったんだと思います。
「トイレに行くの大変やから、短くしたい。」
私は珍しく、二人にしつこく言いました。
用があったので、私を説き伏せる時間のない二人は渋々了承。
帰宅した私は、祖母と母の想定外の姿になり、二人を落胆させました。
本当はもっと短くお願いしたのですが、美容師さんの遠慮もあり、長めの髪の男の子と同じような段カット。
やっと憧れのショートカットを手にれたのです。
そして、可愛いヘアゴムや飾りはお蔵入りになりました。
しかし、凄く嬉しかったはずのショートカットは山の天気の様に私を振り回しました。
可愛くない。
似合わない。
切って失敗だった。
こんなの私じゃない。
と憂鬱になる私。
スッキリした!
動きやすい!
楽しい!
自由!
かっこいい!
と満足して喜ぶ私。
そんな遠い記憶。
ですから、子供の頃から
女らしく
と言われるのが嫌と言うより、何ともしっくり来ませんでした。
ただ、毒家族、機能不全家族で育った私は"大人にとって都合の良い子"でなければ、やり過ごせない環境だったので、色んな違和感や自分自身の本音を見て見ぬ振りをし、大人たちの顔色を伺っては、愛情を欲しながらもビクビクと暮らしていました。
なので、
女らしく
と言われることが、本当は嫌だったのかもしれません。
幼い頃は、大人の言う通り"女らしく"思考し、選択し、振る舞っていた気がします。
確かにおままごとも好きでした。
クリーミーマミなどの魔女っ子…今で言うプリキュア的なものも大好きでしたし、憧れました。
特に、自分で描いた女の子の絵に色を塗り、自分のデザインした服を描いて着せ替え人形を作るのが大好きでした。
でも、男の子とメンコをする事も鬼ごっこをしたり、木に登って大人に叱られたり。
そう言う事も楽しかった。
ただ、小学2年生くらいからだったと思います。
今まで特に何も考えずできたことに変化が生じ始めました。
学校のプリントの男女どちらかに丸をつけたりすることに、引っ掛かりを感じ始めました。
私は今も昔も小柄なのですが、小学生の頃は運動会の競技になると、闘争心が剥き出しになりました。
男女混合なら尚のことです。
リレーや今ではなくなった騎馬戦や、棒倒し。
勝負事になると掛け声も、言葉遣いもとりわけ荒くなり、大変お口がお上品でした。(それは今もですが)
小柄ですばしっこい私は、棒倒しなどは「どけコラァ!!」と本当に言葉が男勝りというものでは片付けられない乱暴さで、ズンズン棒の頂点付近まで一気に登り切り、周りどころか自分の危険すら顧みず、我を忘れて棒を揺さぶり強引に倒してしまうのです。
練習なのにこんな状態でしたから、当然本番はマークされ、練習の様に上手くはいかず「ちくしょう!」と心の中で悔しがるのでした。
この一連に関しては明らかに男の子だと思います。
大人の前では"良い子"でしたが、同世代の子たちの前では、おてんばで快活。
でも女の子の遊びも好きで女の子らしく遊ぶ。
でも、男の子の仲間に入れ欲しくて、入れてもらえないと疎外感で悲しくなったり。
気まぐれでわがままな、ガサツな部分があるのに、女の子扱いされないと傷ついたり、逆に女の子扱いされると怒ったりと、よくわからない子だったでしょう。
一時期、ある漫画で女の子が自身のことを「俺」と言っているのをみて、自分の中で何かがしっくり来た事と、解放感で私も自身のことを「俺」と言っていた頃がありました。
みんなは漫画に感化されたと思っていましたが、違いました。
共感から自然と起きたものです。
どんな姿形でも、自身のことを好きに呼んでも良いんだと。
ただ、漫画の中で自身のことを「俺」と言っていた女の子は、あくまでも一人称が「俺」なだけの"女の子"でした。
そしてまた、私は髪をバッサリ切っていました。
女の子の友達と数人で遊んでいた時、あるご婦人が「そこの僕?」と話しかけました。
しかし、私は「俺」と言いながら女の子だと思っていたので(思い込まされていたのか、思うように刷り込まれていたのか今となってはわかりませんが)、何度もご夫人が私に話しかけても気づかず、やっと「そこの僕?」が私だと認識した時、不快になり「俺、女やねん。」と仏頂面で言ったのでした。
ご婦人はもちろん大層面食らっていました。
服装や髪型は男の子の様で
一人称は「俺」
なのに本人は俺と言われたことが気に入らず不貞腐れながら「俺、女やねん。」
訳がわかりません。
ここまで書いて読み返し、今の私と照らし合わせてみると、まだ、LGBTQそのものが今よりもずっとずっとマイノリティーであり、男の姿は男。女の姿は女。
それが常識であった時代、枠にはまることを無意識ながらも意識し、ある年齢に至るまでは女の子に寄ったり、男の子に寄ったり揺らいでいたのだと思います。
と、言うのも、幼い頃や10代の頃の方がすごく女の子だったな。
可愛かったなと思う出来事が多々あるからです。
ただ、小学校も高学年になる頃には、性別欄の男女どちらかにチェックをつけるたびに
「女…?女の子なところもあるし、でもガサツだし…でも男?と言うにはそこまで男らしくも無い。うーん…」
と、人知れず男女の選択について躊躇と思案をしてから
「まぁわからんけど、今ままで女で丸してるから、女(にしておこう)」
と、一瞬の葛藤の後、考えても答えが出ないので思考することをやめ、自身へのカテゴライズを作業的に済ます様になっていました。