ラジオに投稿したら採用された日に思ったこと。
TOKYO FMの50周年記念ラジオに投稿をしてしまった。
「音楽」と言うもので人と人と社会と社会を繋いできたラジオ局の記念番組で、80曲の音楽を募集しながら「誰かの思い出」として紹介し、電波に乗ることで、その曲は、「みんなの出来事」に変わる。多分。
そんなことが好きで、思わず自分の1曲を投稿してしまった。
簡単に言えば、3つに別れます。エピソード。
高校に入学をして、クラスの最初の自己紹介でめちゃくちゃタイプの女の子が「oasisが好き」と話していたので、学校帰りに自転車で1時間も離れたCDショップに買いに行き、聴いてみたら衝撃を受けて、ガチな音楽好きになってしまった。
その子とは密かな「クラス唯一のoasis好き仲間」として毎日電話をする関係性になり、告白をした。そしたら、「実は増田くんの親友の○○君が好きで相談したかった。」と言われた。
oasisでつながった僕たちは、まさか彼女が
「イングウェイ・マルムスティーン」の早弾きをこよなく愛する男友達
の元に彼女が去っていくと言う結末を迎える。
そして、ノエル・ギャラガー。僕が大きな病気をしたときに、来日をした。無理して見に行って、未来が見えない中で自分を確かめるかのようにoasisやノエルの曲を聴いていた。
と言う今に至る価値観を作り上げた3つの構成だったわけです。
そして、そのエピソードがきっかけで、2020年4月29日の午後に、公共の電波でoasisが流れて、なんとなく音楽を聴きながらボーッとしたり、色々と思い出してしまった人もいるんだろうなぁと感じてしまったのです。
ラジオで自分の投稿やリクエストが読まれるのって、おそらく生まれて初めての経験だったので、興奮してしまったのです。
「採用された!」と言うよりも、どちらかと言うと、「自分の世界が知らない人たちに向かって飛んで行った」喜びの方が強かった。
それを、「採用」されることでなんか承認された気がした。
だから、ラジオはすごいのかもしれない。
と、思いながら今日朝何をしていたかと言うと、ざらっとnoteを見ていました。最近、手元の本や同僚などとしか話していないケースが多いので、知らない情報や世界にあまり触れていなくて、悩んでいました。
街中を歩き回りながら身体で感じたい派としては、そこがもどかしくて、知らないnoteから誰かを想像してみようと思いました。
気になった記事を勝手に紹介させていただきます。どなたも素敵な視点だったので、興味をもたれた方はぜひ他の記事も。
「たまに思う。僕にも「僕のような」インタビュアーがいてくれたらって。きっと気が合うね。」
ここがいいなぁと思いました。まさに僕自身も「自分の企画をしてくれるディレクターがいたら、毎日話が尽きないのに!」と思って。
でも、自分じゃないディレクターがいるから新しいことを考えることができて、カチガンの違うかもしれないお客さんがいるから
新しい視野を作ることができるのも事実で、どちらでもなのですが、でも、自分と一緒に仕事して、話してみたいなぁと思ってしまいました。
アプリの解説書がカタログになっているってすごい!
FAQ的なものをあえてカタログにしたとしたら、それは機能紹介なので、
確かに・・・成り立つし、手に取る人がサービスを使うときに愛着を持てるのではないかと思いました。
これは色々な考えに活かせそうだな。面白いな。かっこいいな。
「たった一人に向けている」。そっか。自分はこうして書いていて、誰に向けているんだろうと時々思うことがあります。
読んでいただいた方から感想をいただいたリもしますが、おそらく大半は、自分自身に向けての思考整理、まとめをしていたのかもしれないと
気がつきました。
多人数だろうが、特定への私信だろうが、あまり関係なくって、それは人それぞれで、間違いはないのですきっと。
日記のようなものなら、「身近なひとり」に向けて。
ノウハウ系なら、そのノウハウを知らなかったころの「過去の自分」に向けて。
外に目を向いているのでいいな!と思いました。自分はこんな頃に気がついていなかっただろうな。いっつも自分を外に向けてだけいたと思います。
自分自身もある意味他社だもんなー、「わかる」と思いながら読み込んでしまいました。
全ての大体のやりとりがオンライン会議になって、自分が難しいと感じていることは「お互いの温度感をいかに伝えられるか」でした。
心配していた。身振り手振りや、雰囲気で話していると思っていた自分は尚更。でも、結局やってみてわかったことは、
1.きちんと内容を準備する
2.聞き手が不快にならないように耳を傾けながら話す
3.ちゃんと伝いたいことと相手との時間で何をお互いに価値としていくか
が大切で、それって普段の会話と同じで、でも、案外外側の情報に身を任せて考え込んでいなかったことだよなと実感しています。
つまりは「ふつーにやるべきこと、サボってた」なのです。
オンラインでは目を見て話します。基本。だから、相手への説得力や、自分自身への嘘のなさが特に求められるので、正直になりましょうと思いました。
今の時代、サークルはオンラインで盛んですがお手紙と言うオフラインも併用することで、より相手の方への印象や伝えたいことの解像度が上がるのかなぁと思いました。
超同意。
好きな方の10年以上の友達から、「たった一月のお前に何がわかる」と言われたあの日を思い出しました。すごく反省した。
関係性ごとに、
その相手同士でしか分からないつながりを、「恋愛」と言うなんか自分たちが勝手に「最上位関係」と勘違いしそう
なもので飛び越えようとしたら、郷にいれば郷に従えを無視してしまい、色々な関連性を壊してしまいそうになる。
「自分すごいっすよ。だから、任せておけばOKっす」と、ある組織に入ったら、色々なものが壊れる。だから、自分はそっとやるべきことの中から、自分のできることを小さくやればいいのでは。と気がつくことと同じようにも思う。
恋愛も仕事も友情も、誰かが関係性を育んでいく限り、それは変わらないんだろうなと、あえて今みたいな日常だから思ってしまう。
オンライン休憩室。この部屋の存在は優しいなとお見ました。まさに、書かれている通り、喫煙所なんですよね。その喫煙所はビジネスチャットの「random」が賄っていても、実は少し違う。
なんでも気軽に話せる場所がオンライン会議で好きに過ごせるようにあっていいんだなと思います。
つい、デスクにいるとやりすぎ注意になります。
「誰かに対峙したとき、相手を解釈するための尺度はすべて自分の中にあるものだ」これを読んで自己反省。
【自分がやりたいのに、できないこと】を他人に求めてしまっていないか?と時々振り返ることがあります。
誰かに期待するのは、【自分ができないから、あなたに頼みたいこと】にしたい。
過去に浸ることと、過去を活かすことは全く違う。
だから、「過去の経験をリサイクルする」と言う考えに、初心を忘れてはいけないなと思った。引き出しは経験以上は増えないので、どう使っていくかでしかないのですよ。結局。明日は今日の上に出来上がっていくので。
いい。
北斗の拳、見たことないんです。でも、この記事で「北斗の拳とは?」を垣間見てしまった気がします。
誰かに対して、「触れていないものを経験したように語ることのできる話し手」ってすごいなと思います。
自分はそうやって他者に物事を自分の感想としてではなく、「あなたの未来へ」として話せているか、振り返ってみたくなりました。
価値観のボーダレス化は、多様性を生むと思うんですけど、その中に溺れて、軸を見失わないようにとか意識高く考えていると、
今度は意識の高さに疲れます。
難しいことを考えても、結局いつも通りで会話できることの大切さを感じさせてくれる気分になりました。
発表する場所があるから、人目に触れる。これは当たり前のことで、送り手がいるから、作り手は作れる。が循環。
その概念を純粋に「じゃあオンラインがありますよ」とも言えないわけです。生活はオフラインだから。
その中で、数々の知恵を振り絞ってこれからを考えられている施設運営の方には頭が下がるばかりです。
「応援」以降の「持続可能な形」はどうしたらできるだろう。自分の経験が活きるのであれば一緒にこのような取り組みを考える
ことにいくらでもご協力したいと思っています。
ブレスト相手程度ならご協力いたたしますので、よかったらDMでもください。
「全ての業界のゲームチェンジ」はまさにそうで、毎日実感しています。
それどころか、自分さえもゲームチェンジ。
そのさじ加減に今は悩んでいます。
「不確実で変化の激しい状況では、外部要因から考えるだけではゲームチェンジは起こせない。」
「原体験⇆ビジョン⇆マーケティングの循環をつくる」
まさになんですよね・・・。原体験が他人を動かす潤滑油になり、自分を動かす原動力になり、さらには客観視にもなる。
形だけなら正直、勉強すれば知識とノウハウ、形は手に入ってしまうので、何をやるかではなく、「どう活かすか」は原体験からだろうなぁと思います。
見つめ直すいい機会でした。大事だよな。だから、人に会って、話して、いろいろ経験して、原体験を増やしたんだよな。
机の上でだけ考えられたUXなんて、誰に伝わるんだろう。
CrowdCraftすごい! 「主役はずばり、作りたい人。」の時点で刺さるし、立場によって当たり前は違い、
その「実はできなそうなことは実現する」の可視化とつながりが作れる大チャンスの時代にいるかもしれあいんですよね。
で、お互いの必要性は出会わない限り気がつかない。
これは面白い。もっともっと深掘りしたい。
今、たくさんの支援型ファンディングが行われており、皆さん本当に知恵を絞って身を削りながら対応していることに尊敬の念を抱きつつ、
この取り組みが純粋に素敵だと思ってしまいました。
基本的に、「応援していくこと」はtoの関係性です。
その中で、「紡いでいく」ストーリー性を持っている。
今、もしかしたら他者のストーリーを考える余裕なんて少しまだ先までないかもしれないけれど、でも、送り手の気持ちを受け取るからこを対価が発生して、みんな生きていけると信じていたいのです。
素敵なお店にはそれだけの誰かの心の拠り所になる理由があります。
そのストーリーを多くの方に紡いで行かれたらいいなと思いました。そこから新しい価値観が生まれたらいいですね。
今、在宅で一人っきり実家のリビングで仕事をしているので、基本ラジオを聴いています。誰とも打ち合わせ以外で雑談しないのがヤバいなと感じてはいるのですが、そんな中で気がついたこと。
「昼間のラジオは休憩室、喫煙所的なトークルーム」
「深夜ラジオは個人の文通」
だなと。
改めて音声メディアすごいぞを感じとる中で、 この方のラジオとの出会いを国名に描かれているのはもしかしたら、自分の部屋や布団の中で、いろいろ考えながら見えない誰かと共有していた時間があったんだろうなと
思わせてくれました。見えない共有はいいな。
集まれなくなっている今、1つの画面の中に複数の人間が映り込んで会話をすることは、ある意味「ドキュメンタリー」なのであって、でもそこから生まれるのは「物語」なのです。
見え方とかではないんだよな。多分。内容の方がもっと本質的に表れてしまうので、大事なんだよと思わせてくれます。
今あえて思うのは、加工は通用しなくって、むしろ「本物」しか伝わりにくいデバイスでみんなやりとりしているぞ!と言うこと。
しっかりせねば。
そして、今日改めて感じたこと。
「場所の共有」から「時間の共有」。
こちらの無人劇を友達と申し込みました。
普段は会話も少ない友人。
演者も、制作もいなく、セットもない演劇。つまりは想像。
開演時間に深呼吸を一緒にして、その時間を過ごした場所の写真を送り合い、今の気持ちを「公演の感想」として電話で話しました。
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そして、演出のフルタさんから言われて気がつきました。
スタンダップコメディ、おはようインコさんの本多劇場から1年だった。
2019年4月29日、僕たちは本多劇場公演をしました。
この日は1日、バタバタとしていて、インコさんのお水さえ、もらって帰れない事態になるくらい動き回っていました。公演自体は玉ですよ。玉。
輝いていた。
今年の6月の羽田空港は残念ながら延期ですが、オンライン公演はあります。
インコさん自体は、いろいろな企画を続けていますので、Twitterをフォローしてみてください。
映画の話したり、イラスト書いたり、個人的にも普通に好きなアーティストなんですよね。
と、遅くなりましたが、映画見ます!