物語は午後8時から
相変わらず自分1人で時間を潰すのが苦手。
それは空いている時間を喫茶店で過ごしたり、自宅でNetflixを見たり、何か料理をしてみたり、部屋の掃除でもしたり、リビングでのんびりと読書をしたり、おそらくはそういうことが、「おうち時間」とでもいうのだろうけれど、僕にはできない。
どうしても、家は寝て、お風呂に入り、PCの前で何かをしてしまう場所なのだ。
没頭するには、強制的に集中できる場所が必要だ。
なんでそんなことになっているかをいわゆるステイホームと呼ばれる時間を過ごすことで嫌でも自問自答する羽目になっている。
仕事が終わったら、そんな時間は「アフターファイブ」と呼ぶことを、僕は大人から教えられていた子供の頃。
待っている「その後のお楽しみ」のために、昼間、お金を稼ぐ。
資金調達時間は、必然的に、1人で行うものではなく、送る人と、受け取る人がいるので、社会が成り立っていて、結局は誰かへの贈与とお礼で成り立っている。
アフターファイブというのは、誰かのために自分の持てる力を提供した後に、そのご褒美として、「自分のための時間」を過ごすためにあるもんだとずっと思ってきた。
それは実際、間違いでもなく、夕方になれば、映画も、コンサートも、演劇も見ることができる街、東京に住んでいる理由でしかないとお出かけをして行った。
20時までです。という世間は思いの外、僕の生活には大きくのしかかる。
映画、17時からが最後。寄席もコンサートも、20時で終わる。その後、余韻に浸りたくても喫茶店もなくって、プロの手仕事が口にできないなんて、
僕はどこで余韻に浸ればいいのだろうと最寄り駅まで強制的に電車に引き込まれながら、考える。
電車。満員電車の時間が少し変わる。思い思いの時間を過ごした後は、終電というタイムリミットがあって、僕たちはその間、思いっきり明日への活力を手にするために、身近な誰かや、自分自身を美味しい食べ物や、スポーツや、芸術の世界に浸らせた後に、余韻というなのぼんやりとした気持ちを少しだけ言語化させるために感想なんかを言い合いながら過ごして、
駅でバイバイすることができた。
そんな時間軸が少しだけ変わってしまった今、僕はというと、少しだけ目の前のお楽しみに集中、没頭することができなくなってきているような気もしている。今まで、終わった事後の情報整理を、どうしてもその場で同時進行してしまっているのだ。
少しだけ困る。
「花束みたいな恋をした」という映画が話題だ。
明大前駅で終電を逃した2人が、行く当てもないので飲み屋に入り、居合わせた大御所映画監督に反応することでまず、お互いの趣味や価値観が絶妙にすり合わされてしまうという瞬間を感じて、その後に入る居酒屋で話し込むことで「その先」の可能性を少しだけ信じてしまうところから、21歳の2人の物語は始まっていく。
21歳の大学生だった僕は、音楽が大好きで、レコードを買って終電まで友達と音楽談義をして、帰ろうとして終電を逃して、クラブで朝まで時間を潰していた。
今、同じ状況になったらどうしようかね。とふと考えてしまった。
終電は23時台まであるけれど、「じゃあ後はLINEでも」とはそうもすんなりとは事は進まないのではないかと思いながら見てしまう。
17時台に急ぎ足で駆け込んで体験したコンテンツは、20時までの3時間に詰め込んで駆け足で感動を心の中に埋めつけなければいけない。
それではい。後は・・・。
note書く?SNSでつぶやく?頼まれてもいない感想を友達に送りつける?それは少しだけ迷惑だろうけど、その整理と行き場のなさ少しだけ悩んでいたりもする。
「じゃあ仕事でもしたり、ストレッチでもしたり、明日の準備でもしたり、家でご飯でも作りながら過ごせばいいよ」と謎の圧力で言われているような気もするけれど、
そういう話じゃない。
むしろその後が大事。感想聞いて、友達の新しい視点を知ったり、仕事以外の同僚の思考を見つけたり、お互いの感性をすり合わせて行ったりしながら、
僕たちは昼間の誰かとの贈与関係の訓練をしていたはず。
距離感とでもいうのか。そう、多分距離感。
絶妙な定規では測ることのできない距離感を掴む訓練。
文字で打ち込む前に言葉を音に出すことで、感じる空気。それで距離感を知っていたかもしれない。
だから、簡潔な文字列は、僕の距離感をほんの少しズレさせてくる。
詰め込みすぎは良くないというけれど、僕らは詰め込まれている。
蝋燭の灯が寿命の残りという落語があるけれど、毎日タイムリミットを感じていたら、「濃い時間」はただの「残り時間」という無機質なものに変わる。
残り時間を計算しながら楽しもうとする矛盾は、まだこれからも続きそうだけど、もう少しだけ、慣れが必要なう。
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2021年3月13日の夜8時
僕は池袋駅で友人とシン・エヴァンゲリオンを観て、家に帰る。
少し熱めの湯船に漬かり、なんとなく瞑想アプリなんかで深呼吸して(結構眠れる)、手紙なんか書いて見て、布団の中でボーッとして、ちょっと文字を打ち込みたくなってこれを書いて、古雑誌を整理した。
そんな社会のモヤモヤを解消したい人のための優しいzineを作っています。