何度見ても違う顔を見せる映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』
何度でも見たくなる映画でした。そして、何度見ても面白い映画なのは間違いありません。
しかし、見終わった今なお、僕の中でこの映画に対してたくさんの「謎」が残っています。その「謎」こそが、何度見ても違う顔を見せる理由であり、この映画を何度も見たくなる理由なのだと思います。
その「謎」について、できる限りネタバレにならない範囲で、あらすじとともに紹介します。
あらすじ
夫の俊夫(演:柄本佑)と、妻の佐和子(演:黒木華)は漫画家どうしの夫婦。しかし俊夫は、ここのところ佐和子のアシスタントをするばかりで、自ら漫画を描くことはしていないばかりか、あろうことか佐和子の担当編集者である千佳(演:奈緒)と不倫をしている。
そんな折、佐和子が新作漫画のテーマに選んだのは「不倫」。そこには、自分たちとよく似た境遇の夫婦が描かれていた。それを見た俊夫は、千佳との不倫がバレたのかもしれないと追い詰められていく。
一方その漫画の中では、妻が自動車教習所の若い先生(演:金子大地)と恋仲に。いったいこの漫画は現実なのか?それとも創作なのか?いてもたってもいられない俊夫は、真相を確かめようと動き出すが・・・
第一の謎『主人公は誰なのか?』
まずこの映画、誰に感情移入して楽しむべきなのでしょうか。
主人公は、俊夫?
映画自体は、多くのシーンが俊夫の視点で描かれています。であれば、俊夫に感情移入して見る人は多いでしょう。漫画を描き続けるばかりで多くを語らない佐和子に翻弄される俊夫の姿を見ていると、柄本佑さんの憎めない演技の影響もあって、ついつい応援したくなってしまいます。
それとも、佐和子?
元はといえばトラブルの元凶を作ったのは不倫をした俊夫の方。応援されるべきは、佐和子の方なのかもしれません。しかし、劇中で描かれる佐和子のシーンは、そのほとんどが漫画を読んだ俊夫の想像に過ぎず、どこまでが現実でどこまでが創作なのか、俊夫はおろか我々鑑賞者にもわからないため、佐和子のことをどう応援してよいものかわからないのです。
どちらも正解?あるいはどちらも間違い?
この「どちらが主人公かわからない」という見せ方は、偶然ではなく意図したものだと思います。それはこの映画のパンフレットにも表れていて、右開きで読めば俊夫側のストーリーが、左開きで読めば佐和子側のストーリーが読めるという作りになっています。
つまりこの映画は、不倫をした夫が妻の復讐に怯える物語としても、不倫をされた妻が夫に復讐する物語としても楽しめるようになっているのです。
もちろん、どちらにも感情移入せず第三者的な視点で楽しむ、という見方もあるでしょう。劇中で俊夫と不倫をしている千佳は、当事者であるにもかかわらずその状況を楽しんでいるようでもあり、ある意味では第三者的な視点で楽しむ鑑賞者の依り代となっているのかもしれません。
第二の謎『タイトルの「先生、私の隣に座っていただけませんか?」とは誰から誰への言葉だったのか?』
次に、やや冗長にも感じるこの映画のタイトル、この中の「先生」「私」とは誰のことで、「隣に座って」とはどういう意味なのでしょうか。
佐和子から教習所の先生へ?
この場合、「隣に座って」とは言葉通りの意味になります。自動車教習所のシーンでは、先生が隣にいると安心するという佐和子の発言もありました。佐和子と先生の恋を映画のメインに据えるのであれば、この言葉はまさにタイトルにふさわしい言葉といえるでしょう。
俊夫から佐和子へ?それとも佐和子から俊夫へ?
現役漫画家である佐和子、そして今はアシスタントに収まっているとはいえかつては自分の漫画を描いていた俊夫も、劇中で「先生」と呼ばれることがあります。
俊夫から佐和子への言葉であるという解釈の場合、「隣に座って」とは、佐和子に自分の元へ戻ってきてほしい、という意味になるでしょう。この場合、呼び掛ける相手は「先生」ではなく「妻」としての佐和子であるべきなので、少しこじつけた感は否めませんが。
佐和子から俊夫への言葉であるという解釈も可能です。「隣に座って」とは、不倫をした夫に対する言葉としては納得しにくい部分もあると思いますが、立場や見方を変えてみれば、意外とこの言葉が佐和子の心情を最もストレートに表現した言葉だったといえるかもしれません。
千佳から佐和子あるいは俊夫へ?
千佳にとって佐和子は、担当編集と漫画家という2人3脚で漫画を作るパートナーであるため、「私の隣に」という呼びかけも理解できなくはありません。また、不倫相手である俊夫に対して、佐和子の元を離れて私の隣に来て、という意味の言葉としても理解できます。
このように、「先生、私の隣に座っていただけませんか?」というタイトルは、ダブルミーニングならぬ、クアドラプル(四重)ミーニングになっています。
このようにタイトルの解釈に幅を持たせていることも、この映画が何度見ても違う顔を見せる理由のひとつになっているのでしょう。
第三の謎『この映画はどんなジャンルに分類されるべきなのか?』
ところで、この映画はどんなジャンルの物語として楽しめばよいのでしょうか。それも僕にとって「謎」のひとつであり、何度見ても違う顔を見せる理由になっています。
あえて分類するなら…
不倫というテーマからすれば、「恋愛もの」に分類されてもおかしくはありません。佐和子と教習所の先生の恋愛関係も物語において重要な要素となっています。しかし、佐和子の描く漫画が現実なのか?創作なのか?を隠したまま物語が進行するというプロットは、「ミステリ」や「サスペンス」といったジャンルを彷彿とさせます。また、多くを語らず漫画のみをもって佐和子が俊夫を追い詰めていく様は、黒木華さんのミステリアスな雰囲気も相まって「サイコホラー」のような恐ろしさも感じられます。
それでいて、追い詰められる側のはずの俊夫のどこかコミカルなリアクションや、その不倫相手である千佳のあっけらかんとした態度は、不倫・復讐といった重いテーマにもかかわらず「コメディ」としても楽しめるような映画に昇華しています。
既存のジャンルに分類すべきではない?
既存のジャンルに分類せず先入観なしで楽しむのも正解のひとつだと思います。最初から「コメディ」だと思って見ると、「ミステリ」の要素を見落としてしまうことも考えられますし、「サイコホラー」だと思って見ると、「恋愛もの」としては純粋に楽しめなくなってしまうでしょう。
ただ、だからといってまったくの先入観なしで挑んでは、この映画の細かい仕掛けに気付かないまま終わってしまう可能性もあるのが難しいところです。もしかしたらこの映画は、「何度見ても面白い映画」というよりも様々なジャンルの物語として「何度も見ることが前提の映画」なのかもしれません。
第四の謎『佐和子が描いた漫画は現実だったのか?創作だったのか?』
そしてこれが、最後にして最大の「謎」です。
この「謎」に触れるとどうしてもネタバレになるため、ここで紹介はしません。ぜひ各自でこの映画を観ていただいて、それぞれの答えを見つけてほしいと思います。
最後に
映画の内容は、当然ながら何度見ても変化しません。しかしこの映画は、「誰を主人公として見るのか」「タイトルは誰から誰への言葉として解釈するのか」「どんなジャンルの映画として見るのか」そして「佐和子の漫画は現実なのか創作なのか」によってその顔をガラリと変えます。
同じ作品でありながら、観る者やその心持ちに応じて見せる顔を変える…。どこか、不倫をしている男女に通じるところがあるかもしれませんね。
この映画、あなたにはどんな顔を見せてくれるのでしょうか。
ぜひとも実際にご覧ください。