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"タイトなジーンズにねじ込む"意味を知った時、私は大人になった

思わず「私という戦うボディ~」と歌ってしまったアナタ、たぶん私と同年代だと思う。2002年(19年前!!)リリース、BoAのVALENTIという曲の一節だ。オリコン初登場2位になり、特に音楽に詳しくなかった当時中学生の私の耳にもよく入ってきた。

タイトなジーンズにねじ込む
わたしという戦うボディ
どんなちいさな願いにも
貫くチャンスをあげて My Dream

当時は「BoAかっこいいなぁ。スタイル良い!これは良い歌!」くらいにしか感じていなかった。だけど気づけば2-3か月に1回は必ずこの曲を爆音で再生しては毎回律儀に感動しする、大事な曲になった。
「大事な曲」だけど聴くのは「2-3か月に1回」なのは、私がこの曲を聴くときは決まって、あるお店に行く前だからだ。

私のオシャレ半生

話が脇道に逸れるようだけど、ここで私の今までのおしゃれ歴史を紐解いていきたい。最終的にちゃんと「あるお店」の話に繋がるから、それぞれ自分の黒歴史ファッションも思い出しつつ、少しだけ聞いてほしい。

他人からの見られ方を知った日

小学校のころの私は、男兄弟や男友達と毎日泥だらけになって遊んでおり、そもそも「服を汚さずに着る」「髪に艶が出るようにする」などというオシャレ意識が皆無だった。当然のように柄on柄コーディネートで学校に行っていたりした。髪は風呂場で母に切ってもらっていたし、髪型についてリクエストをしたことなんて一度もなかった。
男友達と一緒になって泥だらけになって遊んだり、図書館の本を端から全て読みつくしたりするのに、別にオシャレは必要なかった。ついでに言えば、コミュニケーション能力も必要なかった。私は、平たく言えばビン底眼鏡の陰キャだった。

私が初めて自分の外見に興味を持ったのは、小学校高学年のころだ。おそらく、女子としては結構遅い部類だと思う。衝撃的すぎて今でも鮮明に覚えているが、あれは修学旅行の写真が出来上がったときだった。
みんな私と同じ子供だと思っていたのに、並んでいるのを客観的に見ると、明らかに私の見た目が浮いている。朝食の写真には、丁寧に櫛を入れて自分が可愛く映る角度の笑顔で写っている友達の横で、寝癖のまま記録に残ることを何も気にしていない私が写っていた。

このままでは他人から変と思われる」「私は他人から見て劣っている」とようやく気付いた私は、勇気を出して卒業式前に初めて美容院に行きたいと母に申し出た。しかし、清潔感以上のことには無頓着な母が相手である。連れていかれた母の行きつけの美容院は、うちから徒歩圏にある、畑が向かいのレトロな(可能な限り言葉を選んだとして、レトロな)店だった。
美容院デビューの結果は大方の予想通り、素敵なコケシ人形にされて終わった。自分の見え方に自覚を持った矢先のこの外見のため、卒業式の写真はほとんど笑顔のものが残っていない。自覚ないままなら、きっと寝癖がついていたとしても、満面の笑顔で写っていただろう。
ここからしばらく、私の「ヤバくない美容院に行かねば」というネガティブ理由な美容院ジプシーが始まる。

オシャレで性格も変わると知った日

高校生以降の友達は、もしかしたら私のことを陰キャとは認識していないかもしれない。いわゆる高校デビューというやつだ。
安くオシャレっぽくしてくれる美容院を探して、毎回初回割り引きのクーポンを駆使して渡り歩いていた。お財布を痛めてカットしてもらうようになると、自然と自分が好きになって良く笑う女の子になった。髪が可愛くなると眼鏡姿が無性に嫌になって、なけなしのバイト代からコンタクトを買った。友人が増えた。親しい友達がいて、無駄話で盛り上がるのがこんなに楽しいのかと知った。私を「可愛い」と言ってくれる人が出来て、その人は彼氏になった。毎日が目まぐるしく、楽しかった。一人の世界しか知らなかった小学生のころの私に、この自分を自慢してやりたいと思った。世界が大きく変わったし、自分で世界を変えられると思った。

オシャレを楽しんでいたのは心の底から本当の気持ちだけど、心のどこかでは誰かに「若い女の子であること」を赦されるためにオシャレをしていたように思う。箸が転がらなくても笑うような意味もなく笑う毎日を過ごしたりとか、友達とかっこいい男の子の話で姦しくするとか、そういう画一化された「女の子のふるまい」を白い目で見られないための免罪符が「オシャレ」「可愛さ」になっていた。オシャレの基準は自分の中ではなく常に外にあって、いつも追い立てられているようだった。オシャレするのは楽しかった。楽しかったけど辛かった。辛かったけど楽しかった。いつも金欠だった。

オシャレが戦闘服になると知った日

新卒の会社は生保レディで、若い女の子がおじさんと仲良くなって保険を売る仕事だった。一生懸命仕事をしてる「若い女の子」らしい見た目にすると、とてもウケる。
27歳のとき、そのCtoC営業職からBtoB営業職に転職をした。転職後の仕事は「若い女の子」は全くウケなかった。たぶん、年齢的にもキツかったんだと思う。だけど、それまで培った愛嬌だけではそれまでより格段にビジネスライクが強い商談には勝てなかった。今のままの、言われたことをやるだけの上っ面の仕事ではダメだ、と突き付けられた。

改めて自分が得な仕事の仕方を棚卸しして、自分の良さを生かす営業方法を勉強した。自分がなりたい自分の姿を、自分で決めて選んで決めた
不思議なことに、仕事への姿勢が変わるとオシャレの仕方も変わっていった。流行に踊らされるだけではなくて、自分が選んだ自分になるため、自分のためだけに、こだわって選んだ美容院に行くようになる。服を選ぶようになる。
次第に気持ちに成果がついてきて、今では前職のときの何倍も仕事が楽しい。

この頃選んだ美容院は本当にお気に入りで、ずっと通い続けている。美容師さんは私の髪質や好み、なりたいイメージを熟知してくれていて頼もしい。一番気に入っているポイントは、毎回帰り際に「可愛い!私、天才!!」を自画自賛しながら見送ってくれるところ。私が決めた自分の姿を、いつも肯定してくれるのだ。

私にとっての美容院とは

オシャレは自分のために自分を強くするための戦闘服だ。他人のためではなく、自分が強く気高く生きるために。私にとって美容院は、日々を戦うための武器を磨く場所だ

私にはタイトなジーンズは似合わないけれど、今日も私はVALENTIを爆音で聴きながら美容院に行く。
あの頃より曲が心に響くのは、私が自分を大切にできるくらい大人になれたからかな、と誇らしく思う。

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