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私の過った人 朝井リョウ著『スター』を読んで

好きな作家は誰かと聞かれたら一番最初に浮かぶのが朝井リョウさんで、オムニバスのような他の作家さんとの短編集であっても持っているほど朝井リョウさんの書く文章が好き。

ただ、基本的に一気読みしたいという思いから単行本になってから読むタイプなので、『スター』というタイトルの小説が刊行されると知ったとき私は自然と「バレーボールの話かな」と思っていた。朝井さんが以前、バレーボール選手の話を書いているとどこかで聞いたことがあったので。でも、今回私が読んだ小説はそうではなくて"映像"をつくる青年たちの話だった。紹介文として下記のように綴られている。

「新人の登竜門となる映画祭でグランプリを受賞した尚吾と紘。
ふたりは大学卒業後、名監督への弟子入りとYouTubeでの発信という真逆の道を選ぶ。
受賞歴、再生回数、完成度、利益、受け手の反応――
プロとアマチュアの境界線なき今、作品の質や価値は何をもって測られるのか。」

作家生活10周年記念作品ということもあり、公式サイトもかなり力が入っているように見受けられる。

朝井さんってデビュー時から「現代社会を切り取る名手」みたいなキャッチコピーをつけられがちな作家なんだけど、(本人は嫌かもしれないが)正直言い得て妙だなと改めて思ってしまった。

下記のインタビューで朝井さんがこの話を書いたキッカケなどについて読めるので、ぜひ。

あらすじもこちらから引用。

「主人公は二人いて、大学時代、同じ映画サークルに所属していた尚吾と紘。一緒に作った作品が新人の登竜門となる映画祭でグランプリを受賞し、卒業後に尚吾は名監督に弟子入り、紘はあるきっかけで映像をYouTubeにアップして話題となる。」

久しぶりに小説を読んでいてヒリヒリする感覚を味った・・・。朝井リョウここにあり、という作品だなあと。

なんでこんなにもヒリヒリするのかというとこのお話を読んでいて私の頭の中にはある人が過ったからなんだよね。

2020年6月半ば、大好きな人が思いもよらぬかたちで私の大好きなアイドルグループから離れ、YouTubeを始めた。同時接続130万人という偉業を成し遂げ(?)、突如YouTube界に姿を現した人が試行錯誤しながら動画をあげている様子を一本も見逃すことなく追っている身として、もうなんていうか時たま目を背けたくなる内容だった。

感想を書く上でどうしたって出てきてしまうから普通に名前を出すんだけど、手越くんがYouTubeを始めた時のジャニーズ文化で育ってきたあるいはNEWSという箱/概念のアイドルが好きな人たちの反応が、尚吾のそれと重なる部分が多くて胸がざわついた。

尚吾はいわゆる「質」や「本物」を大切にする慎重派の人間、それに反して紘は、「かっこいいと思うものを撮りたいだけ」と話す直観型の人間。

「質」ときいて私か思い浮かべてしまうのは、増田貴久なんだよね。フジテレビ系で放送されていた「Ride On Time」の中で「どんなに自分が頑張っても命かけてつくったとしても出るのは作品だけでいいと思っている。」といった内容の話をしていて。まっすーは「自分じゃなくて自分の創作物のほうが有名になってほしいっていう人」なのかなと感じた。

よくまっすーと手越くんは正反対と言われていて、本人たちもそう言及している。歌のパートナーとしては唯一無二の存在なんだけど、ファンからみても2人は全然違う。でも、作品に対する真摯さやファンを大事に思う気持ちに優劣はないし、それぞれのやり方で100%私たちの思いに応えてきてくれたと思ってる。

NEWSというアイドルグループは、これまで「質」を大切にしてきたと思うしきっとこれからも大切にしていくだろう。

でも、「質」を求めるが故なのかコンサートのライブ映像が円盤になるまで1年以上かかることもあるし、ジャニーズ事務所の方針だからということもあるけどYouTubeのような無料プラットフォームに彼らの公式の映像がアップされることは今のところほぼない。

これに関しては正直ファンの中でも意見が分かれる部分だと思う。

アイドルが近くに降りてくることを嫌う人、質の良い作品にはそれ相応の対価を払いたい人。

ファンにだけ素敵なものを届けてくれることは嬉しいけど、もっと沢山の人に自分の好きな人たちのことを知って欲しいと願う人もいる。そのために、YouTubeでの配信やサブスクリプションサービス解禁を熱望する人だっている。

私は、その間くらいに位置しているかな。近くに降りてきてくれなくていいけど、サブスクリプションサービスは絶対にやるべきだと思ってる。

そりゃ熱量の高いファンはCDも買いますよ。でもね、ちょっと気になるなくらいの人はわざわざCDは買いません。私だってそう。だってiPhone開けば、すぐにダウンロードできちゃうんだから。でも、CDにもCDの良さがあって、サブスクリプションにはサブスクリプションの良さがある。どっちかじゃないとだめなんてことはない。

どうしたってすぐNEWSの話をしてしまいがちなので、小説の感想に戻そう・・・。

尚吾「俺が目指しているのは、本物の映画監督だから。あんな、未完成な動画ばっかり投稿されているような場所から学ぶつもりはない。それに、ずっと残るかもしれない場所に完成形じゃないものを放つなんてどうかと思うし、反応をもらえることに慣れたら今後ストイックなものづくりができなくなるかもしれない。」

紘「どれだけすごいもの作っても、人に観てもらえる場所に置かないと意味ない気がしていて。俺は美しいと思ったものを撮るのが好きなんですけど、その出しどころとして人があんまりいない場所を選ぶのってどうなんだろうとか思っちゃって」

対照的な考え方でものづくりをする2人だったけれど、それぞれの環境で奮闘するうちに疑問に思うことが増えたり、考えが変わっていったりして、1年後彼らが再会した時に2人は似たような気持ちを抱くようになっている。

小説の中でも触れられているけど、質の高いものを創りたいという思いとたくさんの人に届けたいという思いって全然矛盾していないと思う。

無料で誰にでもみれるYouTubeであっても、質が高いものを創ることはできる。それと逆に有料であっても質が低いものだってたくさんあるだろうしね。

今はまだ過渡期だから、色んな議論が起こるだろうしそれがむしろ健康的だと思う。書店や映画館は、年々確実に減っていっている。でもだからといって、紙の本がゼロになったり全ての映画が配信サービスに切り替わるなんてこともないと思っている。

それでも、映画館で映画を観ることや紙の本で読むことが好きな人たち(私もその一人)にとっては、妥協できない受け入れられない変化なんだと思う。

だから多分もう、新しい道を探るしかないのかなと。物語の最後、鐘ヶ江監督がどんな選択をしたのかわからないけれども、映画館で映画を観てもらえる環境を維持するための選択であったら良いなあと思った。

私が読書する理由を改めて考えてみた。

自分の気持ちや考えって頭の中ではわかっていると思っていても、いざ言葉にしようとすると全然まとまめられなかったりすると思うの。

そういう時に、本を読むとやっぱりすごいなと思うの。私が感じていた疑問や感情を言葉にしてくれていると。そうして、その言葉がだんだんと私の中に浸透してくる。そのことを誰かと共有したいと思う。だから、本を読むことが好き。

とってもとってもたくさんの人に読んでほしいと思ったから、感想を書きました。私の言葉なんて誰にも届かないことはわかっているし、全然上手に書くことはできなかったけれど、それでもこの衝動を言葉にしたいと強く思った今この瞬間の気持ちを大切にしたいと思った。

尚吾の彼女が言った言葉を引用して、終わりにします。

「誰かにとっての質と価値は、もう、その人以外には判断できないんだよ。それがどれだけ、自分にとって認められないものだとしても」

読んでくださった方々、ありがとうございました。

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