
離見の見
先日ジャパネットたかたの元社長、高田明さんの記事を読みました。
高田さんは世阿弥から大きな影響を受けたようで、そのことについて書かれたものでした。
世阿弥は多くの方もご存知でしょうが、室町時代の能役者で、「初心忘るべからず」など、現代にも通づる多くの格言を残しました。
それらたくさんの名言、格言はビジネスはもちろん、人間関係やあらゆる場面でも活用できるはずです。
今日はその中から個人的に印象に残った考え方について書いてみたいと思います。
「3つの視点」を持つ
【我見】と【離見】と【離見の見】
世阿弥のいう3つの視点
1つ目が「我見(がけん)」
役者自身の視点です。
2つ目が「離見(りけん)」
観客が客席から舞台を見る視点を指します。
3つ目が「離見の見(りけんのけん)」
これは役者が、観客の立場になって自分を見ること。
つまり、客観的に俯瞰して全体を見る力です。
役者は演じながら、同時に観客にはなれません。
ですが、観客と同じ気持ちになろうと努力することはできるはず。
例えばこれは、何か物を売ろうと思った時、「お客様の目線に立つ」という考え方につながります。
いくら品質がよくてお買い得な商品だったとしても、我見で語っていたら相手には響きません。
お客様の立場になって、商品の魅力をしっかり分かってもらえるように話すことで初めて、「我見」と「離見」、つまり売る側と買う側双方の視点が一致するのです。
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売る側というのはとかく商品の品質や性能、価値などをアピールしようとします。
ですが、高田さんはそれを「我見」であって、多くの人がその我見になっているとおっしゃっています。
アピールするべきは自分からの視点でなく、お客様の求めている本質的な欲求です。
そしてそれを見極めるために大事なのが、「我見」と「離見」を客観的に俯瞰して見る「離見の見」であると。
相手のことを分かろうとする姿勢が何より重要で、お客様の気持ちを理解できなかったら、ビジネスは決して成功しない。
逆を言えば、お客様の気持ちが分かれば、売れる製品やサービスが作れるということです。
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これはお客様だけでなく、上司や部下、同僚、家族や恋人など、相手が誰であれ大切な考え方です。
他者への理解が欠ける人は、仕事でも家庭でも満足感や達成感を得ることはないでしょう。
ではどうやって、自分を第三者的に見ればいいのか?
世阿弥は、【目前心後(もくぜんしんご)】ということばを用いています。
これは、「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」ということ。
すなわち自分を客観的に、外から見る努力が必要だといっています。
どんな場面においても独りよがりにならないよう、自分を第三者的な視点から見るようにしたいものです。
ただ、そうは言ってもなかなか難しいのが現実ですよね。
先日僕は奥さんとのケンカを動画に撮って見直すという方法をとり、自分の悪かったところを客観的に見ることができました。
でもこんなふうに日常的にカメラを回すことなど到底無理なので、一番の良い方法は、自分の行動を批判してくれる人の意見を素直に聞くようにすることです。
自分への批判や説教というものは誰だって聞きたくはありません。
しかし、多くの場合自分でもわかっていることだったり、意識してもなかなか直せなかったりする部分だと思うのです。
だからこそ「頭ではわかっているんだけど…」とつい目を逸らしてしまうのです。
自分でもよくわかっていること、そして相手からもそう思われていること。
「我見」と「離見」あとは「離見の見」の視点からどう改善していくかを導き出すだけ。
プライドやキャリアが邪魔をすることもあるでしょう。
今さら自分を変えられないとあきらめてきたかもしれません。
ですが歳を重ねれば重ねるほど、地位が上に行けば行くほど、そうやって自分を指摘してくれる人は減っていきます。
そうなれば自分自身で後姿を見ていかなくてはいけなくなるのです。
全体の中で自分を客観的に見ることは、いつの世でも難しく、しかし必要とされる大事なことです。
独りよがりにならないためには、あえて自分を突き放して見ることが必要なのだと僕自身痛感しました。
「我見」と「離見」と「離見の見」そして「自分を批判してくれる人の意見」
今後はこれらを意識していきたいと思いました。
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