雪解け

 雪は何を思い空から地上へと降るのか。
 冬でも降ることが珍しく、積もるのもまた珍しいコンクリートジャングルの中。私は、窓から外を眺めながら、何となく考えていた。その時の雪は本当にしんしんと音が聞こえそうな程に静かで、不気味な綺麗さがあった。
 交通網も混乱していて、家の外に出ても仕方ないと雪を眺める口実を作る。本当は変な胸騒ぎがして怖かった。何をしても心ここにあらずで、雪を眺めていても楽しかったとは言えない。食事も程々に寝ようとしたが、眠れず、外の寒さを肌で感じながら、ぼーっと色んなことを考えていた。
 楽しかった思い出、苦しかった思い出、心に棘として刺さったままの思い出。
 なぜか特定の人を中心とした様々な思い出が急にフラッシュバックしていた。自分のその人に対する氣持ちを確認するように、その当時を追体験する。氣持ちは複雑に絡み合っていて正直、わからなかった。
 午前三時を過ぎた頃、漸く私は眠りに落ちる。夢の中でも追体験は続く。懐かしい風景、会っていなかった大好きな人との会話、嫌いだったあの人。同じ映画を何回も見るように繰り返された。
 幾度とないループを終わらせたのは女の人の声だった。
「〇〇ちゃんが亡くなった」
 状況が飲み込めず、周りを確認すると、私は意識が夢と現実の狭間にいる頃に電話を取っていた。モニターに表示されるのは、心から尊敬している先輩。泣いている声を聞くのは初めてだった。
「どうしました?」と聞くとかなり取り乱してはいたが、状況を説明してくれた。当時、一緒に関わっていた人は皆、電話に出ず、初めて電話が繋がったのが私だったらしく、話しながら徐々に落ち着きを取り戻していたのがわかる。しかし、事は本当に深刻だった。
 私の嫌いな人が死んだ。
 聞こえは悪いが、事実はそうであった。前日に何回も何回も思い出していたその人との記憶が導き出した答えだ。だからと言って、私は別に嬉しくはない。少し腹は立ったが、悔しかったのだ。
 この感情を強く意識したのは、その人の家に行った時だった。当時、一緒に関わっていた人達と遺影の前で思い出を語っていた時に私は切に感じていた。
 最後に会った時。一年振りの再開だったが、その時にはもう死の原因となる病と闘っていたらしい。振り返れば確かにいつもと違ってエネルギッシュだった人がしおらしくなっていたのを覚えている。
 二人っきりになった瞬間、私に「ごめん」と「応援している」という言葉を残す。 私はわかっていたのに「何にです?」と突き返してしまった。罪の意識を持っていたからこその言葉なのに、まだ子供だった私は受け取らないことを選んだ。
 その選択は間違いだった。その後悔と同時に自身に対して非常に腹が立つ。あの時、優しくできていたら、少ない時間の中でも相手のことをもっと多く知ることができたかもしれない。人生の先駆者として、その人から学べる事はあったのではないか。怒りの感情を抑えて、腹を割って話した先にはいい出会いがあるのではないかと。
 この経験をきっかけにどんな人とも思考と会話を大切にしている。例え、嫌がらせを受けた過去があっても、その人と深く話し合えるのであれば、話をしたい。お互いに理解をできなくても、そういう世界が存在する、そういう世界の価値観を共有するだけでも、お互いの見方を変えるには充分ではないかと思う。その先に、お互いにいがみ合わない世界を見出すことも、関係が良好にならずとも、現在とは違う道を模索した方がお互いに幸せなことなのかもしれない。しかし、話さなくてはどの選択肢も放棄してしまうことになる。きっとそれは一番悲しいことなのだと思う。
あれから数年、言えなかった想いは未だに私の中に降り積もっている。記憶の改竄、または美化かもしれないが、今ではその人のことを心から尊敬している。
 歳月が過ぎて思い出す日は少なくなってしまうかもしれない。それでも、雪の降る日は必ず、嫌いだったあの人を偲ぶだろう。
 あなたに出会えて心から感謝します。
                              R.I.P


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