【普通】が羨ましくて妬ましい!

◼️生きる世界が違う…

最近、広告CMや新聞、ドラマや小説と
距離を置きたくなってきた。

それらと私の生きている世界とは
どこかが決定的にかけ離れている。
そんな気がしてならないからだ。

広告CMやドラマにおいて
「一般的な」風景として描かれる職場は、
どれも一流企業かそれに次ぐレべルで、

小説やドラマの中心人物は、
環境と良心と、健全寄りの野心に恵まれ、
勧善懲悪の価値基準と、
因果応報の履行を疑いもせず、

広告CMは、
私には元々ない、もしくは、
手に入れることが不可なモノを
「持ってて当たり前!」もしくは
「持ってないと恥ずかしいですよ?」
という体で、話を進めてくる。

つまり、私は目の前に提示される【普通】と
【自分の境遇】の差に改めて打ちのめされ、
心が弱り、腐りかけているのだ。


◼️過去を思い出した…

この精神が壊死していく感覚を、
どこか懐かしく思う。

10代後半の私は、
【普通】に学校生活を楽しめる同年代が
眩しくて、羨ましくて、仕方なかった。

授業を受け、学校行事をこなすことに、
私は何故か、窮屈で不快で不安で、
無駄に攻撃的に苛立っていた。

希死念慮がピークの時期でもあり、
保健室で泣きながら
何かを相談した記憶もある。

その時、何の解決にも至らなかったからか、
具体的で解決の見込みがある悩み以外、
私は「誰かに相談する」という選択肢を
持たなくなった。

自分でどうすることもできない事は、
他の誰かにどうにかしてもらう事など
(ほとんどの場合)できないのだ。


◼️人が社会が人生が、怖い…

当時、未成年だった私は
【普通】に違和感を感じていたため、
果たしてこれから本当に
自分が社会人として生きていけるのか
(生きていく以外の選択肢がないことに)
ただただ不安で怯えていたのだ。

気を抜いた途端、
私は発狂するのではないか、

と思うくらい
私は未来がひたすら怖かった。

いい歳になった今も、
生きることへの恐怖感は、ある。

底辺なりに社会人を経験したため、
その頻度と程度は下がったが…。
(未知への恐怖が、最もタチが悪い)


◼️普通が(ちょうど)いい…

(底から高みを眺めて)現実を知り、
生きていくだけなら何とかなっている今、

【普通】と自分の人生を照らし合わせる、
その行為自体が無益なことは理解できる。

救いようのない愚か者とは、
自分がすでに持っているものに対して
満足することなく、
自分が持ちえないものを
嘆くばかりの人間のことだ。

『エピクロス』がそう言っていたらしい

だが、
【普通】仕様にカスタマイズされたもののみ
が満ち溢れている世の中で、
【普通】から外れて生きていくことは、
なかなかにシンドイ。

常に周囲の状況や反応を気にかけながら、
自分が該当するのか確認が必要な制度の下、
(間違いではないが、理解されにくい)
王道以外の感性を抱えながら生きることは、
非常に膨大なエネルギーを要する。


◼️普通と個性


『普通って何?』
『普通なんて、ない!』

と言う方がいるようだが、

【普通】とは、
所属する集団に
何の疑問や抵抗を感じずにいられる
環境や感覚
である。

よって、

【普通】は、普通に存在する。

『普通って何?』『普通なんて、ない!』
そう思える感性と、それを持つ人こそが、
【普通】の存在を体現している。

また、

【普通】から外れたとしても尊ばれる
「個性」という概念がある。

『唯一無二だからこそ価値がある』
と語られているようだが、

唯一無二であっても、
金にならない個性(能力)は
疎まれ蔑まれるか、見向きもされない


利益の寡占に直結した能力のみが
【個性】と認定され、その価値が発生する。

利益の共有を可能にする能力とは、最終的に
「多数が持つことが可能な能力」となり、
その相対的評価や価値が下がるため、
【個性】ではなく【普通】に分類される。


◼️やっぱ、普通がいい…

【普通】と【個性】、
最低でもどちらか一つを持ち合わせなければ
人生はhardモードで進行する。

社会と摩擦ゼロの【普通】でいることは
その社会の多数派になることと同義で、
利益の寡占に直結した【個性】の所持は、
経済的な成功を意味するからだ。

普通の人と同じように、
まず【普通】獲得を目指した私は、
【普通】になじめないことを自覚し、
人生が早々に行き詰まってしまった。

【普通】を諦め、
ダイレクトに【個性】獲得を目指す人生は、
また違ったルートのhardモードだ。


それでも、
世の中の【普通】に包まれるたび、
人生をeasyモードで生きたいがために、
微塵も求めてはいない【普通】を
心の底から願わずにはいられない。

朝型になりたいと思いたい
食事は楽しいと思いたい
子供が欲しいと思いたい
好きな人が不在でも結婚したいと思いたい
仕事を通じて自己実現をしたいと思いたい
生きることは素晴らしいと思いたい
ディズニーランドに行きたいと思いたい



…………書き出してみて、思った。

願いが叶って普通になれた私は、
まるで、ピンヒールを履いて
全力疾走を試みる者のように滑稽だ。

きっと、転んで大ケガをして、
「そんな靴で走るから」と嘲笑され、
「自業自得」と非難されるのだ。


やはり、

私に【普通】は無理なのだ…。



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