本は、人以上に選ぶべきで、知識は本屋以外でも得られるべき。
私は、
本を読むのが好きだ。
漫画を読むのも好きだ。
ジャンルがかなり偏るが、
絵を見るのも好きだ。
自分と異なる思考回路を経た表現
に触れるのが、好きなのだ。
◼️本は、人以上に選ぶべき
子供の頃、
大人は全員「大人」だと思っていた。
子供の頃、
大人に漠然とした違和感を感じても、
それは、自分が至らないだけで、
いろんなことを知り、見識が広がるにつれ、
納得できるものに変わる。
と、心のどこかで思っていた。
自分が大人になって理解した。
「(まともな)大人」は超レアだ。
運が良くなければ、出会えない。
同様に、
本は全て「価値のあるもの」だと
信じて疑わなかった。
活字にされ、大量に印刷され、
あんなに立派な装丁にされているのだ。
その内容に意義を唱えたり、
( ・д・) となるのは、
自分の知識が、能力が、
決定的に不足しているからだ、
と思っていた。
最近、図書館内にて思った。
ここにある本の中で(私にとって)
本当に価値があるのは、何割だろう。
〈賞〉という後光が差していても、
どこが、どう面白いのか、
さっぱり理解できない本があった。
(どこが、どう面白いのか、
解説した本があれば、
こちらは是非読みたい)
内容が薄すぎて、「読んだ時間を返せ」
と怒りを感じた本があった。
合わない人がいるように、
合わない(内容の)本がある。
ただの、相性の問題である可能性が高い。
だから、
読み始めて、違和感を感じる本なら、
頁を閉じる選択肢を検討すべきだ。
説明が解りづらい実用書なら、
同じ内容が書かれている、
違う本を手に取るべきだ。
人も本も、
独断的にその価値が存在するものでは、
決してない。
◼️知識は、本屋以外でも得られるべき
最近、街中から書店が失くなる、
という「危機」を知った。
「AI普及による、仕事なくなる問題」
と、どこか重なる。
仕事がない=生活が成り立たない
書店がない=本による知識取得機会の消失
どちらも、
本質を意図的に省略している
(気がする)。
働かないと生きていけない、
書店に行かないと知識が得られない、
その社会システムを問題視していない。
その社会システムを
何が何でも温存しようとする
強い意思(他意)を感じる。
本は、ネットでも購入可能で、
知識は本以外(動画や日常経験など)
でも取得可能だ。
個人的には、書店より、
図書館(機能)の規模拡大・整備の方が
有意義に感じる。
個人の経済力に依存する
情報格差是正に繋がるからだ。
そもそも、
「知識を得る=本」
という限定的で独断的な仕組みは、
活字が苦手な人間を
問答無用に排除するシステムだ。
「教育機関=学校のみ」という偏見が、
学校という特殊集団に馴染めない人間を
問題児として持て余すことを、
堂々と正当化するように。
特定多数を優遇し、
その他少数を排除するシステムは、
誰かの無益な優越感と
空っぽの安心感を満たす以外に、
何の利益ももたらさない。
それでも、
活字愛好家だけで書店問題に取り組み、
解決策を現状の延長線上のみに見る
のであれば、
それは、
「本による知識取得機会」の消失
ではなく、
書店という「ビジネスモデル」の消失
に危機を感じているだけなのでは?
と邪推してしまうのだ。