noteの「スキ」と「コメント」に思ふ。
◼️「スキ」に感激
世界(日本語圏内に限定)は、
私の想定よりwideでdeepだったようで、
私個人の偏見じみた記事にでも
❤️が付き、非常に驚いている。
ありがとうございます。m(__)m
「きっと誰にも理解されないだろう…」
と長年抱えてきたモヤモヤを
吐露したいがために始めたnoteなので、
❤️1で心が満たされ、
私は、文章力以前の問題として、
それなりに❤️される記事を書ける感性が
あるとは全く思っていない、
バリバリのマイノリティを自負している。
❤️二桁ともなれば、
「世の中どうした?大丈夫か??」
と慌てふためいてしまう。
共感や理解を示されると嬉しい反面、
私の思考は非建設的な傾向があるため、
世の中からの肯定的反応を
素直に喜んでよいのかどうか、
戸惑ってしまうのだ。
◼️「コメント」に恐縮
「コメント」のみも、
私にとって❤️と同等の価値を持つ。
というか、
「スキ」でなくとも
「コメント」をもらえるんだ…
と正直、驚いてさえいる。
異見や感想を言語化し、
文章を画面に打ち込む。
という時間と労力が
コメントには費やされているからだ。
(コスパが祭り上げられるこの現代に、だ)
その上、
記事を読まずに❤️を付けることは可能だが、
コメントはそうはいかない。
「コメントが付く」=
「最後まで記事を読んでもらえた」
という確固たる証拠でもあるのだ。
◼️適度なスルーを請い願ふ
人間、
本気でネガティブな印象を持った場合は、
「無視」が、基本かつ最大の否定的態度だ。
だから、
何らかの反応をいただける時点で
単純に嬉しい。
とはいえ、
雨にも風にも、
世の中のほぼあらゆることに負け、
立ち向かう気力さえ持てず、
絶対的な自信も確信もない上に
打たれ弱く、
それでも、
私の意志とは無関係に
一方的に産み出された限り、
「この無意味な生は、私の過失では無い」
と開き直りながら、
金銭か精神か肉体かが
致命的に消滅するまでの時間を
何とか適当に潰そうと決意した、
社会の遠心部に存在する人間なので、
決して歯牙にはかけず、
ワクチン以下の弱毒性でもって
ご対応いただければ、
私は、この上なく幸せなのである。