下らない話【バッグComeback】
ヘコむ。
下らないことに凹む自分に、
更にヘコむ。
◼️バッグが、カビた
風通しの悪い場所に
しまっておいたせいだ。
20年前以上も前に買ったバッグで、
ブランド物でも何でもない。
値段はすっかり忘れたが、
私が買えたくらいなので、
間違いなく、安物だ。
ここ近年、全く使っていなかったし、
何なら、今後使う予定もない。
ただ、
とても、非常に、大変、
気に入っていた。
だから、
「捨てる」という選択肢が
全くなかった。
◼️私には無い、タフさ
そこまで
愛着を持っていたにも関わらず、
私の、そのバッグの扱い方は、
とても、非常に、大変、
「雑」だった。
何の躊躇なく放り投げていたし、
普通に地ベタにも置いていた。
何なら、何度も足蹴にもした。
ぶ厚い、黒のナイロン生地だったので、
破れる気配も、その心配もなく、
傷が付いたところで目立たない。
汚れが着いたら洗えばいい。
実用的で現実的なその「タフさ」が、
私には素晴らしく魅力的に映った。
人は、
自分が持ち得ぬものに、
堪らない魅力を感じる。
◼️おかあさん、以上に一緒
雨の日も、風の日も、
乾燥する飛行機内でも、
サハラ砂漠でも、マチュピチュでも、
ウルルでも、シギリアロックでも、
エジプシャンバザールでも、
アンコール・ワットでも、
テーブルマウンテンでも、
ペトラ遺跡でも、士林夜市でも、
屋久島でも、青森でも、
その他、主に、
自宅から長時間離れるときは必ず、
そのバッグと私は、
(入浴と就寝以外)
ずっと一緒だった。
人生の幸福な時間を、
最も共有した存在、
それは誰でもない、
そのバッグだ。
(いや、本当に)
◼️再び、魅せられる
円高と物価高と、
私の老化による気力・体力の低下が、
そのバッグと私を疎遠にした。
過ぎ去った年月の分、
今、私は老いて、バッグはカビた。
だが、
そのバッグの魅力である
タフさは今尚、健在だ。
穴は空いてないし、
ベルトが擦り切れる気配は
微塵も感じない。
チャックはしっかり閉めるし、
差し込みバックルも、
いまだに、カッチリはまる。
経年劣化と、私の扱い方のせいで、
表面が少々毛羽立っているだけだ。
◼️諦めることを、諦める
本気で愛した者に対する好意は、
老化という現実を目の当たりにしても
決して揺ぎはしないように、
喜楽(と笑えるトラブル)を共にした
そのバッグへの愛着は、
カビにまみれても消せそうにない。
私の想いは、
カビの根より深いのだ。
一度ゴミ袋に入れたバッグを取り出し、
(今日がゴミの日でなくて本当に良かった)
ブラシで表面のカビを払う。
さらに幸運なことに、
カビだと思っていた白い物質は、
ただの埃の塊だった。
バッグは元の黒一色に、
私の心は薔薇色になった所で、
水と洗剤を入れたバケツに放り込み、
力の限り押し洗いする。
そのバッグは今、
風通し100%のベランダで、
水を滴らせている。
◼️死が、我々を分かつまで
楽しい思い出だけが詰まった
丈夫さだけが取り柄の、
安物のバッグは、
ここ近年、全く使っていなかったし、
何なら、今後使う予定もない。
もしかしたら、
もう二度と使うことはなく、
私の死後、誰かによって
捨てられるのかもしれない。
もしそうなるのであれば、
私の棺桶に入れてもらえるよう、
エンディングノートにでも
その旨、書き込もうか。
いや、
私が死ぬまで、
私の手元に残れば、
それでいい。
と思いつつ、
結構あっさり捨てる日が
来るのかもしれない。
だが、
とても、非常に、大変、
気に入っていた。
という記憶と、
そのバッグが手元にあるだけで、
何故だか、
とても、非常に、大変、
幸せな気分になれるのだ。