ネガティブ上等。前向きに堂々と、後ろを向く。
ネガティブな感情が好きである。
ポジティブな感情が好きなのと
同じくらい好きなのである。
ネガティブな感情も、
ポジティブな感情も、
どちらも正直で
ダイレクトな純粋性を持つがゆえに、
好き(肯定)という方向に、心が動く。
もしくは、
光源に無条件に引き寄せられる虫
と同じ原理で、
ネガティブな感情の引力に
私は、逆らうことが出来ない。
◼️ネガティブ健康法
ネガティブな感情を
否定的にしか捉えられない人の
人間性を密かに疑ってしまうくらい、
私は、ネガティブな感情を、
心から肯定している。
「こんな風に考えてはいけない…」
と、感情を矯正(強制)することの方が、
断然苦しく、圧倒的に不健全だ。
結婚の魅力を微塵も感じないのに、
「結婚したい、と思いたい」
自己保存の欲求は全く無いのに、
「子供が欲しい、と思いたい」
世間一般の輪(カテゴリー:普通)に
入るだけのために(無意識に)
嗜好の自己矯正を目指した頃の私は、
明らかに狂っていたと思うし、
無菌室的な健全性を保つ(希死念慮は生物としてバグ的な何かだと見なす)社会は、
確固たる希死念慮がある私にとって、
アナフィラキシーを起こしそうなほど、
合わなかった。
大変遺憾ではありますが、
結婚の長所と幸福は、
私と全く合致せず、
子供を持つことは、
私にとって死刑宣告以上の価値を持ち、
希死念慮は、
私のアイデンティティ(の一部)です。
と(他人には理解されない)自信を
堂々と持てるようになった今、
私の思考は大分健全になった。
◼️ネガティブ補完計画
希死念慮は依然として健在だが、
私の人生において、それは問題ではない。
治療の必要性さえ感じない。
行動に移せるほど、
希死念慮が強くなった時が、
きっと私の寿命なのだ。
過去、心療内科を受診したことがある。
眠る物理的な時間の確保と、
「私は今、精神的にとても不安定である」
という客観的事実と主観的視点が、
ネガティブに全面降伏するために
どうしても欲しかったのだ。
絶望が苦しいのは、
絶望した状態やその状況が
継続するからである。
絶望をしただけで、人生は終わらない。
その現実が、絶望する以上にツラく厄介だ。
おそらく、私の生きづらさは、
ネガティブな思考ではなく、
生の長さの不確実性に依るものだ。
◼️ネガティブ保存の法則
強さとは、生きるとは、
どんな状況でも、どんな心境でも、
目の前の日常をこなす。
だだ、それに尽きる気がする。
大きな問題を起こさず、
日常を過ごせるのであれば、
ネガティブ思考でも、ポジティブ思考でも、
おそらく大差は無いように思う。
だから、任意に好きな方を選べばいい。
ありの~ままの~♪
自分になることは、
決して世間が求める姿(ポジティブ)に
なることではない。
何故か世間(大人)は、
素直に、正直に、なりさえすれば、
善良な市民(子供)が誕生する
と考えているようだが、
問題は、
何に対して、素直に、正直になるか、だ。
自分の心が動く方向へ、
素直に、正直に、身を寄せる。
私の場合、それはネガティブ方面だった。
私はネガティブをネガティブなまま、
(ポジティブ補正をする負担を放棄して)
ネガティブを引っ提げて生きている。
嗜好(思考)を矯正したいとは、
全く思わない。
この自己肯定感が高い時点で、
今のネガティブな私は、
心身ともに大変健康的なのである。