マジ働きたくない、をナメてもらっては困る。
強制されるから
嫌なんだよね。
キミの好きなことを、
キミの自由意志で、
キミのペースでやる。
で、それが誰かの役に立つ。
最高じゃん?
もはや「仕事」なんていう
カテゴリーには入らない活動だ。
そういう創造的なことをやろうよ!
的なことを語って、
「労働的なもの」を求める方、
働きたくない者(私)の、
「マジ働きたくない」意志を
ナメてもらっては困る。
◼️貢献欲は、ない
誰の役にも立たない、まったく無意味なものの創造を、楽しむ自信が私にはある。結果的に、それが誰(何)かの役に立てば喜ばしいと思う。ただ、それだけだ。
どんな待遇下であろうと、なぜ、すべての行為が、最終的に【役に立つもの】に還元されねばならぬのか。
「労働的なもの」を求める方は、
結局、役立つものの創造を求めている。
マジ働きたくない者(私)は、
役立つものの創造を拒否しているのだ。
◼️「無職って、暇だよ」
いやいやいやいや、
それこそ、ナメてもらっては困る。
人間は本来、暇を潰す天才だ。
何事にも「飽きる」という性質を持ち、
絶えずその感覚を(容易に)克服する。
何かの目的を持たずとも、
誰(何)かと時間を共有できれば、
時間を潰すどころか、
大概、何かしらの出来事が起こる。
何も起こらなければ、
何もないその時間を楽しめばいい。
それができたからこそ、
「友達のいる学校」が楽しかったのでは?
コスパやタイパを求める社会人にとって、
「ただ楽しむだけの能力」とは
すでに失われたものなのだろう。
マジ働きたくない者(私)は、
きっと、まだその能力を十分に持っている。
◼️仕事がなくとも、病まない
人が本格的に「病む」のは、自分以外の他の生き物から、健全なリアクションが返ってこなくなった時だ。
家族でもペットでもいい、自分の言動に好意的に反応する誰(何)かが存在すれば、
マジ働きたくない者(私)は、
決して、病むことはない。
社会人が「病む」原因は、
人間の存在意義=価値の創造という
意識高い系の価値観と、
経済問題(金がない)に尽きるのでは?
むしろ、「病む」原因は、
働くことに起因する部分が多い気がする。
◼️マジ働きたくない!
労働ではなく、創造をしよう、と言って
「有益なもの」を求める声は、
どこか詭弁のように聞こえる。
高齢化問題を解消するために、
「高齢者の定義」を変えよう、
と言うようなものだ。
マジ働きたくない者(私)は、
(それが実現可能かどうかは別として)
労働(的な有益活動)を断固拒否する。
本気で、ただ働きたくない、のだ。
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