男子枠はデフォで、女子枠は否?
Q. 男性差別では?
昨今、理工系学部のある大学が入試に「女子枠」を設定するケースが増えているそうだ。
これは、何年か前に医学部であった「男子枠」(設定は非公開)の逆バージョンである。
純粋な学力で選考されるべき入試において、「女子枠」は男子学生に対する差別なのでは? という疑問を目にした。
Q. 「男子枠」は問題ない?
医学部では、学力よりも男性性を評価する「男子枠」で入学した学生は、誰一人として、「下駄を履かせてもらって入学したのでは?」とか、「目の前にいる女子学生より、自分の入試得点は低かったのでは?」とは、夢にも思わない。
例え、自分が「男子枠」で入学していたとしても、「医学部では男性性を求めている」という事実が、彼らに自信と正当性を与えている。
Q. 「女子枠」が問題?
医学部とは逆に、理工系学部では女性性が求められ、その貢献が期待されている。
彼女たちは、ある一定の学力をクリアすることを条件に、理系における女性視点の導入や、女性のキャリアパス構築などといった、学力以外のものが求められたのだ。
医学部において、長時間労働が可能な男性性を優先したように、理工系学部においては、女性性がもたらす変化(多様性)やその貢献を優先した。そして、それらは同学部の男性性には実現不可な貢献である(と判断された)。
この事実が、理工系学部の「女子枠」に正当性を与える。
A. 学力だけではない
就職試験に例えれば、理解しやすい。
学業でどんなに優秀な成績を修め、入社試験でどんな高得点をたたき出しても、会社の方針に合わない学生は、入社を認められない。
採用の基準はその会社にあるからだ。また、その基準が事前にきちんと公表され、合理的な理由に乗っ取った判断であれば、その選考の結果は理不尽でも差別でも何でもない。企業は自社や社会の行く末を踏まえた上で、学生を総合的に判断するのだ。
A. それらの疑問は、男尊女卑です
特定の業界で、求められているものが明確に存在し、それを(暗にでも)表明している場合において、「男子枠」はデフォで可(医学部)で、「女子枠」は否(理工系学部)である、と判断が性別で異なるのであれば、それはただの男尊女卑、もしくは男性優位という幻想(願望)である。
A. 多様性を求めてます
仮に、「女子枠」で合格した女子学生が、「女子枠」により不合格になった男子学生よりも、学力が劣っていたとしよう。それでも、彼女がそこに存在する(多様性を生み出す)ことで理工系学部にもたらす貢献は、彼がもたらす貢献より大きく、その意義がある。そして、それは間違いなく「女子枠」を設定した側が求め、期待したものであろう。
個人の伸び代以上に、
多様性を含む集団の可能性に期待する
そう考える機関が存在することは、決して理不尽なことではないし、社会に不利益をもたらすものではない、と考える。
「女子枠」に疑問をお持ち方、
いかがだろうか。
≪追記≫
人が不正義と認識するのは、慣れ親しみ自然だと思っていた状態が、自分にとって不利な状態に変わるとき。
最後の、
「女子枠」に疑問をお持ち方、……
は文章の〆として、この表現を選んだだけで、深い意味はなかった。
にも関わらず、この一言を受けて(だろうと解釈している)、コメントをくださった方がおり、大変感激している。
自分とは全く異なる視点を与えてくれる
「他者枠」は本当に素晴らしい!
コメントを読み、「女子枠」について掘り下げた私見をまとめた。
続・男子枠はデフォで、女子枠は否?(女性
性がもたらすもの)
「女子枠」に根深い疑問をお持ち方、
いかがだろうか。