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精神論は大事だと思う、という話。

精神論って、いつぐらいからか「パワハラ」とか「体罰」とかとセットにされて、どこかネガティヴな印象を以って語られるようになってしまった。

もちろんそれは、行き過ぎた精神論がパワハラや体罰に繋がっていたのと、少なからず精神論とそれらを混同する指導者がいたからで、且つ、事実としてそういう指導者の下でも結果が出るという現実があったから。

当時は今のようにスポーツサイエンスが発達しておらず、練習というのは兎に角厳しくキツいもので、限界まで負荷を加える、数をこなすことで成長するもの、そして、練習中に笑顔はいらず、楽しむためにやるものではない…、そういう風潮だったと思う。ぶっ倒れるまで、練習中の給水なんてしちゃいけなかった。要するに、軍隊的精神論がそのまま是とされていた。

スポーツサイエンスや練習環境(だけじゃないけど)が発達した現在では、練習中もこまめに水分を補給するべきだし、過度に負荷を加える、極限まで回数をこなす練習(うさぎ飛びとかスクワットとか)は、やり過ぎると体を壊すから必要以上にやらない方が良いとされている。もう全く、時代が違うのだ。

時折昭和世代の名選手と、リアタイの代表的な選手を安易に比較して「物足りない」というような発言をする御年配がいるが、環境も技術も道具も全く違う2者の比較は無意味だと思っている。その2者を正確に比較するのであれば、それこそ科学的に分解して分析しなければいけない。それぐらい、今と昔では、王貞治や金田正一と大谷翔平では、全く違うのである。比較する意味がそもそも無いと言って良いと思う。

翻って、精神論について。

あらゆるスポーツにおいて、世界的に活躍する選手たちが、競技(試合)終了後に語るのは、メンタルの話が多いという印象。
「最後は気持ちで乗り切りました」
「ファンの皆さんの声援のおかげで…」
「ここまで来ると自分自身との戦いなので…」
技術の話ってほとんどない気がする。気がするだけなのか、リップサービスなのか、それはわからない。少なくとも、私個人の経験で言うと、最後はキツい練習を経て作られた精神力、気合いだと感じていた。
大舞台で実力を発揮できる選手もいれば、できない選手もいる。1シーズンの中で浮き沈みがあったり、前年大活躍した選手が次の年に一気に成績を落とすこともある。身体的な理由や環境もあるかも知れないけれど、メンタルが影響していることも多いと思っている。

何故こんな記事を書いたかと言うと、現在行われているプロ野球の日本シリーズがきっかけです。

セリーグは横浜DeNAベイスターズ、パリーグは福岡ソフトバンクホークスによる対戦。
個人的には、戦力的にソフトバンクが圧倒的に有利かなと感じていて、実際始めの2戦はソフトバンクが連勝した。下手したら、そのまま4タテも有り得ると思っていた。

けれど、ベイスターズが連敗を喫したその日の試合後、ハマのガッツマンこと桑原将志選手がこう檄を飛ばした。
「今の雰囲気ではソフトバンクに勝てない。勝ち負けだけじゃなく、そういう雰囲気がやっていて腹立たしい。負けて悔しくないんか?」
さらに「もっと気持ちを1つにして戦おう」と鼓舞した。
口で言うだけではなく、桑原選手は結果でもチームを引っ張り、そして逆に2連勝に導いた。圧倒的に不利な戦局を振り出しに戻した。

士気という言葉が有るが、これは正に精神論だと思っている。めちゃくちゃ噛み砕いて言えば雰囲気となる。熱い男の言葉がチームメイトの心に響き、士気を上げ、逆襲の火種となったことは間違いないと私は思う。

根底にあるのは、学生時代から積み重ねてきた練習の日々。プロに入ってからも、毎日練習を続け、結果を出した選手だけが一軍で試合をできる。結果が出せなければ、戦力外通告=クビである。厳しい環境の中で養われた精神、それが桑原選手の檄によって引き出された。

「勢い」というのもまた精神論だと考えるが、この「勢い」が戦力差を凌駕するのがプロ野球の面白いところだったりもする。

…っていう記事を書いていたら、ベイスターズ、敵地で3連勝です。すごいな。あと1勝で日本一。リーグ戦3位からの下剋上。最後まで油断はできないけど、期待しちゃうな。

精神論を否定する人たちには、きっと見えない景色なんじゃないかな。スポーツに限らず、どんな仕事でも同じだと、私は思います。

精神論って、やっぱり大事。

※無理をし過ぎて心を壊さないように気をつけましょう

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