見出し画像

恋を運ぶクロネコ #シロクマ文芸部『恋猫と』

恋猫と呼ばれる猫の噂を聞いて、僕は居ても立っても居られなくなった。

その猫は一見すると普通の黒猫だが、額の部分にだけ白い毛が生えていて、それがハートの形に見えるらしい。そして“その猫を抱き抱えることができると恋愛が成就する”という噂なのだ。実際に告白が成功したなんて話も同級生から間接的に聞いてしまったものだから、同級生の浅田詠美に中学校の時から高校にかけて3年間以上も片想いを続けている僕としては、なんとしても恋猫を抱き抱えたいと、そう思ったのだ。

恋猫は基本的には野良で神出鬼没、何処を寝床にしているかもわからない。ただ、友人から聞いた話では、最近学校近くの笹呉神社で目撃されたということだ。

そんなわけで僕は、学校帰りや休みの日など、空いた時間があれば笹呉神社に張り込むようになった。

浅田は明るいし勉強もできる、誰とでも仲良くなれるタイプの女子で、僕は特別にできることも無いし、限られた友人とだけ付き合う所謂陰キャ側の人間だ。人並み以上に人見知りな上に、思春期を拗らせていた僕が、好きな女子に自分から話しかけることなどできるわけもない。

僕と浅田の唯一の共通点は、同じ学習塾に通っていること。クラスは違うけど、人間関係に線を引かない浅田は、塾で僕の姿を見つけると普通に話しかけてくる。僕と友人が学校の教室の隅でふざけているのを見ていたようで、ある時何かのきっかけで「佐藤君って面白いよね」と言われた。「いえいえ何をおっしゃいますやら」と、なんとか笑わせようとふざけた返しをすると、「やっぱりおもしろーい」と笑ってくれた。その笑顔が可愛いくて、それで僕はすっかり浅田に恋をしてしまったのだ。

とは言え、それ以降何か進展があるわけでもないし、僕の片想いでしかないこともわかっていた。住む世界が違うから、浅田が僕に興味を持ってくれることなんて無いだろうなと、どこか諦めの気持ちはありながらも、好きという想いは捨てられずにいた。

結局張り込みを1カ月以上続けても、恋猫は姿を現さなかった。そして塾や部活がない日も帰るのが遅くなったことで、「アンタ何してんの?悪いことしてないわよね」と母に疑われるようになってしまった。笹呉神社の住職にも「最近よう来るね」と声をかけられるし、もうここには現れないのかなと思い始めていた。

夏のある日の放課後の、塾に行く前の時間、いつも通りに笹呉神社で張り込んでいたが、恋猫はやはり現れなかった。
「今日もダメか」
そう呟きながら、塾に行こうと歩き始めると、そこに現れたのは浅田だった。
「あれ、佐藤君、何してるの?」
僕の驚きと緊張が入り混じった感情をよそに、浅田は何の気なく話しかけてくる。
「あ、ちょっと神頼みを」
まさか恋猫のことなど言えるわけもなく、取ってつけたような言い訳をした。
「佐藤君も?アタシもなの。今度英検あるでしょう、ちょっと受かるか不安でさ。神様にお願いしに来たんだ」
「へぇ、そうなんだ。奇遇だね」
僕は話を拡げることもできない。大体言葉を発するとほとんど同時に後悔している。我ながらもう少し気の利いたこと言えないものかねと。

後に続く言葉が出て来ないまま、微妙な間ができた。どうしようかと思ったその時、足下を黒い影が通った気がした。
「あっ、恋猫じゃない?」
浅田がそう言った。
「えっ」
その猫は僕の足に頭を擦り付けていた。全身漆黒の毛並みだが、額にだけ生えた白い毛は確かにハートを形どっているように見える。
「なんか佐藤君になついてるね」
「でも、この子に会えたのは今日が初めてだよ」
「ふぅん、じゃあ佐藤君から何か感じたのかな」
「どうだろうね」
僕がそう言うと、浅田はおもむろに恋猫を抱き抱えた。それを見て僕は思わず「あっ」と声を上げてしまった。
「アタシ、あんまり迷信とか噂とか信じないんだ。それにウチでも猫飼ってるから、慣れてるし」
僕の「あっ」の意味はすぐに伝わったらしい。浅田は慣れた手つきで、恋猫の額や顎の裏辺りを撫でている。恋猫も気持ち良さそうだ。
「はい、佐藤君もどうぞ」
恋猫の両脇をつかみ、ひょいと僕に渡してきた。
「えっ、あっ、ああ」
浅田から受け取った恋猫を、不慣れながらも抱き抱えた。恋猫は抵抗するでもなく、僕の両腕に収まっている。
「可愛いね」と浅田が言い、僕もそれに賛同して「うん」と頷く。
「アタシね」
そう前置きをして、浅田が話始めた。
「いつも明るいキャラみたいなの、本当はちょっと疲れるんだ。そうしないとみんなと上手くやっていけないんじゃないかと思って、ずっと演じてるけど、時々面倒くさいなと思っちゃうの」
それは意外だった。少なくとも、僕の知る浅田はいつも笑顔で、天真爛漫で、分け隔てなく誰とでも関わるイメージだから。
「佐藤君はそういうの気にしてない感じがして、でも友達と話してるの楽しそうだし、なんか羨ましいなって、ズルいなって思って見てたんだ」
「ズルいってそんな」
「えー、ズルいよ。アタシだって本当はもっとマニアックなお笑いの話とかしたいもん。でも、みんな流行りのK-POPとかTikTokがどうとか、本当はアタシ全然興味なくて。でも合わせないといけないんだよ。だから好きな話だけできる佐藤君たちはズルい」
「そうなんだね」
浅田も苦労してるんだな。
「うん。あっ、ヤバい、もう塾行かなきゃじゃん。一緒に行こう」
「えっ、あ、うん」
僕が戸惑っている間に浅田はもう走り始めていた。僕も抱き抱えていた恋猫を静かに下ろして、慌てて追いかけた。足は僕の方が速いから、すぐに追いついた。
「一緒にって、全然先に走ってるじゃん」
僕がそう言うと浅田は悪戯に笑って、「ねぇ、また塾の前にここに来たら、佐藤君いる?」
「えっ?う、うん、いるよ」
「じゃあ、また来ようかな」
「うん」

恋猫の噂は案外本当なのかも知れない、そう思いながら、塾までの道を浅田と一緒に走るのだった。


いいなと思ったら応援しよう!