この笑顔、200円
Tシャツ一枚に最大いくらまで出せるかという議論が巷でよくされている。普段ユニクロばかり着ている僕からすれば2000円を超えるTシャツというのはいささか高く感じるが、3000〜4000円くらいなら好きなデザインのTシャツを買うことはできる。しかしそれは「好き(likeではなくlove)」でビビッと来るデザインやら素材やらシルエットでなければ購入には至らない。
では、みたらし団子一粒に最大でいくらまで出せるか。みたらし団子といえば棒に3・4個ぶっ刺さったあの悪魔的甘さの代物である。脳を刺激するあの甘さも魅力的だが、棒がぶっ刺さった団子は友人や家族とシェアすることができる。なんていったって甘いので、棒が3本入ったパックになっているやつを一人で食べ切ることは困難である。そのため、いい意味でシェアハピができる最強の食べ物であると言える。
そして驚くのはコスパの良さ。コンビニでも100円握りしめれば買うことができる。スーパーへ行けばお釣りが来る。仮に3本パックを3人で割ろうものなら一人当たり33円以下。安い。いや、安すぎる。健康面においては納豆に劣っているものの、高コスパな食べ物としては納豆に引けを取らない。
✳︎
先日閉店間際のスーパーの一角で、「みたらし団子」の名を叫ぶ女性店員の声があった。
「みたらし団子、ただいまお安くなっていま〜す!いかがですか〜?」
女性店員は駅弁の販売員みたいに首から机みたいなものをぶら下げて立っていた(番重と言うらしい)。みたらし団子のその正体は、僕からは見えない。果たして何個入りでいくらなのかは知る由もない。まるで樹液に食いつくカブトムシみたいに、僕はその女性店員の元へホイホイと近寄った。
「こんにちは〜いらっしゃいませ!!!!」
女性店員はマスクをしていたが、そのマスクの下の表情は言わずもがな分かる満面の笑顔。どれだけ笑顔にエネルギーを消費してんねんとツッコミたくなるほどの笑みだった。その溢れるエネルギーが僕を包み込むような、今まで経験したことのない変な感覚を覚える。弁解しておきたいので言っておくが、その女性店員は中年であり失礼ながら決して「私の好み」の女性ではない(ごめんね、おばさん)。それでも彼女の接客は、神社の御神体を触ったときみたいに元気が貰えるものだった。
「通常、300円なんですけど200円にお値下げしてるんです!!」
女性店員が放った言葉に思わず動揺した。ん、僕が知っているみたらし団子ではない。それもそのはず女性店員の首にぶら下げる番重を見ると、よく見かける3パックの100円程のみたらし団子ではない。柔らかいプラスチックのパックでもなく、固い透明のプラスチック。プロポーズするときにポケットから出す指輪ケースのような大きさの箱から「一粒」の団子が見える。なんて贅沢な……
これで200円かよ。
パックのものであれば家族へ容易に共有できるが、このような形ともなれば家族分買わなくては共有することはできぬ。そして何より高い。300円が200円になったとしても、あのパックであれば6本分買うことができる。こういうことは考えてはいけないのだろうけど。
僕がその値段の前に辛辣な表情をしたのだろう。女性店員が口を開く。
「この笑顔、かわいいでしょう?」
女性店員はひとつひとつの団子に彫られた顔を指して言った。正直言ってこの団子に刻まれた顔をかわいいとは全く思えない。なんならその辺の絵文字とか顔文字の方がよっぽどかわいいと思う。
しかし、笑顔にやられた。女性店員(=おばさん)の笑顔である。僕は知らぬ間に、魅力的に思わない団子をおばさんから購入していた。つまり、おばさんの接客が「好き(likeではなくlove)」になったからであろう。
「ありがとうございます!!!!!」
おばさんは一段と大きな声で僕へ最後の接客をしてくれた。
ちなみに理性はあったので家族分購入することはなく、「とりあえず一ついただきます」と言って財布を取り出し100円玉を2枚彼女に手渡した。僕に財力があれば家族分買ってあげたいのだけれど、そこら辺の大学生なので悪しからず。ただ、みたらし団子をシェアハピしないのは罪悪感を感じるので、僕には家族へ共有しないという選択肢はなかった。
家へ帰って早速団子を箱から取り出す。やはり、おばさんが言うほど、餅はかわいい顔をしていない。この顔も相まってか躊躇なく包丁を入れることができた。
やはり団子なので、ふにゃっとして切りにくい。大きさとしても改悪になったときの雪見だいふくより一回り小さいくらいの大きさなので、これを四分割して家族四人でとはいかず、半分に切って母とシェアハピすることにした。
いざ実食。この片切れで100円である。定価なら150円。いくら日本でインフレが進んでいるとはいえ、これは贅沢きわまりない。
もぐもぐ……
確かに、今まで食べたみたらし団子とは違って深みのある味わいと、やりすぎない甘味が口いっぱいに広がる。しかし、咀嚼しながら質と量を天秤にかけてしまう自分。
100円の欠片はむなしくも一瞬にして消えた。
母にも食わせてみたが、特別美味しいということではなかったようだ。「それでもいい素材を使っているんだろうなー」と述べていた。
いや、よく考えてみればこの団子は食べるために買ったものではない。あの女性店員を応援するために購入したものなのだ。
『人生がときめく片付けの魔法』の著者であるコンマリが言っていることと同じだ。モノはもらったときに役割を終える場合がある、と。
そう考えればこの200円は全く高い買い物ではない。
またスーパーの一角でみたらし団子を販売するあのおばさんを発見したら、今度は家族分(僕以外の3人分)を購入しよう。
でも、彼らの舌が肥えても僕の舌がそうなることはないだろう。僕はやっぱり3個入りパックをむしゃむしゃすることがお似合いだと思う今日この頃である。
「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!