フィルモア通信 New York No9 キャサリン・アルフォードとキムチツリー
ヒューパーツレストランのランチシェフはロミーだった。彼が料理したフィリピンテイストの新鮮で素朴な味は、食に関心を寄せるアーティストや若い料理人たちに支持され、ほかの店には見られないメニューを作った。ロミーは完璧な英語とユーモアでキッチンクルーをまとめ、毎日変わるメニューへのハードワークを引っぱっていた。
彼は素材の吟味に厳しかった。プロデュースカンパニーが持ってきたパイナップルの全部をゴミ箱に放り込むこともあった。レストランではこんなものを使ってはいけないと、厳しい目で言った。アイデアより素材をヒューバーツレストランのランチはフィリピン人ロミーの東南アジア諸国のホテルで培った経験と知識、そしてロミーの料理の才能に信頼を寄せるレン・アリソンに考えを託された活かすということに重きをおいた。レンが思いついた新しいレシピに首を振って作らない頑固さもあった。
ロミーのランチクルーだったキャサリンはカリフォルニアから、劇作家のボーイフレンドといっしょにそれぞれの未来を賭けてニューヨークにやって来た。二十代半ばで育ちの良さを感じさせた。彼女は勉強熱心で料理の本を何冊も読み込んでいて、プレップワークに強かったがアメリカ女性としては珍しくラインワークもよくこなした。ぼくはキャサリンからチキンの骨のつぼ抜きを教わった。
彼女は混み合うランチタイムには肉を焼いたり魚を蒸したり、主菜の仕上げに集中するロミーにオーダーを知らせ指示を出しながらロミーのバックアップをした。どんなに混み合って忙しくなってもオーダーを渡されると彼女はサンキューと言った。コールドステーションのスーザンがあまりにも大量のオーダーの数にパニックに陥ってもキャサリンは動ぜずバックアップをした。
ぼくがレストランに入るのはランチ開店前のいちばんクルーがナーヴァスになっている時だったがキャサリンはいつもぼくと挨拶しては笑い出すのだった。
ヴァレンタインデーの何日か前に、日本では女が男にプレゼントするらしいという話になった。彼女は驚いたがぼくはあんまりなにも貰ったことはないけど、もしも映画で見るような頬っぺたに赤いキスマークだったりしたら、それは最高だね、とか冗談を言ったらみんなで大笑いになった。
ヴァレンタインデーの当日は夜も昼も特別メニューで予約がいっぱいになり忙しくてやることが山のようにあった。ランチのオペレーションを終えたキャサリンはぼくを見るとスーザンに声をかけバスルームに行き、二人して真っ赤な口紅をつけてぼくのところにやって来た。両側からハッピ-ーヴァレンタインと叫ぶと二人はぼくの頬にプロレスのパンチみたいに唇のマークをつけた。居合わせたみんなが笑ってハッピーヴァレンタインと言った。レンはぼくを見ると「ヴェリーナイス」と言った。
ある日、MOMAでマティスのショウをキャサリンと一緒に見に行くことになった。ミュージアムオブモダンアートはミッドタウンにあるので、そこから歩いて遠くないコリアンマーケットに寄って行こうということになり、ジャパンだかコリアだかわからない食材の溢れるマーケットのなかで子供の頭ほどもあるキムチのガラス瓶を見つけると、キャサリンは大喜びで「アイラブキムチ」と言った。
なかにはふたが外れて中身が出ているものもあった。発酵するのでキムチは爆発するぞ、とぼくは言った。買って帰ろうということになりキムチの重たいガラス瓶を抱えてMOMAのほうへと歩き出した。瓶のなかが泡立ってきた。匂いもしてきてぼくは困ったなとおもった。MOMAに着き、なかに入ろうとすると警備員に呼び止められ、その瓶はなかに持って入ってはいけない、と言われた。
何故かと問うまでも無くあたり一面に匂いが漂っていた。キャサリンとぼくはマティスもキムチも諦める気は無くどうしようかと周りを見渡していたら、あそこの木とキャサリンが指差し、建物の前の街路樹の茂みに隠そうと言った。大きなキムチの瓶は木の二又のところにすっぽり入った。キャサリンは笑ってキムチツリーと言い、ぼくはキムチボンブと応えた。
マティスは素晴らしかった。その青と赤に言葉もなかった。キャサリンも同じらしかった。MOMAの外に出てツリーを見たがキムチは無くなっていた。